一音六 晩冬 (2)特別扱いしないで

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、第一高等学校の一年生。

 彼女である「ベーデ」は名門女子高に通う。

 臆することなく互いに想いを傾けながら育つ二人。

 二人のクリスマスは、門限まであと少し。

 -*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-



「俺は大丈夫だから。安心して此方こっちを見てろ。鳥渡ちょっとでも他所見よそみなんかすんな。」

「…えぇ。」

 彼女は瞬きをしてから満足そうにゆっくり微笑むと、素直に頷いた。


「…時々さ…。」

「何よ! 黙りなさいよ!! 人が折角良い気分に浸ってるっていうのに!! このロクデナシ!」

「…本当に心配になるんだよな。」

「何が?!」

「ベーデは俺で良いのかな、って。」

「まったく、もう! それこそ『安心して此方を見てろ』よ。他所見なんかしないで頂戴。」

「分かった。」


 僕も漸く安心して彼女の目を見つめることができた。


 *     *     *


「僕ぅ!」

「…はい。」


 年内の授業終了日。普段の蕎麦屋で、久我ゾンネさんが一息ついた後に語りかけてきた。


「私はこれから受験だから暫く姿を見せなくなるけど、心配しないよーに。」

「分かっていますよ。」


「じゃ、まあ、頑張って来るから。」

「ところで久我ゾンネさん、何大どこを受けるんですか?」

「ん? 文一。」

久我ゾンネさん法科志望だったんですか?」

「悪い?」

「別に悪くはないですけど、ならば何故なぜ語学選択は甲類英語じゃなくて乙類独語なんですか?」


 僕には漠然と、ドイツ語選択というのは医学部か文学部志望の人間ばかりだという頭があった。


「だってドイツ語の方が入試問題は簡単だもの。」

「そうなんですか?」

「何? 其様そんなことも知らなかったの? 良かったわね、二年の教科登録の前に分かって。」

「へぇ。」

「憶えておきなさい。英語でいうならば高校入試程度の問題よ。」

「成る程。」

「じゃ、二ヶ月半くらい、達者で過ごしなさい。」

「お気を付けて。合格をお祈りしてます。」


 *     *     *


 年が明けた。

 去年とは違って、ベーデと二人だけで初詣に行く。

 迎えの際、彼女の家に年始の挨拶を済ませてから、歩いて明治神宮へ。

 年末年始の澄み渡った青空というのは、いつだって気持ちが良い。


「お前、着物って着ないの?」

「貴男は紋付き袴が似合ってるわね。流石だわ。」

「だから、着物は?」

「此の顔で着物を着て欲しい?」

「ん~。」


 少しだけ離れて、まじまじと彼女を見る。彼女ははにかむでもなく、見られるが儘にじっとしている。


「ほら、御覧なさい。此の顔で着物なんか着てみなさいよ、ベタベタな海外旅行者じゃないの。」

「そう言われると、お前、中学生の時より外人度が増してきたな。」


 彼女の足がピタリと止まった。


「ねえ…アンズ飴買って頂戴。」

「何だよ、藪から棒に?」

「今の言葉、少し痛かった…。」


「あ、ごめん…。」

「…『外人』…とか言わないで…。」

「分かった…。」


「駿河が日本人とか外国人とか、ハーフとかクォーターとか、其様なことを全く意識しないで、私を私として見て呉れているのは分かるけど、言葉が出てくると、矢っ張り心が痛い…。」

「また、何かあったのか?」


 ベーデは、中学生の頃は其様なことを、さして気にするような娘ではなかった。ごく一部の事件があるまでは。


鳥渡ちょっとね、女は妬みやすいのよ。」

「美人すぎて僻まれたか?」

「まあ、其様なところよ。」

「俺に何か出来ることあるか?」

「じゃあ私を特別扱いしないで、普段のようにして呉れるのが一番。」

「分かった。アンズ飴な。」

「そうそう。早く!」


 ところが、露天を眺めていても、なかなかお目当てのアンズ飴が出てこない。


「これじゃ駄目か?」

「スモモは酸っぱいから嫌よ。固いし。」

「ふーん、じゃあ、これ?」

「私の小さなお口で、此の大きなリンゴ飴をどうやって食べるの?」

「四苦八苦しながら、小さな口で食べるから、可愛らしいんじゃないか。」

「可愛らしいのは良いけど、今、此処で四苦八苦はしたくない。」


 相変わらずの我が儘ぶりに延々と露天を捜し続ける。


「そろそろベビー・カステーラとか、綿飴で妥協したら?」

「駄目、絶対妥協しない。今の私を癒して呉れるのはアンズ飴だけ。」


 最早、本来の目的を見失ってアンズ飴に固執している。ということは、ほぼご機嫌は治っているのだが、アンズ飴を手に出来ない限り、いつまでも其の原因となったことも忘れないのは彼女の常だ。


「…あった。ほら。」

「あ、嬉しい。買って、買って。」


 二歳は若返るニコニコ顔に、短い箸の先についた小さなアンズに絡められた水飴を手渡してやると、目を瞑って本当に幸福そうにそれを口に入れている。

 小さな口をすぼめて、睫毛の長い目をしばたたかせている様子は、果実の甘酸っぱさと水飴の旨さを心底から堪能している表現として十分だった。


「きっと、着物も似合うと思うよ。」


 参拝を終え、彼女の手を握って大変な人混みから二人して抜け出したところで、それまで考えていたことを口にしてみた。


「え?」

「お前はお前だもの。俺が似合うと感じたら、間違いなく似合う。保障する。」

「…有り難う。じゃあ、今度は遠慮なく。」

 左腕に絡んだ彼女の手の力が少しだけ強くなった。


(なんだ、持ってるんだ?)とは思ったものの、持っているにも拘わらず着てこられない心情を考えると、先刻アンズ飴を買った時の契機よりも強い悲しさを感じた。


「うん、是非見せて。」

「判った。有り難う。」


 *     *     *


 三月になった。

 卒業式は、大学の合格発表を待たずに行われた。

 小林ヘルツさん、久我ゾンネさんをはじめ、応援部の先輩方は、未だ行く先の定まらないまま、僕ら後輩からの見送りを受けた。小林ヘルツさんに対して、中学校時代に抱いていた想いは、今では無くなって了っていたけれど、二回の出会いと二回の別れはそれなりに感慨深いものだった。


「もし、同じ大学に来たら、またお出でね!」

小林ヘルツさん、また応援団に入るんですか?」

「たぶんね。此処まで来ると、もう他の道って無いわね。」

「承知しました。もし入れたら…お約束します。」


「僕ぅ!」

 久我ゾンネさんは相変わらず、今ではすっかり伸びるにまかせて了った髪を後ろで一つに束ね、グリグリの瓶底眼鏡の儘だった。


久我ゾンネさん、もう受験終わったんですから、現場復帰しても良いんじゃないですか?」

「いやいや、まだまだ。ていうか、最早、もう良いやっていう感じだわ。アハハ。」

「其様なことないですよ。またアノ勇姿を見せて下さいよ。」

「そう? じゃあ、其の前に合格発表でも一緒に見に行くかい?」

「其様な、畏れ多いです。」

「良いのよ、一度は失敗でも成功でも、実例を見ておく勉強になるものよ。」

「そうですか? じゃあお言葉に甘えて。」

「あ、そうだ! 美人の彼女も連れていらっしゃいよ。」

「え、それは…」

「私が興味があるから。」

「はあ、分かりました。」

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