二文乙六 薔薇 (1)調整委員会

【ここまでの粗筋】

 主人公の天然「駿河轟」は第一高等学校に、ツンデレ彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う二年生。

 巻き込まれ体質の駿河のクラスに来た留学生「ェリィ」は「金髪碧眼」なゲルマン少女。日本とは異なる文化と歴史に根ざした「理論派」の彼女に、お世話役の駿河は振り回され気味になりつつあり。

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 果たして、悪い予感は的中した。

 愛国行進曲を披露した週の金曜。昼休みで丁度僕と一緒に居るところに自治会の執行委員がやって来た。


「ヴィルヘルムスさんですか?」

「ハイ。」

「自治会ですが、貴女が今週の音楽の授業中に歌われた曲について、調整委員会に申し立てが来ています。来週でご都合の良い日にご出席戴けませんか?」

「駿河サン、調整委員会て何デスか?」

「喧嘩の仲裁をするところ。」

「私、誰かと喧嘩しマシたか?」

「貴女の歌で不快な思いをしたので、謝って欲しいと言っている人が居るんです。」


「では、私、其の人と直接に話しマス。」

「いいえ、調整委員会に申し立てがあったので、委員会を開かなくてはならないんです。話すことは其の場で話して下さい。」

「そうデスか? 駿河サン。」

「仕方ない、そういうみんなのきまりだね。」

「そうデスか。放課後ならいつでも良いデス。」

「わかりました。では、追ってまた、ご案内します。」

「あ、申立人は誰なんですか?」

「貴男は?」

「僕は、彼女の世話役の二文乙六の駿河です。エリー、委員会にも同席して良いかな?」

「Ja, Natürlich.(ええ、勿論よ。)」

「二文乙五の細川君です。では。」


 *     *     *


「細川がぁ…?」

「駿河サン、どうしマシた?」

「細川が其様なことまでするかなぁ…。」


 細川というのは、どちらかと言えば目立たない方で、それこそ新聞部で記事を書いたときくらいしか名前を目にしたことはない。其の記事も思想がかったものより、紀行的な特集にしか憶えがなかった。


「相手の人と話せば分かることデス。心配ないデスよ。」

「そうかな、どうも、そうはいかないかも知れないよ。」

「Warum?(どうして?)」


 僕は彼女に、調整委員会について少し詳しく説明した。

 今でこそ調整委員会という名前で個人間のもめ事の調整を役割としているが、発足当初は「司法委員会」という名前だったこと。

 今の自治会の前身だった行政委員会、そして生徒総会の前身だった生徒議会と並ぶ三権分立の自治組織の一つだったこと。

 勿論、生徒が生徒を裁くなどということには限界があって、法令上の違反は学校当局の判断に返上されたこと。残った個人間のもめ事調整も、本当に日常的な諍いは寧ろ当人同士で解決することが多く、調整委員会まで持ち込まれるのは、最近では思想に関するものが多いこと。

 そして、それを利用した所謂左翼系の生徒の自説主張の場となっていることも多いこと等々。


「ウヨク系の生徒は?」

 エリーは、概要を聞いて心配に思うどころか、面白そうに訊ねてきた。

「右翼系の生徒は、ほら、言論より行動に走っちゃう方が多いから。」

「成る程。では、私は、其の所謂サヨク系の生徒に、ウヨク的な思想の持ち主だと思われたか、分類されたか、ということデスね。」

「うーん、まだ断定できないけど、細川の後ろに誰か居そうな気がする。」


 *     *     *


 僕は、裁判で言えば弁護士に当たる「代言人」に、三文乙六の三隅さんをお願いした。彼女は、居合道部の主将を務めた人で政経や歴史にも明るく、語学も堪能。何より前年度のドイツ語圏からの留学生のお世話役を務めた人だった。

 僕がエリーの世話役になった時、三隅さんは先生方から何かしらのオフレコ情報を仕入れていたらしく、「今年は『日本語はお上手』だけど、他の点で可成り手こずるわよ。他所見しないでしっかり周りを見回していきなさい。何かあればすぐいらっしゃい。」とアドバイスを受けていた。


「ふーん、十中八九、社会主義革命の研究を鼻にかけた一派か、新聞部を隠れ蓑にしている面倒な連中が暗躍してるんでしょう。

 留学生をネタにして主義主張を展開すれば全校的なプロパガンダになると思ってるのよ。こちらにしてみれば、其の留学生の問題だし、負けると後々厄介ね。

 分かった。丁度受験勉強の合間で頭も身体も鈍っていた所だし。」

 三隅さんは、指を鳴らして快諾して呉れた。


「駿河サン、負けるとどうなりマスか?」

「事の次第と、それに関する相手の意見を受け入れたということが掲示されて、其の上、長い長い反省文まで書かされることもある。」

「ハンセイブン?」

「そう。無条件降伏。屈辱的でしょ?」

「絶対に書かない。私、タタカウ。」


「三隅さんは指を鳴らしていたけれど、別に取っ組み合いをする訳じゃないからね。」

「裁判官は誰デスか? 先生?」

「否、生徒だよ。生徒といっても、二年の特別講義で法学をとって成績優秀、さらに三年に進級するときに立候補して、最初の生徒総会で全校生徒の四分の三以上の信任を得た人しか成れない。」

「其の人は中立なんデスか?」

「一応ね。これまでの委員会裁定を見る限り、そうだと思うけれど、何人か居るからね。誰が担当になるかでも多少違ってくるかも知れない。」

「フ~ン。」


 *     *     *


 週が明けた朝、開催日の案内が来た。

 調整委員会は一回しか開かれない。何度も開催すれば、其の間に証拠が改竄や捏造されたり、問題が逆に大きくなることが多かったからだ。

 水曜の午後五時から二時間、となっていた。完全下校の時間まで、ということで延長を無くしている。

 委員長は三文甲二の末長さん、副委員長は三理乙五の高山さん、三文丙七の崎川さんだった。


 委員の顔ぶれを見た三隅さんは、

「末長君は駿河君の中学校の先輩であるわよね。個人的な贔屓を抜きにしても英法中心の考え方だし、中立性も高いから問題ないわ。崎川君は去年の法学概論でフランス法学に可成り拘っていたから要注意。キャスティングボードを握りそうなのは英・独法中心の高山さんね。理屈に適った方に靡くわ。」


 それから二日間、三隅さんは忙しい中、エリーの意見、背景事情をじっくり聞き込んでいた。

 成る可く本当のニュアンスまで聞き度いということで、会話は全て原語だ。正直、一年だけの違いというより、学びたての僕には全く理解出来ない話が沢山あった。


 彼女たちの打ち合わせが全て終わってから、僕は帰り際の三隅さんに呼ばれた。


「ん~、彼女の考えは流石に可成り深い、かつ、しっかりしているわね。其の分、生半可な知識で挑んで来る相手だったら、此方に利するところも多いと思うけれど。

 問題は、単なる歌として門前払いを求めるか、思想・信条に基づくものとして徹底的に争うか。」

「エリーの意見はどっちなんですか?」

「後者ね、誤魔化しくないって。」


「理屈面は私が整理して彼女と作戦を練るから、貴男は精神面で彼女をフォローして頂戴。」

「それだけで良いんですか?」

「あの娘、強そうに見えて、実際に理屈面では鉄壁だけれど、矢っ張り外国に住んでいることもあって、精神面で脆いところがあるわ。

 やって来て早々に宗教裁判めいたものに巻き込まれたら誰だって参るわよ。多分、相手は一瞬でも彼女が隙を見せたら、其処を突いて論撃してくると思う。」

「そうですね…。」

「あの娘が、今のところ精神的に、理屈抜きで安心出来るのは、どうやら貴男だけみたいだから、しっかり支えてあげないと。」

「分かりました。」


 僕は、エリーが落ち着けるよう、一緒の帰り道、成る可く彼女の話を聞くように努めた。


「駿河サン?」

「Ja?」

「私、間違っていマスか?」

「君の考えの先に、人が嘆き悲しむ結果をもたらすものが無いのなら、間違ってないさ。」


「でも、申し立てをした人は悲しんだ、と言っていマス。」

「思想や信条が全く同じ人間なんて居ないし、それこそ十人十色、千差万別だよ。自分の意見と違うから悲しい、というのは自由だけれど、それを無闇に「謝れ」、というのは可笑しい。」

「でも、此処はJapanデショウ。Japanでは事件を丸く納めるタメニ、時には自分を犠牲にして謝ることも必要デスか? 私がゴメナサイと言えば済むのナラ、ゴメナサイした方が良いデスか?」


「相手もそう思っているのならね。でもこれは違う。君が謝れば、多分、今回の相手は和解の手を差し伸べるどころか、下げた頭を踏みつけてくるよ。だから君は主張を曲げるべきではないし、僕もそれを支援する。」

「本当にそう思いマスか?」

「僕は方便を言えない性質なんでね。」

「安心しマシた。同じ方向を向いている人が居て。」

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