一音六 研磨 (4)出来れば私の手で
【ここまでの粗筋】
主人公「駿河轟」は、第一高等学校の一年生。
中学卒業直後から交際を始めた同級生の盟友「ベーデ」は、別の名門女子高に進学。
個性的な先輩達と共に少しズレた日々を過ごす駿河と、常識的な女子高で真っ当な日々を過ごすベーデ。
二人で初めて迎えたベーデの誕生日。駿河はどんなエスコートを見せるのか。
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バスは最高裁、国立劇場、番町、靖国神社を通って九段坂を下り、神保町の書店街へ。まだ昼には少し時間のある街は、漸く飲食店がシャッターを開けたくらいの時間だ。
「じゃ、お昼は此処。」
「良いわよ。」
界隈に数多くある洋食店の中でも、コース料理を学生でも手の届く範囲で出して呉れる某キッチンに案内する。
手軽な値段で出して呉れるとは言っても、きちんと真っ白なクロスが掛かったテーブルで、ナイフとフォークが数本並び、それなりの雰囲気も楽しむことが出来る。
「十六かぁ。」
「しみじみ言わないでよ。」
「此の間まで十二歳のお嬢ちゃんだったのに。」
「いつの話よ。父親でもあるまいし。」
「お前が此様なに綺麗になるとは夢にも…イタタタ。」
「褒めるなら褒めるだけにして頂戴。」
「うん。綺麗だ。」
確かに彼女は中学校一年生の時の、あの何処か幼さの残る、どうかすれば周囲の女子よりも未成熟な雰囲気の残っていた頃からすると、アッという間に其の子たちを追い抜いて外見的な発達を遂げていた。
特に、あどけなさも適度に残しながら、それでいて大人の女性の片鱗も伺わせる横顔は、時折息を呑むほどに美しく感じることがあった。
「陽射しが強いなぁ…。」
早めの昼食をゆったりと摂り終えて外に出ると、太陽はまさに絶好調の南天にあった。
「私は夏生まれだから、暑くても平気よ。」
「そういうのって関係があるのか?」
「貴男は秋が調子が良い筈よ。だから中学校の定期戦は常時絶好調!」
「そう言われればそうだったかもな。」
「御免なさい、少し待ってね。」
彼女は大きめのストローバッグから帽子を取り出してふわりと被った。
「これはまた違った素敵な装いで。」
「どうも有り難う。」
彼女はスカートの裾を摘んでちょこっと会釈をした。
「中学校の時は予想もつかなかったな。」
「
「臨海、林間(学校)の時も、全然お前の私服なんか憶えてないし…。」
「それはただ貴男が自分だけでいっぱいいっぱいだったからでしょう?」
確かに、団体生活の苦手な僕にとっては、双方とも自分が叱られないようにするだけで精一杯で周囲を見ている余裕もなかった。
「
「どうぞ。」
数多い書店でもビルが多くなってきた中で、まだ低層の三省堂本店に入る。
汚れないようにスカートの裾を摘んで歩いているベーデを見て、気の毒に思い、「もし、此処にしか無い本じゃなかったら、東京堂にしたら?」と誘う。東京堂もまだ古い店舗だったけれど、三省堂よりはゆったりとしたスペースで天井も高かった。彼女は、「大丈夫よ、有難う」と言うと、雑誌の書架を一通り眺め、一冊の洋雑誌を手に取って購入した。
「さぁ、今度はどちらに連れて行って呉れるのか知ら?」
「デパートで好きなものを見て、それからお茶は?」
「良いわ。」
表通りで渋谷駅行きのバスに乗る。
「えーっと、日が当たらないのは、此方ね?」
「其の通り。」
二人座りの座席で隣り合っていると、半袖から伸びた彼女の手が、膝に置いたバッグの上でピアノのブラインド・タッチをしているのが見える。彼女が鼻歌を唄っているか、ブラインド・タッチをしているときは、黙っていても機嫌の良い証拠だった。適度に窓から吹き込んでくる風が、柔らかな香りを運んでくる。
終点で降り、暫く歩いて、彼女の家への帰り途にあるデパートに入る。
食堂を除けば最上階の宝飾品売り場から、当然何を買うでもなく、ふらりと見て回る。
僕は其の後ろを従いて行く。彼女の帽子は既にバスの中でバッグに仕舞われて、ウィンドウを眺めている彼女の横顔は、再び黒髪が良い具合に隠していた。
額を覆った前髪がゆったりとしたウェーブで頬を見せ、すっきりと尖った顎のラインに向かって緩やかに流れている。
僕はそれを後ろから眺めていることで、デパートでの退屈さも幾分紛れていた。
「ん? 何?」
「随分熱心に見ているな、って。」
「此の琥珀、綺麗でしょう?」
「え?」
彼女が指差した先に、濃い飴色をした琥珀のペンダント・ヘッドがあった。
「宝石って不思議よね。」
「何が?」
「だってどれも元素記号で表したらただの鉱物よ?」
「ダイヤモンドは炭素だな。」
「琥珀だって、元は松脂じゃない。」
「長い年月で圧力と熱がかかったからだろ? 時を操ることは出来ないから珍重されるんだろうなぁ。」
「後はカットと研磨の技術ね。」
「お前も宝飾品とか好きかい?」
「ジャラジャラさせ度いとは思わないけれど、お洋服に合った物は、一つずつ持って
「ふーん。」
「よく、人を例えてダイヤの原石とか言うでしょう?」
「あるね。」
「原石以前の鉱物の場合もあるんじゃないか知ら。」
「ただの朽ちた木か。」
「朽ちたかどうかは別として、木とか松脂とか。原石になるよりも前のもの。」
「うん。」
「私が貴男に興味を持ったのは其処だと思う。」
「ん?」
「知り合った最初は、木か松脂だったわ。」
話題めいたものが出来たので、僕達は喫茶室に腰を落ち着けた。
「で、今、熱やら圧力やらが掛かってる状態?」
「そう。でも其様なに長い年月は必要ないと思う。此の一年、二年でも、変化が見えてきているもの。」
「それはお前も一緒だろ。」
「そう?」
「先刻それを言おうとしたら、足を蹴られた。」
「そうならそうとはっきり言いなさいよ。」
「言う前に蹴られた…。」
「分かったわよ。悪かったわ。」
「ところで、俺が原石に成るのはいつだ?」
「まだ分からない。でも数年のうちだと思う。大学生か社会人に成る頃。」
「へぇ。予言かい。」
「問題は、私が、カットや研磨まで出来るかどうか。」
「えーっと…。」
「出来れば私の手で、仕上げ度いわ。」
「また怖いことを言う。」
「勿論、私の装飾品として、なんていう失礼な話じゃないわよ。貴男を光り輝かせ度い。」
「それは、どうも。」
「本当に、其処まで出来ると良いんだけれど。」
「じゃあ、もう原石になってるお前を前にして、俺はどうカットして、磨けば良いんだ?」
「放っておいて。」
「へ?」
「あまり手を加えずに、時々思い出して『あ、此処を鳥渡こう磨くと良いかな』くらいで良い。」
「そうなの?」
「そう。後は、貴男を育てているうちに自然と私も磨かれるから。」
「ふーん。」
一日中歩き回ってきたにも拘わらず、彼女のワンピースには一点の曇も染みも無かった。
僕がこれだけ歩き回ると、たいていズボンの内側に自分で蹴飛ばした跡が付いたり、何処かを何かにぶつけていたりするものなのだけれど、彼女には其様なことはない。確かに彼女は僕が下手な頭で考えて磨くまでもなく、放っておいても自然と磨かれているようだった。
外に出ると、太陽の光も弱くなり、冷房で冷え切った身体に夕方の風が寧ろ心地良かった。
「どわゎっ…
此方の手を握ってきた彼女の手の冷たさに正直な悲鳴を上げた。
「芯から冷えたわね。」
「寒いなら寒いって言えよぉ。」
「え? 寒くはなかったわ。」
「幽霊かぃ?」
「人じゃないかもよ?」
「そういうことを言うなよ。此の季節に。」
「あら、此の季節だから言うのよ。今日は何の日?」
「お前の誕生日。」
「もう一つ。」
答えないと蹴られるなぁ、と思いつつ時間稼ぎで小さく唸っていると、珍しく長時間待っている。
「ヒント。年に一回。」
「だからお前の誕生日。…ッテェ。」
何を言っても結局は蹴られる。
「街の中でも
「あぁ,七夕か。」
「私は織女よ。」
「女神の次は織女か、一人何役だ…?」
「何役でもこなしてあげるわ。」
「サービスの良いことで。」
「元日なら天照大神、クリスマスにはマリア様、其の他貴男に応じて観音様でもヘラ神でも。」
「有り難いね。」
「さあ、これだけの溢れる想いに、貴男はどう応えて呉れるのか知ら?」
「名残惜しいけれど、今日最後の想い出を差し上げましょう。織女様…。」
「…ありがと…。よく出来ました。温まったわ。」
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