二文乙六 表象 (4)無難で目立たない

【ここまでの粗筋】

 主人公の天然「駿河轟」は第一高等学校に、ツンデレ彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う二年生。

 駿河は留学生「ェリィ」のお世話に励む日々。

 彼女の「文化交流」を支援するべく、少しだけ理屈っぽい彼女の「外貌」から改善しようと試みる駿河だが。

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 それから一週間。

 トリートメントを使い始めたら、三つ編みからピンピンと毛が跳ねる量も激減した。そして、少しは自然な笑みも浮かべられるようになってきた。


「なんだい、やればちゃんとなるんじゃないか。」

「タマタマ私の毛に合うモノが無かったダケデスよ。」

「女の子って、自分の髪に合うものに可成り拘るんじゃないの? 向こうから持って来なかったの?」

「…ゴメナサイ…嘘デス…一人暮らしでイソガシくて、ただサボッテたダケデス。」

「…。ま、良いや。そうだね、忙しかったね。」

 彼女ェリィが口にした初めての本音に、僕は少し驚いた。


「さて、残るは、眼鏡だなぁ…。」

「駄目デスか?」

「話をするときくらいは、外したら?」

「あ~、原稿を読めマセん。」

「覚えれば良いでしょ。」

「他人事だと思って簡単に言いマスね。」

「他人事だもの。」

「駿河サン、本当に私のことを考えて呉れてマス?」

「勿論。《考えて呉れてマス》。」

「Ah、じゃあ一生懸命覚えてみましょう。」


 *     *     *


 それからというもの、ドイツ語の時間、ロングホームルームの時間、各教科の発表授業の時間等々。

 オーストリアの話題を出せる機会を見つけては登録して、エリーはオーストリアを紹介し続けた。

 回を重ねると、観光親善大使としての様も板に付いてきて、自然な笑みと冗談も言えるようにまでなった。

 彼女に対する大方の生徒の誤解は解けた。

 でも、中には「矢っ張りナチは宣伝が上手いな」と陰口を叩く人間が居なかった訳でもなかった。机の上に「Arbeit macht Frei」(「労働が自由をもたらす」…かつて強制収容所の門に書かれていた標語)がチョークで書かれていた時は、流石に先生方も問題視し、「根拠のないことで個人を思想攻撃することは紳士・淑女のすることではない」と大きな告知が出された。

 其の告知にすら、いつの間にかダビデの星が落書きされたり、それをハーケン・クロイツで上書きしたり、と幼稚にも思える悪さは、最後まで根絶されなかった。


 *     *     *


「ごめんね、馬鹿ばかりで。」

「駿河サン?」

「Ja?」

「何もオカシクないんデス。これが世界なんデスよ。」

「そうかな。」


「理想の世界なんて、此様な小さな、然も教育過程にあるところですら実現できないんデス。」

「はぁ…。」

「でも、だからこそ、諦めたり、暴力に訴えたりしては不可ないんデス。」

「どうして、君は冷静で居られるのかな?」


「ヒトラーは言いました。価値のある人間は人を殴れる人間ダケだと。」

「殴り返さなければ、殴られ続けるってことか?」

「そうデスね。」


「一方で、私は支配者ではなく、指導者である。ナポレオンが失敗したのは彼が皇帝となったからだ、とも言いマシた。」

「実行するのはいつでも国民だ、ってことか?」

「そうデス。わかりマスか?」

「一人一人が芯から変わらなければ、国も変わらないって?」

「そうデス。でも、人を変えるのは至難の業デス。」

「だね、此の状況を見るだけでも。」


「でも、諦めれば、悪い種はどんどん広がりマス。悪い種は、《ごく一部の極端な思想》ヨリも《無関心》という種デス。」

「…。」

「ナチスを大きくさせたのは、国民の不満と知識層の無関心デス。」

「其処までは分かった。」


「ならば、無関心でいることはヨクナイ、という意識を貴男だけでも持つべきデス。」

「うん。」

「駿河サンの御蔭で、私は少しでも関心をもって貰うことが出来ました。感謝しマス。」

「いやいや。」


「じゃあ、これからは、日本を色々教えて下サイ。」

「僕が?」

「嫌デスか?」

「嫌じゃないけど。僕なんかより良く知ってるんじゃないの?」

「私が知っている日本は、『皇朕ツツシカシコ皇祖皇宗コウソコウソウ神霊シンレイマウサク皇朕天壌無窮テンジョウムキュウ宏謨コウボシタガ惟神タダカミ宝祚ホウソ継承ケイショウシ…』」

「わかーった。分かったってば。君の家にある日本の教科書や資料は何時の時代のだ? よく留学を受け入れて貰えたな!?」

「じゃあ、お願いしマス。」


 *     *     *


 彼女は少し改善されたとは言っても、朝の時間が忙しいときは相変わらずの三つ編みお下げで、髪をピンで留めて、おっきな眼鏡の所為か、言い寄る男のかげなど微塵もなく、

「彼氏が出来たら言ってね、距離を置くようにするから」

「ハイ、でも、心配ないです。」


 容姿の点で見れば、良く言えば《無難》で、悪く言えば《目立たない》娘だった。

 ブロンドなのに、背が決して高いとはいえない所為か、女の子たちの中に入って了うと、髪の色くらいしか判別がつかないほど目立たなかった。

 授業でも、これと言って目立った発言をする訳でもなく、指名されれば無難に答え、時折先生がドイツ語に訳してやると十二分に答え、毎日が過ぎていた。


 *     *     *


 物議を醸したのは別問題として、「愛国行進曲」によって、エリーの喉が皆に認められることとなったのは事実だった。

 七月には音楽祭があり、ホームルーム別対抗の合唱がある。曲目の選択過程で、日本語発音能力に配慮する声もあったが、彼女は南ドイツ方言以外なら何語でも一緒だと一蹴した。果たして曲目は日本のものとなり、僕らのホームルームは、三年を押さえて総合四位にまで食い込む健闘となった。

 打ち上げも競技戦に続いて二回目となり、前回は参加を渋った彼女も今回は参加した。成る可く多くの人と話すのが良いだろうと思って、僕は彼女から離れるようにした。それでも、時折気に掛けて様子を窺っていると、何人かと話はしているけれど、長続きがしない。相変わらずの仏頂面で、楽しいんだか楽しくないんだかわからない顔をしている。其のうちに席を立って、カウンターに坐ってマスターと話し始めて了った。


「Herr Suruga!(駿河さん!)」

 洗面所からの戻り、カウンターの横を通ったとき、とうとう呼びつけられた。


「Was?(なに?)」

「Kommen sie hier bitte!(こっちおいで!)」

「よっこいしょ」


 カウンタ前に腰を掛けると

「彼女、寂しがってるよ」

 とマスター。


「もっとみんなと話したら良いんじゃない?」

「話シテルよ。」

「なら良いけど。」

「Surugaは私のコトが面倒?」

「いいや、其様なことはないよ。」

「ジャあ、何故避ける?」

「僕だけじゃなくて、みんなと話した方が良いと思ったから。」


「もう、話シタ。一回りシタよ。Suruga以外とは。」

「そう?」

「外国人ダカラといって、特別扱いシナイで欲しい。」

「そうかい?」

「色々な人と話すのは確かに必要だけれど、日本人ダッテ、外国人ダッテ、気の合う人と長く話をシ度いのは変わりないデショウ?」


「気が合わない人が多い?」

「というか、日本人にはゲルマン系が合わないミタイ。」

「ゲルマン系全体じゃなくて、人によるんじゃないの?」

「Ah、それはそうかも知れない。私、理屈っぽい?」

「Ja」

「Österreichじゃ、それほどでもないんダケドな…。」

「其処は国民性でしょ。」


 此処で彼女の腕時計の時報が鳴った。


「そうかなぁ。そろそろ門限。送って呉れマス?」

「Ja」

「なんだ、駿河もう引けるのか?」

「エリーと抜け駆けか?」

 と声がかかる中、僕たちは店を出た。


 これが鳥渡でも人気のある女の子だったりすれば、「待て待て」と許りに後に続く男どもがわらわらと出て来るのだけれど、彼女の場合はそれもなかった。


「悪いデスね、常時付き合わせて許りで。」

「いーや。…面白いよね、其の時計?」

「エヘ、お祖母様からGimnasium入学のお祝いに戴きマシタ。」


「音がなる針式の腕時計って見たの初めてだ。」

「月齢も付いてマスよ。ホラ。」

「へぇ…。可愛いね。」

「良いデショウ?」

「飾り気がないけど、しっかりしてそうだね。」

「お祝いデスから。一生使えるモノをって。」


 彼女は大事そうに腕時計を撫でた。そして、夜風に吹かれた髪の毛を直しながら訊ねてきた。


「…Herr Surugaは、お仕事として私を送っテル?」

「ん? 最初の頃はね。でも、今は何となく、というか、当たり前、というか自然に。」

「自然?」

「友達同士なら、自然に『一緒に帰ろうか』ってなるでしょ? それ」


「Herr Surugaは私のこと、友達だと思う?」

「Ja Natürlich(もちろん)」

「外人の珍しい友達?」

「外人、日本人は関係ないよ」

「Ist es richtihg?(本当に?)」

「Ja, richtig. (本当さ)

 Ich denke Sie, ein wirklich wichtiger Freund zu sein.(君は僕の大切な友達のうちの一人だよ)」

「Vielen danke..Danke schön. Ich bin sehr froh.(ありがとう、それを聞いてとっても嬉しいわ)」

「君が喜ぶと僕も嬉しい」


「今度、私も、皆と同じようにお昼ご飯に連れて行って下サイ。」

「良いよ、でも、二人だけじゃなくて皆と一緒の時もあるよ?」

「大丈夫デス。我が儘言いマセン。」


 以来、エリーも僕等男共に混じって昼食をとるようになった。

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