二文乙六 春嵐 (3)いきなり制服の袖とスカートをめくって

【ここまでの粗筋】

 主人公の天然「駿河轟」は第一高等学校に、ツンデレ彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う二年生。

 何でも巻き込まれる体質の駿河の高校二年目は、留学生の登場から始まった。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


「ェリィ?」

「Was?(なぁに?)」

「あ、…あぁ、Was? で良いんだ?」

「そぅデスね、丁寧に言えば Was machen Sie?(どうしました?) ですケド、大体 Wasダケ。で、何デスか?」

「日本語でノートとるの?」

「Nein.(いいえ) まだ独語ドイチェで書く方が速いので、独語です。」


「聴き取ることは出来るんだ?」

「ハイ。テレビのニュースくらいの速度なら聞き取れマスから、授業なら大丈夫デス。」

「分からない単語とかあったら聞いてね。」

「Vielen Dank.(どうも、ありがとう)」


「通学、大丈夫? 電車、混むでしょう?」

「ハイ。まだ鳥渡ちょっと慣れマセン。」

「帰りは大丈夫?」

「今日は、これから何がありマスか?」

「今日は、もうお終い。」

「え? 授業は無いデスか?」


 少し驚いたような表情で此方を見つめている。聞こえてくる言語は紛う事無き日本語なのだけれども、目の前の彼女は、それまで肉眼では見たこともない金髪碧眼の白い肌だ。そう考えてみると、何故ベーデではそういう感情が一切湧かなかったのかが不思議にも思えた。


「う、うん。なんだかんだ休みが多いよ。一高うちは。」

「Ah... そうデスか。」

「どうする? 学校の中を案内しようか?」

「アリガト。お願いシマス。あと、出来たら、本屋さんに行き度いデス。」

「良いよ。帰り道の大きめな本屋さんに寄ろう。」

「ドモアリガト。」


 一通り校舎の中を案内をしていると、英語圏、フランス語圏からの留学生君たちもお世話役の生徒とウロウロしていた。


「ハァ、一度じゃ分かりマセンね。」

「そうだね。暫くは僕と一緒に動こう。」

「アリガトゴザイマス。イタミイリマス。」


 *     *     *


 此方が帰り道だという方向の電車に乗り、地下鉄への乗り換え駅にある大きな本屋に寄った。


「洋書のお店が良ければ、また案内出来るよ?」

「アリガと。今日は日本の本屋さんを見たかったので、此処で大丈夫デス。」


 一通り本屋を冷やかした後、まだ帰り道が不安だというので家まで送って行くことになった。


「留学生会館とかなの?」

「Nein、大使館員のご家庭のお隣に一人暮らしデス。食事は一緒の居候デス。」

「ふーん。《居候》なんて、難しい言葉を知ってるんだね。」

「ハイ、《居候、三杯目にはそっと出し》デス。」

「凄いねぇ。其様なことまで知ってるの?」

「コレってどういう意味デスか?」

「ハハ、何だ、意味までは知らないのか。」

「何でも知って居レバ、留学には来マセン。」


 最初は何やらベーデ並みに屁理屈で突っかかる娘だな、と思ったものの、当人には全然悪気も無さそうで、相変わらず屈託なく笑っているので、これが西洋人の標準なのかな、と納得して了った。


「Ja, 此処デス。アリガトゴザイマシタ。また道に迷ったら、送って下サイね。」

「分かった。じゃ、又、明日。」


 フロントマンの居るマンションというのは初めて見たけれど、外交官や外国人ならばそれなりの暮らし向きというのもあるのだろう、と彼女の後ろ姿を見送った。


 *     *     *


 翌日から、彼女は「到着」モードから「普段」モードになった。

 彼女に欠かせないものといえば、三つ編みと大きな眼鏡。それがトレードマーク。

 髪は後ろにまとめている時間がないのか、着校当日のように手の込んだ編み上げまでしてくることは稀で、三つ編みの儘お下げ。眼鏡は自重で下がってくるのか、大抵は高い鼻に漸く引っ掛かっている感じだ。

 鞄は革製の3ウェイバッグをランドセルのように背負い、体育のある時などはそれにボストンバッグを加えて、何やらどこかへ合宿か遠征でもするような出で立ちで、エッチラオッチラと学校に遣って来る。


「今年はドイツ語が基幹年なんでしょう? オーストリアの名門高校のお嬢様だって聞いたけど、矢っ張り勉強が出来るとああいうふうに地味な訳?」


 口の悪い女子からは、此様な小声も聞かれた。

 彼女は、当たり年基幹年だけあって、確かに優等生だった。それが他の皆に明らかになるような機会はそうそう無かったのだが、一緒に居る僕が垣間見る彼女のノートは、迚も綺麗に整理されていて、独特な方法で纏められていた。


 英国やフランスからやってきた彼らは、時折学校のそばまで車で送られて来て、すらりとした長身を屈めて降りる姿が屡々目にされていた。

 しかし、エリーは、雨の日も風の日も、荷物が少なかろうが多かろうが、傘を差して、髪の毛をボワボワに乱されながら、エッチラオッチラと遣って来た。


(ドイツ人て倹約家だって言うけど本当みたいね。)

(留学も全額奨学金で来たんじゃないの?)

 どこにでも居るこうした女子の陰口が男の耳にまで入るほど流布していても、当の彼女は、全く意に介さず、マイペースで毎日学校を楽しんでいた。


「Herr Suruga?(駿河さん?)」

「Ja」

「クラブ活動は何をシテいますか?」

「応援部。」

「オウエンブ?」

「In Englishce, Cheer Leaders.(英語で言えば、チアリーダー)」

「Ah, Warum? (どうして?) Cheer Leaders?(チアリーダーに?) Herr Suruga(駿河さんは)、踊りマスか?」

 彼女は、上半身だけで何やらチア・リーダーっぽいダンスの真似をしている。


「違う、違う。一高ここのCheer Leadersは、鳥渡違うの。」

「どういうものデスか?」

 僕は見せた方が話が早いと思って、放課後の練習に連れていった。


「Ah, これは古典芸能デスか?」

「うーん。伝統芸といえば、伝統芸かもね。」

「興味深いデス。」

 これだけだとまた偏った知識になると思って、土曜には六大学野球を見に、神宮球場に連れて行った。


「私、Baseballの試合を見るのは初めてデス。」

「本当?」

「EuropaではFußball(サッカー)の方が一般的デス。」

「ああ、そうだね。」

「これも面白いデスね。」


「エリー、あ、ごめん、ェリィ?」

「良いですよ。エリーでも、ェリィでも。」

 野球観戦の帰り、アイスクリームを舐めながら神宮外苑を歩いている途中で訊いてみた。


「日本に居る間に、何かしておき度いこととかある?」

「Ah, etwas (何か)身体を動かすコト。」

「エリーは、オーストリアの高校では運動部だったの?」

「これでも私、Athletデス。」

 彼女はいきなり制服の袖とスカートをめくって手足の筋肉を見せた。


「あ、こら、其様なめくっちゃダメだよ。」

「ダイジョブですよ。ほら、下はHosen(ショートパンツ)デスカラ」

「へ? なんでまた?」

「東京、地下鉄も多くて風が何処から出て来るか分かりません。此の間、送風口の上に乗って、マリリン・モンローのようになって了いマシた。」

「通風口の上に乗らないように気を付ければ良いだけのことじゃない?」

「一々気を付けるのは面倒デス。それに、地下鉄の中では、常時下から風が巻上がりマスから。」

「へぇ…大変なんだな。」

「エエ、大変デスよ。」

 裾と袖を直しつつ、ニコニコしている。


「あ、それで、身体を動かすって?」

「ソです。」

「じゃあ、陸上部とかに入る?」

「私、Österreichでは水泳部デシタ。」

「じゃあ水泳部に入る?」

「同じものじゃつまらない。オウエンブに入り度い。」

「は?」

「駄目デスか?」

「どうかな。相談してみないと。」

「お願いしマス。」


 *     *     *


 週明けの放課後、彼女を連れて部室に行く。

 副将兼総務兼渉外の副島さんに話をしてみる。

 部室に入った途端、彼女は雑誌を読んでいる副島さんの顔を見て固まっていた。


「…駿河サン…?」

「何?」

「…あの先輩、怒ってマスか…?」


 副島さんは、応援部の中では珍しく無口で強面、常時眉間に皺を寄せて、怒っているのか困っているのか泣いているのか分からないような顔をしている。

 其の日も彼女の話を聞いた後で、苦虫を噛み潰したような顔を更に渋くして腕組みをすると、部室の天井を仰いで黙って了った。

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