二文乙六 春嵐 (4)見よ東海の空あけて

【ここまでの粗筋】

 主人公の天然「駿河轟」は第一高等学校に、ツンデレ彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う二年生。

 巻き込まれ体質の駿河のクラスに来た留学生は「金髪碧眼」でも「極めて普通」なゲルマン少女。お世話役の駿河は、請われるまま彼女を応援部に連れていく。

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「…厳しい人だけど、別に怒ってんじゃなくて、ああいう顔なの…。」

「…ソウですか? お願いします…。」


 副島さんは、一分ほど考えてからカッと目を開き、


「本人が構わないのなら、途中からでも、一年だけでも、何も問題はなかろう。」

 と、怒るでもなく、笑うでもなく、淡々と答えを出した。


「エリー、良いって。」

「ありがとぅございマス。」


 丁度、其の日は久我ゾンネさんが指導に来ていて、エリーに基本的な練習の仕方を教えて呉れていた。


「僕ぅ!」

「もう二年なんですから、好い加減、其の呼び方は止めて下さい。」

「僕ぅと呼ばれるうちが花だわよ。私なんか、もう来年は二十歳。良い? 二十歳よ! 二十歳。十九じゃないの、二十歳なの!」

「今日はまた可成り拘りますね。またそれですか? もう克服したんじゃなかったんですか?」

「克服しようがしまいが、二十歳はやって来るのよ。そして下り坂をジェットエンジンを背負って駆け下りるように二十五、三十、三十五と…。」


夫々ぞれぞれの歳らしい美しさを追求されたら良いでしょうに?」

「ああ、そう言われればそうね。少年、矢っ張りたまには良いこと言うわね。」

「で、彼女はどうなんです?」

「ああ、彼女、道着の着方は知ってたわよ。私よりしっかり着付けが出来てるし。流石に日本留学生ね。」

「へぇ。」


「あと、水泳部経験者だけあるわね。『僕』なんかより余っ程筋肉があるわよ。」

「ですから、其の《僕》っていう言い方はもう止めて下さいって…。」

「ちゃんと練習しないと、彼女にも劣る《僕》で終わるかもよ。」

「はい…」


 *     *     *


 音楽の授業では、年に一回、必ず一人一芸があった。授業時間百分のうち、最後の十五分を三人に割り当てて、小さな発表会をするのだ。

 誰かと組んで持ち時間を合わせても良いし、単にボランティアで協力を依頼しても良い。


 エリーは級友の女子に伴奏をお願いしたと言っていた。


「好きな日本の歌を一曲。私が歌を習ったのは祖父からなので、可成り古い歌デスけれど…。では、お願いシマス。」


 エリーの地味な容姿からは鳥渡ちょっと意外な勇ましい前奏に続いて彼女は、通る声で朗々と歌い始めた。


 見よ東海の空あけて 旭日高く輝けば

 天地の精気溌溂と 希望は踊る大八洲

 おお晴朗の朝雲に 聳ゆる富士の姿こそ

 金甌無欠ゆるぎなき わが日本の誇りなれ


 起て一系の大君を 光と永久とわに頂きて

 臣民われら皆ともに 御稜威みいつに副わん大使命

 往け八紘を宇となし 四界の人を導きて

 正しき平和打ち立てん 理想は花と咲き誇る


 今幾度いくたびか我が上に 試練の嵐たけるとも

 断固と守れ其の正義 進まん道はひとつのみ

 ああ悠遠の神代より とどろく歩調受け継ぎて

 大行進の行く彼方 皇国常に栄えあれ


 僕等は、彼女の透き通った綺麗な発声にも驚いたが、其の歌が何であるかを理解している人間は最早殆ど居らず、ただポカンとする許りだった。


「あ、私の日本語、矢張り可笑しかったデスか?」

「いやいや、綺麗な発音だったよ。見事な愛国行進曲だった。此の曲は、時代的な背景もあるから今でこそ殆ど歌われないけれど、音楽的かつ文学的なエピソードにも事欠かないどころか、非常に情報が豊かな曲だ。」

 自身が東京音楽学校から出征し、軍楽隊の経験もある加賀先生が講釈を始めた。


 *     *     *


「エリーはナショナリストなの?」

「違いマスよ?」

「ナチとかヒトラーとか?」

「あぁ、きちんと歴史は認識していマスよ。不勉強なのは駿河の方じゃないデスか?」

「どうして?」

「あなたはDeutscheドイツDeutscheドイツ人の国だと思ってマスね?」

「うん。」

「ではÖsterreichオーストリアは?」

「オーストリア人の国。」


「深い意味デハそうデスけど、…デハÖstereichenって何デスか?

「オーストリアに住んでいる人。」

「ハァ…幼稚園並デスね。」

「アラ。」

「Ja Nein(否応は)別にして、二次大戦で分割占領されたのはDeutscheや朝鮮半島だけじゃないデスよ。」

「そうなの?」


「日本は幸運にAmerikana(アメリカ)の単独占領でしたから暢気なんデス。」

「そう?」

「そうデス。おまけに朝鮮半島の戦争で復興して。」

「言われればそうだな。」


「駿河もÖsterreichはナチズムの国だったと思っていマスか?」

「映画とかで、嫌々でドイツと一緒に戦ったというのは知ってるけど。」

「Deutsche(ドイツ人)の《国》としての元々の源はÖsterreichです。」

「そうなの?」

「…世界史…勉強してマスか?」

「あんまり。」

「末期的デスね…。」


「日本人は、みんな其の程度の認識だと思うけど。」

「だ~から私があの歌を歌ってもみんな変な顔をしてマシタか。」

「日本でああいう戦前の歌を唄うと右翼や国粋主義者だと思われる。」

「ナチズムと愛国主義は一緒にされることが多いデスけれど、別です。寧ろDeutscheやÖsterreichの真の愛国者はナチにとって鬱陶しい存在デシタ。」

「そういうと日本的な発想だと戦争反対論者が愛国者だったってこと?」

「それも短絡的すぎマス。Österreichだっていろいろな考えの人間が居ます。Deutscheと一緒になりたかった人、なりたくなかった人、でも、夫々冷静に考えて主張しています。Japaner(日本人)の誇りや大道は何処に行きマシたか?」

「だって戦争で負けて全否定にされたから。」


「ファシズムや侵略目的の戦争は否定されるべきデス。それと国を愛するということ、植民地宗主国を追い出して共に発展するということは別物デス。」

「エリーは国という考え方に縛られることが争いを生んでいるとは思わないの?」

「それは統治者にヨルでしょう? 国家連合を進めて国境を無くしても、統治機構が悪ければ意味がありマセン。」

「ふ~ん。」

「もっと勉強しなケレバ、駄目デスよ。」


 彼女は、前を向いた儘、僕より先を歩いている。

 僕が幼かっただけなのか、それとも彼女が言うとおり、日本全体が平和ぼけしているのか。

 いずれにせよ、僕の周りでは此処まで『我が身のこと』として政治や体制をクチにする人間は急激に少なくなりつつあった頃だった。

 経済成長が始まって国勢が安定し、学生が政治に対して関心を持つということの是非が議論される中で、強く政治参加を求める学生達が、体制に対して批判的な活動を強めたり、学生同士の批判や攻撃を繰り広げている時期でもあった。

 彼女は、見た目は地味でも可愛らしく、はっきりしていて付き合いやすい反面、言うべきことは必ず言う、絶対にナアナアで納めたりはしない、そういう個人的特質は日に日に明らかになっていった。

 日頃から何かにつけ議論をふっかける、あるいは攻撃的という訳ではないので、あからさまに敬遠されるほどではないにしても、地道で、理屈っぽく、徒に迎合したりしない彼女は、日本人からみれば女子というよりは男子に近いような存在にすら思われた。


(大丈夫かね、此の娘は…。)


 まだ『日本的』な「不明朗・円満解決」に慣れきっていた僕は、そんな彼女を疎ましく感じている存在がチラチラとは気になっていた。

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