二文乙六 薔薇 (4)占領のしがいもない人

【ここまでの粗筋】

 主人公の天然「駿河轟」は第一高等学校に、ツンデレ彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う二年生。

 駿河のクラスに来た「金髪碧眼」のゲルマン少女留学生「ェリィ」。

 彼女の歌唱が原因で開催された「調整委員会」で、彼女が補佐役の先輩と共に相手の理論的な脆さを論撃するなか、お世話役の駿河は呆然と眺めるばかり。

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 普段日本語に堪能なエリーが徐々に感情的になってドイツ語が混じるようになり、先程の三田さん同様に赤みがかり、語調が強くなったところで、三隅さんがエリーの前に手を出して制止した。

 彼女は、膝の上で拳を握り締めていた。爪が掌に突き刺さるのではないかと思うほど強く握り締められた拳は小刻みに震えている。

 僕は、呆然とするばかりの自分が歯痒く、それでも何かと探してみると、やり場のない哀しい怒りに震えている其の拳にそっと手を添えることくらいしか出来なかった。


「委員長。」

「三隅さん。」

「只今の被申立人の発言にあるように、正確な歴史的認識や、彼女の立場、また事実背景に基づかない申立人代理人の『ヒトラー・ユーゲント』という発言、及び、自治会をして帰還せしめる旨を学校に求めるという申立人代理人の発言の撤回を求めます。」


「申立人代言人は、発言を撤回しますか?」

「…撤回します。」


「では、議論に戻ります。歴史的認識は、長い期間のうちに醸成されていくものであり、早計に其の議論すら一律に禁止をすることは、内心の自由を保障した憲法に反するものであると、被申立人からの反論がありましたが、申立人代理人は意見はありますか?」


「委員長。」

「三田さん。」

「憲法前文は、理念を示したものであり、其の具体化が各条です。即ち、前文ありきの各条であり、主権在民、平和主義、戦争放棄の三原則は、各条に優越するものです。よって、歴史的認識の如何を問わず、思想、信条の自由に優先されるものであると考えます。」


「委員長。」

「三隅さん。」

「理念を表した前文によって具体策を示した各条は制限を受けるという申立人代言人の発言によれば、理念のみの解釈によって条文に対して自由に制限や拡大を行うことが可能となり、それこそ申立人代理人が申立理由の論拠としているイデオロギーや国家政策の介入による自由の制限、ファシズムにつながることとなるでしょう。であるからこそ、憲法解釈に拘わる最高裁判断は大法廷において具体的事例に基づいて行われているものであると理解しています。

 此のような在り方に添わず、申立のように解釈が各条を制限することを許すこととなれば、申立内容にある良心の自由をも制限することとなり、申立内容と其の論拠が自己矛盾を起こすこととなります。

 そもそも、理念を確実に実行せしめるために、其の解釈に基づいた具体的な各条が定められているものであり、各条の遵守なくして理念の達成は成し遂げられないものです。

 なかでも、思想、信教、信条、良心といった内心の自由は、他者の自由を阻害しない限り最大限優先されるものであり、また、それを表現する自由も刑事的な場合や公序良俗を害する場合を除き、他者からの即時申し入れ等のない限り自由であり、これを遡及的、将来的になお網羅的に制限するならば、それこそ日本国憲法の理念に抵触することになると考えます。」


「そろそろ最終の意見表明の時間ですが、申立人代言人は何かありますか?」

「…、いえ、これまでの発言で全てです。」


「被申立人は何か有りますか?」

「委員長。」

「フロイライン・ヴィルヘルムス。」

「私は戦争や帝国主義を賛美するために愛国行進曲を歌ったのではありマセン。此の国の若い人々が自ら歴史的な検証もせずに、敗戦をあたかも都合のよいリセット・ボタンのように捉えている状態を考え直して欲しかったからデス。

 自ら歴史を検証して考え、戦勝国から与えられた見本ではなく、自らの意思や意見を持たなければ、どのような立場でアッテも、海ゆかばで送られていったSeele(英霊)に申し訳がたたないと思いマス。

 それが国を考えるということでアリ、歴史を考えるということでアリ、政治を、社会を考えることでアルと、私は信じていマス。」


「もう、宜しいですか? では、私たち三人で合議をして、明後日金曜日に、此の場所で結果を発表します。」


 全員が起立して其の日の委員会が終わった。


 *     *     *


「お疲れ様でした。」

 僕は、委員会室の息苦しい空気から解放されて玄関ロビーのベンチに腰掛けた二人に自動販売機の紅茶を手渡した。


「有り難う。」

「Danke...」


 少しの沈黙の後、エリーが立ち上がって三隅さんに頭を下げた。

「どうも、ご面倒をおかけしマシタ。」

「いえいえ、私もドイツ語圏からの留学生をお世話した者の端くれですから。微力ながら、ね。」

「駿河サンも、どうもアリガトウ。手、アタタカカッタ。」


 確かにあの時のエリーの手は迚も冷たく、拳だけではなくて、雨に打たれた子犬のように全身がふるふると震えていた。


「まあ、二時間の一本決着だから、有効でも技ありでも、一撃取った方に有利になるのよ。彼方さんの認識不足や矛盾を露呈させることにも成功したし、誘導尋問にもすんなり引っ掛かって呉れたから、一応ベストは尽くせたわね。」

「受験を控えた大事な時期に、本当に有り難う御座居ました。」

「Vielen Dank für Ihre Hilfe.(ご厚情に感謝申し上げます)」

「いえいえ、どう致しまして。じゃあ、駿河君、後はメンタル・ケアを頼んだわよ。

 Auf Wieder Sehen(またね)、 Fräulein Wilhelms.(ヴィルヘルムスさん)」

 改めて頭を下げる僕らに手を振って、三隅さんは紙コップを屑籠に放り込み、玄関を出て行った。


 *     *     *


「Herr Suruga!(駿河さん)」

「はい…。」

「Zeigen Sie es mir bitte.(教えてください)

 Ist es hier Deutschland unter Naziverwaltung?(ここはナチス政権下のドイツですか?)

 Oder ist es hier die Deutsche Demokratische Republik?(それともドイツ民主共和国ですか?)」

「ごめんね…。」

「War das setzt ein Renngericht?(あれは民族裁判所ですか?)

 War das Stelle bevölkert Gericht? (あれは人民裁判所ですか?)

 Bin ich nationaler Landesverrat? (私は国家反逆罪を犯しましたか?)

 Nehme ich ein Todesurteil?(私を死刑にでもする気ですか?)」

「…。」

「Wann hatte Japan auch dieses Hindernis?(いつ日本にもあの忌まわしい壁ができましたか?」

「…。」

「あなた方の政治的な無関心が、一方で逆にTotalitarismus(全体主義)やStaatsozialismus(国家社会主義)を生むんデス。本当の自由というのは本に書いてるコトや誰かの言ったコトに其の儘従うのではなくて、自分で考えて、自分で行動して、手にスルものです。元から存在する自由なんてありマセン。」

「うん…。」

「Ah,...Ich entschuldige mich. (ごめんなさい、許して頂戴) アナタ一人を責めても不可なかった…。」

「否、言う通りだから。」


 *     *     *


 金曜日。僕ら三人が委員会室に行くと、相手方は三田さんしか来ていなかった。定刻になり、委員長以下が部屋に入って来た。


「皆さん、ご起立をお願いします。これから第十三号案件に関する裁定結果をお伝えします。」


「裁定結果。申立人、二文乙五、細川剛史君の申し立てについては、棄却する。以上です。」


 委員長の末長さんが書面を朗読し、三田さんの方に、そして僕らの方に、其の書面を見せた。


「これで第十三号案件に関する調整を終わります。なお、本件の採決結果は却下ですから、委員会議事録に記載されて閲覧は自由ですが、掲示板での特段の公表はありません。以上です。」


 *     *     *


「三田君たち、敗けを認めていたようね。」

 三隅さんが紅茶を飲みながらぽつりと言った。


「一人で見えていたことですか?」

「そう、此の敗けは彼らにとって可成りのダメージなのよ。表現と内心の自由が保障された訳だから、彼らに対する意見表明や反対行動も堂々と出来ることになる。」


「ソレは当たり前デショウ。

 die Freiheit beschränkt, ist keine wahre Freiheit..(他者の自由を認めない自由など自由とは呼ばない)」

「フロイライン・ヴィルヘルムス? 残念ながら、御存知のとおり、どこにでも自由や平和を唱えながら、自分達の意見以外を認めようとしない人も居るのよ。」

「天から降ってきた自由に寝ぼけているからデス。」

「そうね、其の通りかも知れないわね。」


「何か、報復とかに気をつけた方が良いですか?」

「ん~、彼らは過激な行動をするグループじゃないし、今回のことは掲示板には出ないから、それ程の心配は要らないと思う。

 でも、彼女の意見を正しく周囲に伝える必要はあるわ。それをしないと、まだまだ色眼鏡で見る輩が居るから。ノンポリからすれば所詮は高校生の裁判ごっこだとしか見えなくても、民主主義の体面を保てなかったとか勘違いする人も居るのよ。」

「Ah…。」

「其処は駿河君の役目よ。じっくり考えなさい。そして、彼女とよく相談しなさい。それが貴方達の理解を進めて、絆を深めて呉れる筈だから。」

「はい…。」

「しっかりしなさい。まだ五月じゃないの。あと十か月あるのよ。」


 *     *     *


 三隅さんの言う通り、まだ学年は始まった許りだ。

 目前に他の学校でいう運動会や体育祭に当たる競技戦も迫っている。


「駿河サン?」

「Was?」

「アレ、用意してないデスか?」

「何、アレって?」

「ほら、日本デハ、よく裁判で判決が出ると、巻物を持って出て来るデショウ?」

「ああ、勝訴、とか、不当判決とか?」

「そうそう、アレ。」


「此の状況で、よく其様なところまで頭が回るね。」

「なんだ、つまらないデスね。」

 彼女は眼鏡をずり上げながら言った。


「君は楽しんでたのかい? あの裁判ごっこを。」

「ん? 怖かったデスぅ。」

 エリーはしゃがみ込んで了った。と思うと顔を上げ、

「…と、言って欲しいデスか?」

 まるで小学生の悪戯っ娘のようにケラケラと笑っている。


「止めた、止めた、もう君の心配をするのは。」

「生きていくためには、時にはタタカウことも必要ですよ。」

「僕は平和主義者なの。」

「平和の本当の意味を全然分かってマセンね。其様な寝ぼけたことを言っている人は直ぐ滅ぼされマスね。私が占領して併合しちゃいマスよ。」

「ああ、結構だ。」

「マッタク…占領のシガイも無い人!」

 彼女が一体全体何を考えているのか、此の頃の僕にはよく分からなかった。


「♪~ワレハ~カングン、ワガテキハ~♪」

「今度は何を歌ってるの?」

「ん? バットウタイ。知りマセンか?」

「もう…好い加減にして呉れよ…。誰だよ、君を戦前から現代にタイム・スリップさせてきたのは?」

「駿河は度胸がないデスね。それでも大和魂をもった日本男児デスか?」

「そうです!」


「少しは駿河にも度胸がアルと頼もしいのに…。」

「度胸なんてものは、いざ、というときだけで充分だよ。」

「じゃ、イザというときは私を守って呉れマスね?」

「一応。」

「一応って何デスか? 一応って!」

「ほら、お世話役としての安全保障条約だから、一応ね。」


「駿河は、腰抜けデスね。それとも腑抜けデスか?」

「ん? 其処まで言うか?」

「此処まで言われると流石にセップンしマスか?」

「は? 何言ってんの?」

「あれ、間違えマシタか? ほら、勇気や気力が湧くことデス。」

「それは《発憤》だろ? 《接吻》と言ったら、キュッセ(口づけ)のことだよ。」

「…。」

 エリーが立ち止まって俯いている。


「何? 真っ赤になってるよ。恥ずかしいの?」

「一応…。」


 見方次第ではベーデ以上に強気で、あれだけの大立ち回りをしていながら、キスという単語一つで真っ赤になって了う彼女に可愛らしさを感じながらも、まだまだ理解できないこの留学生と過ごす、これからの十か月が目の前に重くのしかかっていた。

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