二文乙六 生誕 (8)心の狭い神様ですね

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。

 強気の留学生エリーと、愛情深い彼女「ベーデ」に挟まれて、精神バランスも揺れがちな日々。

 交際二度目のクリスマスをベーデと温かく過ごした後、エリーにねだられた駿河は彼女と元朝参りに出かける

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 小綺麗な食堂に入っておでんを頼む。あまり多くを食べ過ぎないようにして、それでいてお腹の中から温めようと考えてみる。


「此のプニプニは何?」

「コンニャク。」

「私、食べテモ大丈夫?」

「熱いけど大丈夫だよ。植物性。」

「オホ、熱いデスね。ん。良いお味デス。」


 用も済ませていざ出発。鎌倉から江ノ島に至るまでの沿岸は、深夜だというのに車も人も休日の昼間のようだった。


「これだけ賑やかなら心配ないデスね。」

「賑やかだから泥棒が多くなる。」

「大丈夫デス。ヨーロッパ人の自己防衛を甘く見ては不可マセン。」


 確かに彼女は鞄らしきものは一つも持っていない。


「荷物どうしたの?」

「必要最低限のものを全部ポケットに入れてアリマス。」

「成る程。落とさないようにしてね。」

「全部ボタン付き。」


 風も殆どなく、穏やかな年越しになった。

 満天とまではいかないまでも夜空に星が瞬き、冷たい空気がしんしんと上から降って来る。

 砂浜では時折打ち上げ花火の音がして橙色の火の筋が海に向かって飛んでいた。

 極楽寺から稲村ヶ崎、七里ヶ浜へと進むに連れて、海が近くなってきた。


「波の音がシマスね。」

「ん。」

「それ何の曲デスか?」

「知らないの? 珍しいね。」

「綺麗な旋律。聞いたことはありマス。讃美歌。」

「日本語だと《真白き富士の根》だよ。」

「マシロキフジノネ?」

「頂上に雪をいただいた富士山が裾野を広げている様子のこと。此の季節、晴れた朝には海越しに富士山が綺麗に見えるよ。」

「葛飾北斎?」

「そうそう。それを知ってるのに、なんで此の曲を知らないの。」


「歌詞は?」

「真白き富士の嶺 緑の江ノ島 仰ぎ見るも今は涙。」

「何故か悲しいのはドシテ?」

「鎮魂の歌だからだよ。」

「レクイエム? 誰の?」

「昔、此の近くにあった学校の生徒が乗ったボートが沖で遭難したんだ。乗り込んでいた生徒は全員還らなかった。」

「Ah...」

「其の中にね、兄弟が居たんだけど…。」

 僕は話していて自分が悲しくなって了った。

「亡くなったデスか。」

「ん。お兄さんが弟をしっかり抱きかかえて、弟もお兄さんにしがみついて見つかったって。」

「…。」


 今度はエリーがグスグスやっている。兄弟愛というのは万国共通だろう。

「悲しいデスね。」

「レクイエムはみんなそうだね。」


 エリーが立ち止まり、海に向かって祈っている。

 彼女が祈りを捧げる姿というのは初めて目にした。両手を組み、目を閉じ、頭を少しだけ垂れて小さな声で祈りの言葉を唱えている。

 今日は三つ編みに結っていない髪の毛が海からやって来る微風に時折ふわりと揺れるのが魂たちの返事のようにも思えた。


「歴史は人の死の積み重ねだ。」

「生まれた時が重視されているのは宗教の創始者くらいデス。西洋では寧ろ殉教の方が大事に憶えられてマス。」

「なんか辛気くさいな。」


「サテ、江ノ島は何処?」

「彼処、ほら、てっぺんが光ってる黒い影。」

「ああ、まだ鳥渡アリマスね。」

「まだ少し休む?」

「鳥渡だけ。」


 北鎌倉から江ノ島までの行程でみれば、もう半分は過ぎた。時間は午前三時を回った頃だった。


「まだ大分あるよ。」

「道程デスカ?」

「時間さ。」

「楽しい時間はアッという間に過ぎマスよ。」


 もう江ノ島に近くなると、また通りが賑わいを見せてきた。小田急線で到着する初詣客や初日の出を拝む人出が多いのだろう。


「江ノ島に渡れマス?」

「渡れるよ。鳥渡見ちょっとみがモン・サン・ミシェルみたいでしょ?」

「小さな其様ソンな感じデスね。」


 橋を渡って江ノ島に渡る。人の波は緩やかに、一方に向かって流れていた。

 戻って来る人は殆どいない。時折すれ違うのは飲食店の関係者か旅館の従業員らしき人許りだった。


「これだけの人が江ノ島に渡ったら、沈まないかな。」

「浮島デスか?」

「いいや。」

 島の中央を通り越す参道の石段を登る。


「《参道》って、誰かをお祀りしてマスか?」

「弁天様。」

「誰デスカ?」

「正しくは弁才天。元々は印度から日本にやって来て七福神信仰や土着の宗教と一緒になって生まれた女の神様。」

「女の神様?」

「そう、だから恋人同士はお参りしたら不可ない。」

「ドシテ?」

「神様が嫉妬して仲を引き裂かれちゃうから。」

「心の狭い神様デスネ。」

「自分以外の美しいものを認めないんじゃない?」

「ん~、現実的な神様デスネ。」


 とりあえず参拝は止しにして、参道の両脇の店を適当に冷やかしながら、ゆっくり進んだ。


「浅草みたいデス。」

「そうだね、年がら年中お祭りみたいなところだよ。観光地だし。」


 射的、パチンコ、コリントゲーム、夏祭りのような遊びを無邪気に喜んで、エリーは得意になっていた。


「此処から先に行くと、もう自然の岩場しかないけど、どうする?」

「Ah, まだ五時前デスね。」

「二時間ずっと外に居たら流石に芯から冷えちゃうよ。」

「お店に入る、駿河大丈夫デスカ?」

「君、大分眠いでしょ? 日本語可笑おかしいし。」

「ん。」


 近くの食堂に席料を払い、座敷をとって貰った。大きな座敷の端で、小さなテーブルに向かい合った席。昔の日本映画に出て来そうな、仄暗い明かりがテーブルの上を照らしていた。

 日の出まであと二時間ともなれば、席料を払ってまで休憩する人は居ないのか、ごった返している店先の喧噪とは真逆に、座敷の上は寝転がれるほどゆったりとしていた。


「どうぞ、ゆっくり為さって下さい。此処からお日様も見えますから。そう、丁度あの方向です。」


 これでもか、というくらいに多くの座布団を出して呉れるお店の人の案内に目をやると、水平線で薄明るくなっている中でも一段と白さを増している辺りがあった。席から其処を眺めるのに隔てるものはガラスしかない。


 運ばれてきた鍋焼きうどんを口で冷ましながら、此処までの道中で冷えた身体を温めた。


「良い場所がアリマシタね。」

「うん。少し寝ると良いよ。」


 甘酒に頬をポッと赤らめているエリーは、ただでさえ垂れ勝ちの目が、さらに垂れ下がって、もう上下がくっ付きそうになっている。僕は出された座布団を壁側に並べてやり、小さな簡易寝床を拵えてやる。


「アリガト。」


 座布団にハンカチを敷いて枕にし、彼女は身体を横たえた。

 部屋の真ん中はゴーゴーと音を立ててストーブが燃えている。

 そこから湧き上がる暖気に押し戻されて、天井から下りて来る微かな空気が、先刻まで海風にそよいでいた後れ毛を揺らしていた。

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