二文乙六 表象 (3)仏頂面で上目遣い

【ここまでの粗筋】

 主人公の天然「駿河轟」は第一高等学校に、ツンデレ彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う二年生。

 駿河は「応援部」と留学生「ェリィ」のお世話など何かと多忙な日々。そんな今日のェリィはといえば。

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「Ah, お隣、良いデスか?」


 ホームルーム単位で行われる二時限目の共通講義以外は、基本的に席は自由だったのだけれど、エリーは大抵僕の隣に座ることが多かった。


「ェリィ、まだ学校に慣れない?」

「Nein、大丈夫。皆ともよく話しマスよ。」

「そう? もし、慣れないこととか、困ったこととかあったらいつでも言ってね。」

「ハイ、danke für Ihre Überlegung.(ご厚情、畏れ入ります)」


 梅雨の頃になると、あまりエリーの行動を狭めても不可ないと思って、必要最低限以外は、少しばかり距離をおいて見るようにしていた。

 言われてみれば、確かに彼女は、普通に彼方此方あちこちと話をしていた。


(なんだ、杞憂か。)


 それでも、選択講義が一緒のときは、大抵常時隣が空いている限り、其処に座っていた。僕が寝ていても、起きていても、

「Ah, Könnte ich im Nachbarn sitzen?(お隣いいですか?)」

 とやって来て、構わずに座る。


「Herr Suruga! 寝てるのヨクナイ、起きナサイ!」

 と最初の頃こそ起こして呉れたが、それでも起きないと代わりにノートをとっていて呉れた。


「はい、筆記デス。」

 当然、ドイツ語でびっしりと書き込まれていて、僕は、ドイツ語と一般教科の両方の勉強になった。


 *     *     *


「大体、日本人はEuropaについて無関心すぎマス。」

 彼女は大抵、独り言のように時事放談を始める。


「遠いからね。」

「日本は開国しても、国の中からしか外を見ようとシナイから、第二次大戦で失敗しマシタ。」

「オーストリアは成功したのかい?」

「Österreichは、家の中からしか外を見ず、戦争ということについてマッタクと言ってイイホド真っ正面から見ようとしなかったから失敗しマシタ。」


「一緒じゃない?」

「同じところもありマス。日本が掲げたアジア解放の正義や、Österreichが根底に持っていた血縁関係を大事にした融和外交政策は、夫々理想としては間違ってはいなかったと、私は思いマス。」


「理想と現実が違っていたから失敗したんでしょ?」

「ソウ、周囲の状況判断を冷静にせずに、情報を軽んじて、理屈や精神論許りに流されたからデス。」


 机の上いっぱいに散らばっていた自分のノートやペンの類を漸く綺麗に仕舞い終えて、これから本腰を入れて議論するぞ、という具合に座り直す。


「結局、何を言い度いの?」

「世界はつながっていマス。」

「あはは、これは随分、話が飛ぶね。」

「Ah、私が言い度いことワカリマセンか?」

「君が難しい言葉使い過ぎるんだよ。何処で習ったの? 其様な日本語。教科書の選択間違えてないか?」

「ソウイウことじゃナクて、中身がワカリマセンか?」

「もっと世界に目を向けろって?」

「日本の内と外をきちんと見ないと、また、取り残されますよ、ということデス。」


「エリーは日本に説教しに来たの? よく居るよね、駅前とかに、鳥渡良いデスカァって話し掛けて説教する白人の伝道師の人。」

「何故、アナタ方はもっと政治や世界情勢に関心を持ちマセンか?」


 ベーデとエリーの違いは、こちらのボケに乗ってくるか否かだ。

 ベーデは目の前に出されたボケには一応突っ込まずには居られない。

 エリーは、自分の調子が乗っているときならチラリと見るくらいでポイと一蹴して了う。

 彼女に対して二度続けてボケると本気で叱られるので、ちゃんと応戦する。


「日本は戦争に負けてから、暫くは改革の勢いがあったけど、其の後の冷戦ですっかり西側社会に温存しちゃったからさ」

「西側って、Amerikanaただ一国じゃないデスか。」

「きついね。」


「同じ敗戦でも、Deutsche、Österreich、日本、皆其の後の身の処し方は違います。何故か分かりマスか?」

「民族の違い?」

「それもありマスけど、地理や歴史や文化の違いデス。」

「ふーん」


「Europaの国々にとって、日本だけは、アジアの中でよく分からない国。出方次第で何をするか分からない国。Deutsche、Österreichは、それまで何度も戦争をしてきているから、大抵分かっている。」


 もう、今日の授業も終わり、部活も全体休業の日なので、あっという間に学校の中は静かになっている。其様な状況の中で、だだっ広い生物学の階段教室の一番後ろで、蕩々と彼女は近代世界史の講義を続ける。


「成る程。」

「負け方も、勝ち方も、何度も経験してマス。戦争が小さいか大きいかだけ。他は、尤もらしい理屈を付けたかどうかなダケ。」


「で?」

「Japan(日本国)は、Japaner(日本人)は、一回戦争に負けただけで、どうして此様なに全部変われマスか?」

「昔からそういうことに慣れているからじゃない?」


 人気のない講義室に長時間居たところでろくなことはないので、話しながら一緒に下校することを促す。


「昔カラ?」

「だって、日本ではお殿様が変わるなんて、しょっちゅうあることだったし、殿様が変わればやり方も変わる。此の間の敗戦は、天皇陛下の上にアメリカの大統領が来た、って感じになっちゃったんだから。」


「JapanとしてのIdentitätって無いデスか?」

「それが日本のidentityなんじゃないの? 終戦の詔勅にあったように『国体の護持』、つまり日本という国が、どういう形であっても存在していさえすれば、他の大抵のことはまあ良いじゃないか、っていう。」

「曖昧な民族デスね。」

 登校鞄の肩帯を肩から袈裟懸けにして、彼女は制服の襟を直しながら言った。


「それでも我慢出来なくなれば、明治維新や、2・26事件みたいなことが起こるでしょう。」

「日本人の心ってイウのは何処に行ったんデスか?」

「在るところには在るでしょ。大和魂って形じゃないから。日本刀や鎧甲が日本魂じゃないでしょ。他人に迷惑をかけない限り、愛国行進曲を歌ったって良いんだし、インターナショナルを歌ったって良い。」

「DeutscheでもÖsterreichでも、ナチスを礼賛スルことは法律違反。」


「日本では戦前の体制を声高に叫んだって法律違反にはならないよ。大体、ナチスと日本の体制は違うって言ったのはエリーでしょ。」

「そう。でも、益々分からないデスね、此の国は。」


 少し前のめりになって重い登校鞄とバランスをとりつつ、視線の先は足元数十センチに落としている。いつもながら、何が入っているんだ、というくらいの重い鞄を背負っている。


「何でも呑み込んで了うのが日本でしょう。呑み込まれたようで、逆に呑み込んでる。宗教も、政治も、文化も、人間も。東の果て、西の始まりとして。」

「私が考えてるほど、単純ではないデスか。」

 校舎の外に出て、講堂脇のベンチに座る。


「きっとね。それはオーストリアだって一緒でしょ。」

「Ah...」

 エリーは座った儘、頭を抱え込んでいる。


「エリー?」

「Was?」

「君さ、僕にだけじゃなくて、もっと多くの人に君の考えというか、オーストリア人の考え方や物の見方っていうのを、知らしめた方が良いんじゃないかな?」

「シラ、シラシメタ?」


 愛想のない、というか遠慮の一片もないような苦虫を噛み潰した顰め面で此方を見ている。


「教えるってこと。」

「私ノ考えは、私ノ考え。」

「そうじゃなくて、簡単に言えば、オーストリアを紹介してみたら? ってこと。」

「紹介?」

「折角日本に来てるんだから、オーストリアってのは、こういうところで、こういう考え方をするぞ、っていうのを、話してみたら?」


「それは、情報宣伝活動?」

「だから、何処で日本語を習ったの? そういう熟語を使うと、またナチスとか言われるから。」

「じゃあ、何?」

「ん~、広報活動」

「Propaganda?」

「ダメダメ、また元の黙阿弥だ。どうして、君のボキャブラリは其方にいっちゃうのかなぁ…。」

「じゃあ、何デスか?」


「あー、インフォメーション! PR!」

「私は案内係?」

「そうだね、観光親善大使くらいの気持ちになった方が良いと思う。」

「私に出来ると思いマスか?」


 彼女をじっと見てみた。相変わらず三つ編みでお下げにして、其処からあぶれた金色のワイヤーのような髪がピンピン立っていて、遠視のおっきな眼鏡が鼻までずり下がっている。愛嬌はある顔なのに、ご丁寧に愛想のない仏頂面で僕を上目遣いに睨んでいる。


「あ~…もう少しニッコリ出来ない?」

「にっこり?」

 エリーが引きつった笑いを見せた。


「アハハ、全然駄目だ、それじゃ怖い。」

「酷いデス!」

「ごめんごめん。毎朝、鏡を見て、自分に向かってにっこりしてご覧。」

「後ハ?」

「そうだなぁ…三つ編みしないでお下げにしてみたら?」

「三つ編みは伝統です。」

「そうなの…じゃあ、リンスを変えてみたらどうかな? もっと髪の毛がしなやかになって言うことを聞くやつ。」

「其様なのありマスか?」

鳥渡ちょっと相談にいってみよう。」


 僕は、彼女を渋谷のデパートに連れて行った。

「此の娘の髪を優しくして呉れるようなトリートメントってあります?」


 相談の末、出てきたのは、可成りの高級品。


「あ、こりゃ凄いな。」

「これで、私の髪の毛が綺麗にナリマスか?」

「元々此方こちらの商品は、ドイツの会社が開発したもので、中でもこれは最も原品に近い、つまりドイツ人女性向けに近い製品ですので。」

「Ah、分かりマシタ。じゃあ、これでお願いしマス。」

 エリーはサイフからカードを出すと、支払をした。


「駿河サン、有り難う。」

「いえいえ。エリー、普段買い物ってカードなの?」

「何を買ったか分かるように、父のところに請求が行きマスす。」

「あ、そういうことね…成る程…。」

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