二文乙六 薔薇 (2)日本語でダイジョウブです

 委員会開催の日がきた。

 開始時間の五分前に委員会室に入ると、既に相手方の三人が座っていた。が、其処に細川の姿は無かった。


「…矢っ張りね、鳥渡ちょっとばかり手強いわよ。…」


 三隅さんが僕に耳打ちし、エリーにも一言何かを言った。

 それを聞くと、彼女は椅子に座り直し、今までより背筋を伸ばして顔を上げた。


「お待たせしました。」


 委員長の末長さんを先頭に、二人の副委員長、事務・書記役の自治会執行委員三人が入って来た。


「ご起立をお願いします。これから、本年度第十三号案件に関する調整委員会を開会します。なお、本会は一回のみの開催とし、非公開です。午後七時までで議論を終了します。延長、再議論はありませんから、円滑な進行にご協力をお願いします。ご着席下さい。」


 委員長は室内背面の黒板に目を止め、眉を潜めた。


「後ろの文面は、此の中の誰かが書いたのですか?」

 誰からも返事はなかった。


「書記は開会前にそういう事実があったということを、文面とともに書き留めておくように。それから執行委員はあの文面を消してください。なお、この文面は本案件の審議には一切考慮しません。」


(何ですか?)

(ドイツの花文字で「ナチの犬、帰れ」って書いてあったのよ。)


「では、第十三号案件について、最初に当事者確認をします。申立人、二文乙五、細川剛史君。」

 誰も返事をしない。


「御本人は来て居ないのですか?」

「委員長。」

 相手方の中央の生徒が発言した。


「はい、どうぞ。」

「調整委員会規則第三条の但し書の規定により、三文丙四、三田良樹、三理甲一、吉田一臣、三文甲二、美作盈が代理人として出席して居ます。」

「本人からの委任状と、あなた方の生徒手帳は有りますか?」

「はい、これがそうです。」

 委員長は両脇の副委員長に、差し出された書面と生徒手帳を見せて相談している。


「分かりました。では、被申立人、二文乙六、Fräulein Ellisabetth Marie Josepha Wilhelms.」

「ハイ。」

「Sind Sie die Person selbst?(貴女はご本人ですか?)」

「ハイ。日本語でダイジョウブです。」

「わかりました。」


 通訳を介すると、実質の審議内容が半分程度になる。

 三隅さんの話では、最近の案件の殆どが「留学生」の「異文化」を発端とした「半ば嫌がらせ」にも近い「言葉狩り」のようなものが多かったらしい。

 そうした案件では代言人が「原語かつ通訳」を介することを求め、また「思い違い」「文化の違い」で請求を棄却することを求める戦術が多かったそうだ。

 この戦術は「短時間」かつ「留学生に対する負担が少ない」ので、一見良さそうに見えるのだが、「違い」と「棄却」で乗り切ると、請求者の請求趣旨そのものは否定されないので、それを盾にとって、何度でも留学生に同様の申し立てをしてくることもあるようだった。


「当事者以外の生徒は居ませんね。執行委員は被申立人及び其の代言人並びに付添人の生徒手帳を確認してください。…宜しいですか。では、事実事項と、申立内容の確認をします。」


 執行委員が立ち上がり、書面を読み上げる。

「事実事項。昭和○○年○○月○○日、三限目に行われた二文乙五及び二文乙六の音楽の授業において、被申立人、二文乙六、エリザーベト・マリィ・ヨーゼファ・ヴィルヘルムスは、森川幸雄作詞、瀬戸口藤吉作曲の愛国行進曲を歌唱した。

 申立内容。事実事項記載の歌唱により、申立人、二文乙五、細川剛史は、主権在民、平和主義、戦争放棄を三原則とした日本国憲法に基づく良心を著しく傷付けられたため、被申立人に、愛国行進曲を歌唱したことの過ちを認め、申立人に書面をもって謝罪すると共に、今後、同曲及び戦時歌謡、軍歌等を校内において歌唱等しない旨の宣誓を求める。以上です。」


 三隅さんが、一応正確を期してエリーに通訳している。

 彼女はメモを取りながら頷いている。


 委員長の末長さんがエリーの方を向き、尋ねた。

「では、先ず事実事項について確認します。フロイライン・ヴィルヘルムス、事実事項に間違いありませんか?」

「ハイ、間違いありマセん。」


「分かりました。事実事項についての争いはないと判断します。では、次に申立内容について、これを受け容れますか?」

「Nein! 受け容れマセん。」

「部分的に受け容れることはしますか?」

「Nein! 部分的にも受け容れマセん。」


「分かりました。では、申立内容についての争いを調整します。被申立人側は、申立内容を受け容れない理由について、何か事前に用意してきたことなどはありますか?」

「委員長。」

「はい、三隅さん。」

「被申立人は、本件の申立内容が客観的な根拠の無いものであり、かかる申立は、思想、信条、良心の内面的自由を定めた憲法に違反するものであるとして、其の棄却を求めます。」

「其の理由を述べて下さい。」

「申立人が、申立内容の根拠とした主権在民、平和主義、戦争放棄という日本国憲法前文に掲げられた三原則について、過日被申立人が愛国行進曲を歌唱したことによってそれが侵害されたという、個別具体的な根拠がありません。」


「委員長。」

「三田さん。」

「歌唱された愛国行進曲は、第二次世界大戦にあって、其の国威発揚のために歌われたものであり、現在の日本国憲法の趣旨と相容れないことは明白です。」

「三田さんは、総論ではなく、具体的な根拠を挙げて下さい。」

 委員長が促した。


「委員長。」

「三田さん。」

「国威発揚、即ち戦意高揚の同曲は主権在民、平和主義、戦争放棄の何れの点においても抵触していることは明らかです。」


「委員長。」

「三隅さん。」

「申立人代理人は、其の根拠を、歌詞と憲法前文の三原則を対照させて個別具体的に述べて下さい。」


「委員長。」

「三田さん。」

 三田さんは、愛国行進曲の歌詞の部分部分を逐一取り上げ、憲法前文の文言と対照させながら説明を始めた。

 三隅さんを見ると、少し薄笑いを浮かべて飄々としている。エリーも静観していて、どうやら余裕のないのは僕だけのようだった。


「三隅さんの指摘に対して、三田さんから今、具体的な陳述がありました。三隅さんは反論はありますか? また、被申立人はまだ発言されていませんが、何か意見はありますか?」


「委員長!」

「フロイライン・ヴィルヘルムス。」

「今後の展開に必要なことナノで、歌を二曲歌っても良いデショウか?」

 末長さんは両脇の副委員長と相談し、

「申立人代理人は良いですか?」

 三田さんたちは顔を寄せて相談していたが、また何かやらかしたら尻尾を掴んでやろうとでも考えたのか、

「異議有りません。」


「フロイライン・ヴィルフェルムス、長くかかりますか?」

「いえ、数分程度で終わりマス。」

「では、どうぞ。」

 エリーは立ち上がり、軽く咳払いをすると歌い始めた。


♪ Wacht auf! Verdammte dieser Erde

 Die stets man noch zum Hungern zwingt.

 Das Recht, wie Glut im Kraterherde,

 Nun mit Macht zum Durchbruch dringt!

 Reinen Tisch macht mit dem Bedränger,

 Heer der Sklaven wache auf!

 Ein Nichts zu sein, tragt es nicht länger!

 Alles zu werden strömt zu Hauf!

 Völker hört die Signale!

 Auf zum letzten Gefecht!

 Die Internationale

 Erkämpft das Menschenrecht!


♪ 海行かば 水漬く屍

 山行かば 草生す屍

 大君の 辺にこそ死なめ

 かへりみはせじ

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