一音六 女心 (2)幸せにするのはお姫様

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、第一高等学校の一年生。

 中学卒業直後から交際を始めた同級生の盟友「ベーデ」は、別の名門女子高に進学。

 二人で初めて迎えた彼女の誕生日も円満に終えた二人。

 そんな駿河の成長は、高校の先輩ゾンネさんの薫陶によるところもあってのこと。

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 しかし、いつまで経っても、慣れていた筈のガツンとした感触は来ない。逆に柔らかな空気を感じて、驚いて目を開けた。


「これが口止め。」

「…。」

「此の方が君の場合、他人には話せないでしょ。」

 久我ゾンネさんの思惑は正しかった。


 僕は其の「口止め」が故に、彼女の秘密を口にしようと思っても、どうしても先に「口止め」の光景が思い浮かんで邪魔をするので、口にするのが面倒になって了った。

 《ナルシスト》だという久我ゾンネさんが、恋愛感情を全く交えずにそういう手法を採るということが、どういう理論的な根拠を持っているのかについて、考えれば考えるほど矛盾に陥って了うので、思考的に破綻して了うのだ。

 だから、訊ねられても 「聞き出す前に一発ブン殴られて終わりでした」と応えるのが常になって了った。


 *     *     *


 それ以来、久我ゾンネさんは、以前にも増して、僕をお供に連れて食事に出るようになった。「彼氏は居ない」とのことであるから、特に一高の中で遠慮をする必要もなく、また彼女にも全く其の気が無いことが判明したことで、僕も安心して連いて行った。


 学生街と呼ばれる大学周辺の洋食屋、中華料理屋、定食屋、喫茶店、上野や浅草といった伝統的な観光街のトンカツ屋、蕎麦屋、天麩羅屋、銀座の文具店や洋品店等々、所用の如何を問わず、お供をした。


久我ゾンネさん、受験勉強大丈夫なんですか?」

「君は自分の心配だけしていなさい。私が《失敗する私》の姿を認める訳はないでしょ。」

「成る程。」


 東京という街について、彼女は何歳なのだろうというほど博識だった。

 行く場所、訪れる処、凡そ知らないことはない。

 其の御蔭で、普通は退屈して了うといわれる高校一年の秋は厭きることがなかった。

 土日にベーデと逢う時でも、其のお供の経験は勿論役に立った。女性が入ってもおかしくない敷居の店を選んでいたからだ。

 僕にとって久我ゾンネさんは、女性であって女性ではないような存在で、一度あからさまに《ナルシスト》という言葉を聞いて了ったことで、もう異性としては見られないように定義付けされていた。

 一方で彼女と一緒に居ると、目立つことにも気がついた。一高の中だけで眉目秀麗な訳ではなく、彼女が磨き上げている彼女自身は東京一千万都民の中に出ても充分に通用するものだったからだ。

 僕は客観的に彼女を見る周囲の目、というものをとても興味深く思った。女性の容姿というものは、かくも人の目を魅了するものなのか、と感心させられ、翻って自分の隣に普段存在しているベーデの姿に思いを馳せることとなった。


 *     *     *


「あなたの誕生日って此様な頃だったか知ら?」

 十月に入ってベーデの中間試験直前。


「それは意趣返しかえしか?」

「何よ?」

「夏に俺が言ったことの。」

「違うわよ、僻みっぽいわね。」


 彼女はすっきりと整えた前髪の下の眉を、ハの字にして情けないという風に苦笑いをしている。


「此様な頃だ。定期戦の直後で脱力して、然も中間試験の時期だから誰も祝ってなんか呉れなかった。」

「時期が悪すぎね。」

「だから感謝してる、今日は。」

「素直にそう言って貰えると試験直前に出てきた甲斐があるわ。」

「お前に何かして貰える日なんて、文字通り一年に一回だからな。」


 普段なら、此処まで言うと、はっと気がつく間もなく、彼女に殴られるか蹴られるかしている。それが、今日に限って何もないので、調子外れに吃驚びっくりする。


「…まあ、今日は大概のことは許してあげる。」

「で? 『何処に連れて行って呉れるのか知ら?』 アイタタ。」

「私の口真似だけは許さないわ…!」

 彼女は僕を蹴飛ばした後、珍しく自分からバス・ターミナルに向かった。


「お、俺の真似か?」

「良いから黙って従いて来なさい。」

 東口から東京タワー行きのバスに乗る。


「ふん、意表をついてきたね。」

「大きなつづら? 小さなつづら?」

 二人掛けの座席にポフッと落ち着いた途端に質問が飛んで来た。


「何だよ、いきなり?」

「良いから選びなさいよ。」

「じゃ、小さなつづら。」

「小さなつづらね? うんうん。」

 横で何やら小さく折り畳んだ紙を見ている。


 覗き込もうとすると、紙を引っ込めて悪戯そうに笑っている。


「見ちゃ駄目。」

「何だ、今日はやけに女の子してるな?」


 此処まで言っても足を蹴られることなく、軽い肘鉄程度で済んでいる。不気味なほどに今日は《女の子》だ。


 東京タワーに着くと、最上階の展望台まで上がった。

「此処まで来たのは初めてだなぁ。」

「私も。」

「うん、綺麗だ。」

「結構な秋晴れね。」


「一体、何を考えているんだ?」

「お楽しみ。じゃあ、つづらを持って帰るのは荷車? それとも牛車?」

「は? 牛。」

「はいはい、牛ね。牛…と。」

 展望台から下りると少し公園を歩いて近くにある大きな中華レストランに入った。


「大丈夫か? 無理するなよ?」

「私が貴男に何かをするのは、七夕じゃないけど、それこそ一年に一回だから。」

「そう拗ねるなよ。謝るから。」

「大丈夫よ。」

「そうか? 有り難う。」


 お茶まで終わると、また質問だ。

「じゃあ、最後に幸せになるのはお爺さんお婆さん? それともお姫様?」

「これは難しいぞ。」

「どちらか不幸にしろって言ってるんじゃないんだから、気軽に選びなさいよ。」

「お姫様。」

「よく言ったわ!」

「何?」

 何のことはない、またバスに乗って渋谷に戻った。


 宮益坂を上ってデパートに。文具コーナーまで来ると、僕を端で待たせてカウンターに声を掛けた。


「此方を頼んでました。」

「畏まりました…。」

 引き換え証を出して、奥から出てきたものを無言で確認して包んで貰っている。


「じゃあ行きましょ。」

 其のまま喫茶室でお茶とケーキ。


「ご馳走になりっ放しで。」

「どう致しまして。はい、十六歳おめでとう。」

「有り難う。」

「開けて頂戴。」

 包んで貰った許りの包装紙を解く。中から出てきたのは革装のノートだった。


「後ろ見返しを見て?」

「ん? あ、名入りか? 高かっただろ?」

「んーん、それほどのものじゃない。常時いつもご馳走して貰ってる範囲は越えないわ。」

「本当に?」

「ええ、心の借りも貸しも厭だもの。」

「それで安心した。有り難う。」


「中のノートは取り替えられるし、名前は箔押しじゃなくて刻印だから一生ものよ。」

「嬉しいなぁ。良いのかい? 常時いつもお前は食事だけなのに。俺だけ貰って」

「だから気持ちの貸し借りは無いって言ってるでしょ? 貴男が喜んでいる顔で私は充分。」

「そうまで言われると、可成り恥ずかしいな。」

「素直になるのが長続きの秘訣よ?」

「長続きかぁ…。」

「そう。私はヘラヘラした上っ滑りな恋はしないの。」

「お? 調子が戻って来たな?」

「不可ない、不可ない…。私は常に貴男の幸福を願っているのよ。」

 ストンと言い切る普段の紋切り型の表情から、途端に今日モードの《女の子》の表情に戻る。


「成る程、それを普段の言葉に翻訳すると先刻のフレーズになる訳だな? お…、もう此様こんな時間だ。お前、帰って勉強しろ。」

「あら、貰うもの貰ったら、もう追い返すの?」

其様そんなんじゃ…。」

「冗談よ。気を遣って呉れて有り難う。じゃあ、送って?」


 秋分を一か月も過ぎると日暮も早かった。

「もう暗くなっちゃったわね。」

「ごめん、試験前に。」

「良いのよ。これで私も元気が出たから。」

「有り難う。」

「まだ最後まで済んでいないわ。」

「ん?」

「小さなつづらは大展望台と中華。大きなつづらは中間展望台と老舗日本蕎麦。」

「ん。なるほど。」

「荷車はタクシー、牛車はバス。」

「おお。ノートは?」

「それは参加賞だから選外。」

「あそう…参加賞…。」


「最後に幸せにするのはお姫様だったでしょう?」

 そう言うとベーデは満面の笑みで軽く腕を肩に回してきた。


「因みに、お爺さんと、お婆さんだったら?」

「ご褒美無しに此処でバイバイ。」

「ありがと…。」


「…どう致しまして。はい、私からアンコール…。」

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