二文乙六 生誕 (4)淑女を待たせるものじゃないでしょ

【ここまでの粗筋】

 天然系な主人公「駿河轟」は高校二年生。

 強気の留学生エリーと、ツンデレながらも愛情深い彼女「ベーデ」に挟まれて、心身共に忙しい毎日。

 エリーの誕生日パーティーに招かれた駿河とベーデの二人は、それぞれの持前で彼女の特別な日を祝福した。

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 楽団が演奏し始めたのは『きよしこの夜』だった。

 エリーが最初に、そしてベーデが二重唱で入る。

 最初はハミングだった会場内でも段々と唱和する人が増えて、二度目の繰り返しからはほぼ全員が声を揃えた。


 僕等が幼い頃から慣れ親しんでいるメロディとは、錆の部分が少し違うのだけれど、会場の人は皆、自然にそのメロディラインで歌っている。


「今夜は本当に有り難う御座居ました。」

 すっかり上気して良い色になっているエリーの挨拶で、宴はお披露喜となった。


 *     *     *


「凄かったね。練習したんだ?」

「楽譜を貰っただけのぶっつけ本番よ。」

「へぇ。」


 ゆっくりとした人の流れの中でベーデは照れ笑いをしていた。

 出口ではエリーとお祖父様、お祖母様のお見送りを受けた。


「駿河さん、有り難う。明日はベーデとごゆっくり。そして、また明後日。」

「今夜は有り難う。楽しい話が出来ました。素晴らしい彼女とご一緒だ。」

「本当に。日本で正調の Stille Nachtを聴けるなんて。フロイライン・亜惟には私がイスパーニャの素晴らしい紳士を紹介しますから、Herr Surugaはエリーに下さいませんこと?」

「お祖母様! 駄目! 失礼デショ!」

「いいえ、いつでも。熨斗を付けて差し上げますわ。」

 ベーデは僕を押し出すように笑っていた。


 *     *     *


「いやはや、凄かったねぇ…。」

「そうねぇ、考えていたものより、ずっと格上だったわ。」

「エリー自身が普段地味だから、尚更意外だったなぁ。」

「今日は一高そちらからは駿河あなただけ?」

「だったみたい。先生も知った顔も全く見かけなかったし。」


「…じゃあ、今日のことは誰にも言わない方が良いかも知れない。」

「何で?」

「そういうものよ。ご招待っていうのは。」

「成る程。ふーん。」


「で? うするの?」

「何が?」

「『何が?』じゃないわよ。私には、素敵なイスパーニャ紳士を紹介して下さるって。」

「良いなぁ。」


「誤魔化さないの。彼女に乗り換える? それこそ千載一遇の良いチャンスじゃないの?」

「する訳ないだろ? 何、言ってんだ?」


「良いわよぉ? 究極の逆玉だわ。」

「馬鹿、彼様あんなの肩が凝って凝って…。」

「其のうち、じきに慣れるわよ。」

其様そんなに俺のことがお荷物か?」

「そういう時は、『僕のことが好きなくせに?』って聞くものよ。それなら一言『ええ。』だけで答えられるのに。」


「俺で不服は無いんだろ?」

「さぁて…、どうでしょ?」

「んだよ!」

「そうねぇ~。」


 *     *     *


 ベーデと付き合い始めてから二回目のクリスマス。

 まだ二回目か、というほど時間が長く感じられる一方で、毎日が過ぎ去っていくのはあっという間だった。


「え? まだ二回目だっけ?」

「そうよ。去年、マフラーをプレゼントした後にスペイン料理のレストランに行っただけでしょう? それともそれ以外の想い出でもある訳?」

「ない、なぁ。」

「あったら大問題よ!」


 待ち合わせは常時いつも渋谷か銀座。単純に彼女が足を運びやすい場所か、好みの物を選べる、つまり《趣味の合う》場所だった。

 前年が渋谷だったからか、それとも渋谷に飽きたのか、今年の待ち合わせは銀座だった。銀座で待ち合わせると言っても、場所は常時和光か三越の前。


「和光か三越の前でぼーっと待ってるのって、お上りさんかお年寄りに見えないか?」

「実際に都会人で若ければ何の問題もないでしょ?」

「まあね。」


 いつだって先に到着するのは僕だ。

 先に到着していなければ、十中八九彼女は誰かに声を掛けられている最中か、鬼より恐ろしい顔をして一人で待っている。

 どちらの方が怖いかというと後者だ。誰かに声を掛けられていれば腹は立ってもまんざらではないのだろう。また余程厭な相手でもなければ気も紛れる。

 誰にも声を掛けられない儘に僕の方が遅く着いた日には、(たとえ待ち合わせの時間に遅れていないにしても)デートは無言の行から始まることになる。そういったことが原因でお小言が増えるのは極力避け度い。


淑女レディを待たせるものじゃないでしょ。」


 ベーデは、其の一言のために生きているのではないかというほど、「自分を大切にして呉れること」を大事にしている。

 勿論、大事にしてあげるだけのものを彼女は実際に持っている訳で、彼女自身も其の研鑽を忘れていない。

 そうした《淑女レディの努力》に対しては、相応の待遇で接するのが紳士ジェントルマンであるというのが彼女の持論であって、それに関することついては日常の極々小さなことでも、つぶさに、判然はっきりと、隠すことなく僕に指摘してきた。

 人によっては、それだって迚も厭に感じることもあるだろう。僕だって言われる相手次第では「余計なお世話だ」とか「お前に其処まで言われ度くない」と感じたし、実際に自分自身が其処まで出来る人間だとも思っていないから、細かなことを言われるとムカッと来る部類なのだけれど、不思議と彼女に言われる分には、男の小さな矜持っぽく軽く口答えはしてみても、其の実、素直に受け容れることが出来た。導かれることが寧ろ嬉しかったのだ。


 二人の間に遠慮がなかったのは、中学校時代を通じて、互いに努力をしてきた相手であるということを認めていたからに他ならない。

 僕はベーデが努力の人であることを認めていたし、ベーデも僕を只の馬鹿ではないとは感じていた(筈である)。

 だから、二人の間で指摘の応酬があったにせよ、それはお互いの腹の内を知った上でのもので、心地良さや楽しさこそあっても、心底から腹が立つというものではなかった。

 それに加えて、何につけても、お互いが《不器用》であることを認めていたのだ。


「お待たせ。」

 其の日も彼女は僕よりも後にやって来た。


「まだ時間より前だ。」

「そう? でも待っていて呉れて有り難う。」

「なんだ、気持ち悪いな?」

「偶には貴方の努力を評価してあげるわよ。」

「じゃあ、素直に受け取ろうか。」

 僕の腕をとって歩き始める。


「待っている、ていうのは楽しいでしょう?」

「ん? 来ることが分かっていればこそ、だけどな。」

「貴男は《待たせる》ことが苦痛で《待っている》ことが楽しみな人間。私は其の逆。」

「へえ。」


「貴男が待ち合わせ場所に居ることを考えるだけでほっとする。貴男を待つ、なんてことには到底堪えられないわ。」

「会っていきなり深い考察から入るんだな。」


「こういう確認は大事よ。恋が何故三の法則で終わるか分かってないでしょう?」

「三日、三週間、三ヶ月、三年か?」

「そう。全ては擦れ違いから起こるのよ。三日は思い違い、三週間は勘違い、三ヶ月は伝え違い、三年は…。」

「三年は?」


「まだ経験がないから分からないわ。」

「何だ、全部経験則か?」

「そうよ。可笑しい?」


「今まで何回経験したんだ?」

「ん? 三日と三週間は何度かね。でも三ヶ月は一度だけ。」


「…じゃあ、鳥渡は続いてるっていうのは初めてか。」

「そうね。貴男は?」

「俺は三日だけだな。」

「何? 思い違いばっかり?」

「意が通じたこと自体が初めてだ。」

「ふ~ん。私で良かったわね。」


「こうして自然で居られることは感謝してる。」

「あら珍しい。反論しないのね?」

「今日くらいは素直に居ようかな、ってな。」

常時いつも素直で居なさいよ。」


「それじゃお前が退屈だろ?」

「…そう、ね。うん、そうだわ。」

「お前こそ、えらく素直じゃないか。」

「今日くらいは、ね。」

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