二文乙六 春嵐 (1)将来の夢のため

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は第一高等学校に、彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う二年生。

 中学卒業と同時に付き合い始め、大事に想いを伝えあって丸一年。多少のすれ違いや疑念も何のその。天然な駿河とツンデレのベーデの高校二年目が始まる。

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 新学期まであと三日と迫った。

 高校一年から高校二年へという何事もない春休みは、相変わらず毎日のように彼女ベーデに呼び出されていた。


「お盛んな一年でしたわね。」

「何だ? 顔を合わせた途端に嫉妬か?」

「誰が? 誰に?」

「あんまり皮肉ばっかり言ってると、美貌に障るぞ。」

「どうせ私は、久我ゾンネさんみたいに映える宝塚系じゃありませんよ。」


 部屋の中で、ぷいと横を向いて了ったベーデの肩を掴んで、グイと此方に向けた。僕は普段、滅多に自分からは手を触れたりしないので、彼女は多少戸惑った様子を見せて、驚いたような目で此方を見ている。


「良いか、一度しか言わないからよく聞けよ。誰が、お前に、何を言ったか知らないが、俺は外見も中身もお前が一番だと思ってる。賢いし、優しいし、綺麗だし、可愛いから好きだ。俺にはお前が必要だ。これ以上の言葉が必要か?」


 ベーデは、もっと驚いた目をして僕を見つめていたが、目を細めると、プッと吹き出した。


「ダメ…、アハハ!」

「何だよ! 人が折角真面目に伝えたのに。」

なぁに? それで、ご褒美でも欲しいの?」

「俺はペットじゃないぞ!」

「そうね…、勿論ペットなんかじゃないわよ。ん~、じゃあ騎士ナイトね。でもまだ見習いよ。これ、姫の前で頭が高い!」

「はっ。」


 僕は(仕方がない、小芝居に付き合うか)と心の中で舌を出して、立て膝をついて頭を下げた。


 彼女は僕の前に立ち上がると、

「よう言うた。直答を許す。近う参れ。」

 何処で其様な台詞を覚えてきたのだか、時代劇か映画の見過ぎだ。


「はっ。」

 怒らせると怖いので、芝居を続けて跪いた儘、少しにじり寄る。

「拝謁を許す、おもてを上げよ。」

「はっ。」

 一応、お約束で、まだ下を向いた儘。


おもてを上げぃ! 顔を見せよ!」

 そう言うと、ベーデは僕の前に、お姫様しゃがみをした。


「ははっ。」

 ゆっくり顔を上げると、目の前に彼女の顔があった。

 其の目を見つめる暇もなく、彼女は僕の頬に両手を添えて小首を傾げ、額を近づけてきた。


「褒美じゃ。汝の言葉、満足であった。」

「有り難き幸せに。」

 僕は一礼して、顔を上げた。

 ご機嫌取りも大変だ。


 目が合うと、二人して吹き出し、カーペットの上で笑い転げた。

「アハハ、あ~可笑しい、中学校の頃いちねんまえじゃ、迚も考えられないわ。」

「ベーデ、ちゃんと勉強してるか?」

「え? してるわよ。貴男は?」

「一応、二年には上がれた、らしい。」

「何よ情けないわね。それでも外交官志望なの?」

「ん~、そうだな。懲りずに二年用の教科登録簿にも備考欄に書いたけど。」

「願い続けてれば叶うってものじゃないわよ。」

「だな。勉強するわ。」


「二外は? 何を択るの?」

「ドイツ語。」

「じゃあ、文乙ね。内村君イチとかと一緒でしょ?」

「多分。ベーデは?」

「私は、英語を磨いて、語学学校でドイツ語とフランス語とスペイン語を習う。」

「其様なに大丈夫か?」

「将来の夢のためには今から基礎を養っておくのよ。」

「そうか。」


 *     *     *


 二年生になると第二外国語が始まることは知っていた。

 春休みの教科登録では、久我ゾンネさんのアドバイスどおり、ドイツ語を希望しておいた。

 僕は彼女の御蔭で、少しばかり成績は持ち直していたものの、まだまだ彼女の後を追うだけの力量など、とても持ち合わせてはいなかった。

 それでも、志望は志望として、将来の職業欄には「外交官」と臆面も無く記入し、文科、理科の分類でも文科に○印を付けて提出した。


 *     *     *


 始業直前の教科書販売日、科類とクラス分けが同時に発表された。僕は希望通り文科のドイツ語選択クラス「二文乙六」となっていた。(九枚貼られている「二」の紙に名前が無ければ「一」の紙に名前がある。つまり留年だ。)


「おい、留学生がうちのクラスに来るなぁ。」


 イチが、いつの間にか横に来て呟いている。


「あ? おお、有るな。」

 名簿には《以上四十四名 外 留学生一名》となっている。


「名前か,せめて性別くらい書けば良いだろうに。」

「まあ、こういう作業なんてものは、前例踏襲だから。」


 僕らはさして気にもせずに、寧ろ深刻な重さの教科書の山を前にして、どうやって肩を痛めずに持って帰るかの方に頭を悩ませていた。


 *     *     *


 始業式の朝、教室に留学生の顔は見当たらなかった。


「あ~、始業式の後に着校式があるから、留学生が皆と顔を合わせるのは、其の後だ。」


 何を勿体ぶっているのか知らないが、留学生には到着時の着校式と、帰国時の離校式が用意されている。

 先輩の話によれば、通常、留学生の数は三人。

 英語圏、仏語圏、独語圏から各一名ずつで、「圏」とは言っても、殆どというかこれまで英国本国、フランス本国、西ドイツ本国以外の国からの留学生は居ない。

 そして、一年交代で基幹になる語学があって、去年は英語、今年はドイツ語、来年はフランス語の順になっているそうだった。以前は中国語圏、朝鮮語圏、スペイン語圏からの留学生も居たが、政情を反映してか否か久しく途絶えていた。


「基幹になると何かあるんですか?」

「うーん、音楽部の定期演奏会の演目が其の国の曲目になったりとか、まあ、一応いろんな行事のネタにしやすいっていうだけの話よ。」

「一年も留学に来るってことは、一年を棒に振る訳ですよね。留学生は。」

「それくらい何でもないっていう、精神的にも経済的にも余裕のある子しか来ないから。」

「そういうもんですか。」

「考えてもみてご覧なさいよ。君が一年間、海外で生活する、って言ったら大変な精神力と経済力が必要よ。」

「そうですねぇ。日本語も堪能なんですか?」

「それこそ人によりけり。留学生の入ったクラスでは『お世話役』が指名されるから、もし日本語の出来ない子が来ると大変ね。」

「おおお…。」

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