二文乙六 生誕 (5)金の草鞋
【ここまでの粗筋】
天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。
強気の留学生エリーと、ツンデレながらも愛情深い彼女「ベーデ」に挟まれて、心身共に忙しい毎日。
エリーの誕生日パーティーで彼女を楽しませた二人は、翌日、付き合い始めて二度目のクリスマスを過ごしている。
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鳩居堂で和文具を眺める。
天賞堂で時計と鉄道模型を眺める。
和光で宝飾品と時計を眺める。
ワシントンで靴を眺める。
ヤマハで楽器を眺める。
明治屋で輸入食品を眺める。
立田野の二階に上がる。
「少し
「運動不足だろ?」
「そうか知ら。貴男は継続してるものね。」
「お前、何もやっていないからだよ。」
「走るくらいはしているわよ。」
「以前に比べたら最低限だな。」
「矢っ張り、一高に行って居れば良かったか知ら…。」
「それは言うなって。」
「そうねぇ、後ろは向かない。」
昼にはまだ早い時間。蜜豆を突きながら他愛のない会話をする中に、自然な意思の疎通がある。
それは、二人にとって、横からの第三者という波風を乗り越えてきた後の凪のようなものだった。
「これでは不可ない」ということを学んで、それを活かす。其の繰り返しで得られた安寧だった。
「年が明けて、桜が咲く頃には二周年よ。」
「まだ二周年か?」
「人生まだまだ先は長いわね。」
《人生》という言葉は、其の頃の僕たちには、迚も想像の出来る代物ではなかった。
漠然としていて、只々死ぬまでの長い時間のようにしか思えなかった。けれど、茫洋とした其の長い時間を過ごす相手として、お互いを自然に意識していたのは疑いのない事実だった。具体的なことなど何も考えない、正直な感情の産物として互いを見ることが出来た実に幸福な時間だった。
「残念ながら今年のお正月は会えないから、
ベーデは例年、年末年始に家族で旅行に出掛ける。日本に居る時の方が少ないというのだから仕方がない。
「何処に行く?」
「行き当たりばったり。」
彼女にしては珍しく、何の計画性もない儘に銀座から日本橋方面に向かって歩き始めた。もう歳末の中央区は、一本裏通りに入れば年越しの準備で賑わっていた。
「ほーらあったぁ。」
子供のように喜んでいる彼女の様子に苦笑いしながら、クリスマス・イブとは凡そ関係の無さそうな世界に足を踏み入れた。二礼二拍手一礼して、目を開けると彼女はまだ願い事をしている。
「ご丁寧に何をお願いしたんだ?」
「女の子みたいなことを聞かないの。」
「言えないようなことか?」
「そうね。男になんか言えない。」
「あらら。」
「心配するようなことじゃないわよ。安心なさい。」
「そう。」
「駿河は何をお願いしたの?」
「秘密。」
「気持ち悪い…。」
僕は、思い浮かんだ儘に《幸せな人生》を祈っていた。冒険より安定した人生を願う保守的なつまらない男なのだろうけれど、秋の一件以来、今の幸せを大事にするという意識が漠然と、しかし確実に強くなっていた。
「これを買ってあげる。」
ベーデが社務所に並んでいるお守りの中の一つを指さした。綺麗に磨かれた爪を持った指が示した先には金色の小さな
「何?」
「金の草鞋よ。年上の女房を貰うんでしょ?」
彼女は八月生まれ。僕より二ヶ月ほど年上だ。
「ん? もう決まってるんだから願をかけなくたって良いんじゃないの?」
「だから、首輪よ。」
「は?」
「ヨーロッパではね、十字軍の遠征が華やかなりし頃、貞操帯が大流行したそうよ。」
「おいおい…。」
「此の効能を何処まで本気にするかは、貴男次第として、私の意思表示として、これをプレゼントしてあげる。」
「結構な値段するぞ?」
「神社だけどクリスマス・プレゼントだもの。良いんじゃない? これくらいしても。」
「そうか?」
彼女は、流石に「クリスマス・プレゼント用に包んで下さい」とは言わなかったけれど、綺麗な白い包装紙に包まれた金の草鞋を僕の掌に置いて握らせた。
「はい。良いわね?」
「ん~…。」
「不服?」
「深すぎ…。」
けらけらと満足そうに笑って彼女は僕の腕を掴み、再び雑踏の本通りへと誘った。
「さて、お前は何が欲しい?」
「ご飯。」
「食べてばっかりじゃないか。偶には何か買ってやるよ。」
「良いの。貴男からは物を貰わない。」
「何でぇ?」
「三年間心臓の真上にあった第二ボタンだけで充分。」
「ん~、また深いことを言う。」
「物が沢山あるほど気持ちは迷うのよ。」
「俺は毎年貰ってるぞ?」
「
「ふ~ん。」
「さあ、何処か美味しいものが食べられる処に連れて行って頂戴。」
「じゃあ、和食、洋食、中華、インド?」
「和食。」
「あっさり? しっかり?」
「しっかり!」
「ご飯もの? 一品料理もの?」
「ご飯もの!」
「よし、連いて来い。」
「ん!」
少し歩いて日本橋の天麩羅屋に入る。
「大丈夫?」
「大丈夫。此処は此の界隈のサラリーマンの御用達のお店だから、定食ものなら其様なに高い処じゃない。」
「へぇ。」
クリスマス・イブで天麩羅を考えるカップルは少ないと見えて、店内は普段の休日よりも空いていた。
「うん、美味しい。流石だわ。」
「何が流石?」
「お店も、貴男も。」
「
「見た目許り気取って中身のない男より、余っ程上等だわ。」
「見た目が
「あら、私の前では最低限きちんと出来るようになったから良いのよ。」
「普段が
「私が一緒に歩く訳じゃないし。主義主張でしょ?」
「そう言われればそうだけど。前はあんなに厭がっていたくせに。」
「外見ばっかり周囲に合わせても性根が上滑りの奴とかより、まだ主義主張のある恰好をしている奴の方が上等だってわかったのよ。」
「動もすれば耳が痛い気もするけど。」
「良いの。私が褒めてるんだから、素直にそれを受け容れていれば。」
彼女は綺麗に箸を裁きながら天重を口に運んでいる。
其様な姿を見ながら僕は不思議な感覚になった。
こうして自分のことを気に掛けて、気に入って呉れる人が居る。
其の思考の中身は、僕が相手を思っているよりもずっとずっと大変なことなのではないか。
僕は、ベーデが愛惜しいと感じることはあっても、それは感情の起伏に促される儘のもので、時折、そう、秋の一件のように何か事件でもあれば噴出する想いは激しくても、そうそう普段から情熱的に考えている訳でもない。
それこそ、彼女が言っていた通り、電話が架かってきても素っ気ないことも多いし、どちらかといえば自分の好きなように振る舞っている。
一方で、彼女は口を開けば僕のことを考えているようなことを言う。
其の言いぶりから考えると僕が考えているよりも多くの時間を割いているのではないかと思える。そう考えると、僕は彼女に対して充分な愛情を返せているのか、途端に不安になってきた。
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