一音六 晩冬 (3)タイプが違うから浮気する

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は第一高等学校に、彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う一年生。

 臆することなく互いに想いを傾けながら育つ二人。

 駿河の高校での「育ての親」ゾンネさんの大学受験も終わり、駿河とベーデは合格発表を見に行く場に招待された。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



 三月半ば、僕はベーデを連れて本郷に来た。

 大学の正門まで辿り着くと、既に久我ゾンネさんが待っていた。


「Guten Tag!」

「こんにちは」

「はじめまして」


 久我ゾンネさんは普段のように大きな声で明るく出迎えて呉れた。未だド近眼の巫女さん然とした恰好だ。


「もう発表ご覧になって来たんですか?」

「まだよ。…おお、此方こちらがかの美人の誉れ高き一中ピン女子部責任者ガーリー上がりの彼女リーベね? 私が久我芳恵です。はじめましてぇ。」

「お初にお目にかかります。私、三条・ベルナデート・亜惟と申します。以後、どうぞ、よろしくお願い致します。」

「此方こそ。てと、じゃあ、一発かましにいくかっ!」


 久我ゾンネさんは、堂々と構内へ入って行く。其の後ろをヒソヒソと心配しながら従いて行く。


(合格なら良いけど、落ちてたときのこと、貴男考えてんの?)

(大丈夫だよ。どっちでも。)


 発表場所に着くと、既に人だかりが出来ていて、TV局の中継も入っている。


(駿河も二年後だよ…。)

(俺は此処受けないよ)

(あら、どうして?)


「僕ぅ!」

「はい。」

「済まないが、これを見てきて呉れないか知ら?」


 久我ゾンネさんは、柄にもなく震える手で受験票を持っている。


「駄目ですよ。此処まで来て何を仰有ってるんですか。ちゃんとご自身で確認しなきゃ。僕らは其の後です。」

「…そうか、矢っ張り自分で見に行かなくちゃ駄目?」


 以前であれば、他の人には絶対に見せなかったような《女の子らしい》弱気の懇願をしている。


「駄目です。久我ゾンネさんともあろう御方が何ですか。」

「…よし、じゃあ行って来るわ!」

「ファイトです!」


 久我ゾンネさんは自分の両手で両頬をパンパンと叩き、「っしゃぁっ!」と叫ぶと、人混みの中へかき分けるように入っていった。


「面白い人ね…きっと、大丈夫よ。」

 ベーデが笑っている。


 でも、当の久我ゾンネさんはなかなか出て来ない。


「見えたわよ。ほら…。」


 ベーデの声に背を伸ばすと、蒼白い顔をして真っ直ぐに、上体を殆ど揺らさず、据わった目つきで帰って来る。

 実に怪しい。


(あらぁ、どっちだ?)

(どうにも微妙な表情ね…。)


「僕ぅ!」

「はい。」

「彼女!」

「はい!」

「Danke…有ったよ…有った。」

「凄~ぉい! 凄い、凄い! おめでとう御座居ます!」


 ベーデが手を叩いて大喜びしている。

 次の瞬間、久我ゾンネさんは僕に抱き付いてきた。


 慌ててベーデをちらりと見ると、彼女は片目を閉じ、指でOKのサインを作っていた。


「君の御蔭だね。半分くらい。特に三年後半の伸びが効いたから…。」

久我ゾンネさんの力ですよ。形になって良かったですね。」


「あ、これは、ごめんなさい…。彼女リーベの前で。」

「いえ、駿河が役に立てば、私も嬉しいです。」

「エライッ! よく其処まで言えるわね。少年、彼女を大事になさいよ!」

「はい。」


「二人とも、此の半年の間、直接、間接的にお世話になったから、今日の夕食はご馳走させて。」

「じゃあ、祝勝会にしましょう。」

 ベーデも素直に喜んでる。


「ご招待しておきながら待たせて悪いけど、十八時に銀座の和光の前で待ってて。」

「はい。」


 *     *     *


「何よ、落差が激しいとかいうから、何様どんな人かと思っていたら、ごく普通の頭の切れそうな美人じゃない?」

「それは、お前、使用前を知らないからだよ。」


 久我ゾンネさんが何やら首を振り振り去って行ってから、僕等は東大の構内をあてもなくぶらぶらとしていた。


「ふーん、もっと綺麗だったんだ?」

「安心した? 其様な関係じゃないってことが分かって。」

「まあ、そうね。でも、確かに一つの何かを解放して、一つの何かに集中していた顔だったわね。」

「美しさを犠牲にしての文一か。」

「多分両立出来たんだろうという賢さが顔に出ていたけれど、集中したことで充実感も違ったんじゃないか知ら。」

「何でも出来る人だからなぁ、小林ヘルツさんも久我ゾンネさんも。」

「それはただの結果じゃなくて、努力の結晶よ。貴男も分かっているでしょ?」

「そうだな。そうだった。」


「私もしっかりしないとなぁ」

「お前の目標はもう鳥渡ちょっと長い目でみた先だろ?」

「うん、でも駿河は確実に二年後なのよ。しっかりしなさいよ。」

「どうする? ずっと東大に居る訳にもいかないだろ。あとだいぶ時間があるぞ?」

「銀座なら、一旦、着替え度いからうちに帰る。貴男もいらっしゃいよ。」

「ありがと、じゃお邪魔しようかな」


 *     *     *


 約束の十八時。和光の時計が鳴った。

 少しだけ夕方用の服に着替えてきたベーデと、相変わらず学生服の儘の僕は、明るくなった和光のショーウィンドウの前で待っていた。


「駿河、勉強になった?」

「そうだな、気は引き締まった。」

「貴男は気が緩みやすいから、常に刺激が必要だわ。」

「まあ、なんだかんだあるから。…それにしても久我ゾンネさんが遅れるなんて珍しいな。」

「あら、女性は遅れて当然よ。」


「お待たせ、ごめんなさい。久しぶりだったら、予想以上に時間が掛かっちゃって…。」


 振り返った其処に、《以前の》久我ゾンネさんが立っていた。


「あ…。」

「どうした、僕ぅ?」

「戻られたんですね?」

「アハハ、今日は記念日だし、御礼の席でもあるし。もし疲れるようなら、また明日には戻って了うかも知れないけれど。」

「三条さん、先刻さっきはきちんとご挨拶出来なくてごめんなさい。これも久我芳恵です。改めまして、有り難う。」

「いえ、此方こそ。お噂はかねがね。…お話に違わず、素敵な方ですね。」


 ベーデが作らずに《素敵》を本音で言っているのが分かった。


 *     *     *


 銀座から帰りの地下鉄。彼女は目を丸くしながら待ちかねたように口を開いた。


吃驚びっくりしたぁ! 彼様あんなに綺麗な人だとは思わなかった…。貴男の言う通りだわ。」

「だろ? だろ? だから言ったじゃん!」

「あの美しさを毎日維持するのは、確かに大変だわ。」

「お前でもそう思う?」

「ショートカットで、顔が全部丸見えっていうのはスゴく大変なのよ。全部を整えなきゃ不可ないし、其処に普段の勉強、然も文一でしょう? 確かに疲れたでしょうね。」

「だろう?」


「…でも、貴男、よく浮気しなかったわね。」

「何、言ってんだ。お前とは全然タイプが違うじゃん。」

「馬~鹿~ね、タイプが違うから浮気するんじゃないの? いくら美味しくても、毎日牛のステーキじゃ厭きるでしょ? だから偶に高級な鮨を摘み度くなるのよ。」

「ほお、成る程。」


「で、お鮨の味は如何だったの?」

「馬鹿っ、一かんも摘み食いなんかしてない!」

「本当に?」

「本当に!」

「ガリほども?」

「ん…?」

「あぁ? 矢っ張りぃぃ…!」


 彼女は僕の頬を指で摘むと、歯を少し食いしばってつねり始めた。

「否々、ないない。ないってば…テテテ!」

「本当でしょうねぇ?」

「今日は随分食い下がるなぁ」

「だって、あれだけの美人ですもの。」

「天地神明に誓って、無い!」

「そう? なら信用してあげるわ。」

 漸く頬の痛みを和らげて呉れる。


「へぇ…。俺の監視はご熱心だけど、お前の状況はどうなんだよ? 俺は全然知らないぞ。」

「大丈夫よ。知らなくても。」

「それは俺が決めることだろ?」

「任せなさいって、隠れてコソコソなんて出来ない性分だから、私は。」

「まあ、そうか。」

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