一音六 研磨 (3)想い出を頂戴

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、第一高等学校の一年生。

 中学卒業直後から交際を始めた同級生の盟友「ベーデ」は、別の名門女子高に進学。

 個性的な先輩達と共に少しズレた日々を過ごす駿河と、常識的な女子高で真っ当な日々を過ごすベーデ。

 すれ違いながらも互いの魅力を認め合いながら過ごしている。

-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-*-


 ベーデの誕生日は八月七日だ。


此様こんな日だったっけ?」

「此様な日よ。」


「全然記憶にない…。」

「あるわけないでしょ、夏休みだから。」

「あぁ…そうか。」


平時いつも貴男が夏休みの宿題でヒィヒィハァハァ言っている頃に、私はひっそりと歳をとっていたの。」

「で、幾つ?」

「貴男と同じよ。十六。」

「俺はまだ十五だ。」

「小僧ね…。」

「小娘が何を言うか。」


 此の暑い季節に『出てこい、誕生日を祝え』などと呼び出すのは、彼女ベーデだから許されることであって、それ以外の人間であったら、僕は間違いなく黙殺している。


「プレゼントは何が良い?」と事前に聞いても、「何も要らない」の一点張り。「じゃあ、当日に何か買ってやるから考えておけよ。」と言っても「要らないわよ。」の一点張り。


 此の傲慢さと強情さが何処から出てくるのか訊ねてみると、「皆は獅子座のA型だから、と言うわね。」だそうである。獅子座もA型も、僕には統計だった印象を持てるほどの友人が居なかったから、そうなのかどうかも分からず、其の儘にしてあった。


「プレゼント、本当に要らないのか?」

「物は要らないわ。」

「そういうのが一番怖いんだよな。」

「怖くは無いわよ。素直な気持ちしか求めないんだから。」

「…。」


 ギラギラと照りつける日ざしの下、真っ白なワンピースに、これまた真っ白な下ろしたての白いサンダルを履いてきた彼女は、オーシャンブルーの扇子をはたつかせながら普段のように言い放った。


「それにしても暑いわね。」

「暑いだろ? お前、其様なに日光を乱反射してて眼がチカチカしないか?」

鳥渡ちょっと涼しい処に入りましょ。」


 彼女はファスト・フード店には入りたがらない。


「不可抗力で汚された日には適わないわ。」


 中学校時代も、高校に進学してからも、彼女は運が悪いというか、並外れた偶然というか、ファスト・フード店で、よく衣服を汚されていた。時に氷入りの炭酸飲料を思い切りぶちまけられ、時にマスタードとケチャップの付いたピクルスがペッタリとくっつき、其の度に十数分の沈黙が僕らの会話を邪魔していた。

 因みに、其の原因は僕ではなくて、偶々たまたま通りかかった子どもとか、お行儀の悪い女子高生とかが粗相をしていた訳だけれど、おはちは僕に回ってきた。となれば、君子危うきに近寄らず、でファスト・フード店には入らない。

 チェーン店の喫茶店も嫌いだった。


「他人の煙草の煙が充満している所なんて厭よ。」


 自分は中学校時代からコソコソ嗜んでいる不良のくせに、他人の煙草は厭だと言う。


「質も量も全然違うわ。限度もなく混ざって溜まり込んだ煙は、ただの悪臭なだけよ。」


 何が言い度いのだかさっぱり分からないが、これも機嫌を損ねると厄介なので、矢張りチェーン店は避ける。


 其処でどういうところに入るか、と言えば、デパートの喫茶室か、其の土地の老舗の喫茶店、所謂いわゆる純喫茶や名曲喫茶と呼ばれる処で、然も、喫煙者が居ないとおぼしき場所を狙って行くことになる。それでもなければフルーツ・パーラーか甘味屋が妥当な線だ。幸いなことに(というか遵法的に考えても当然)彼女は屋外では煙草は吸わない「らしい」。


 此の暑い最中で一刻も早く入れるとなれば、待ち合わせ場所から直ぐの西村だった。


「キーンと冷えるわね。」

「キーンと冷えるものを頼むか?」

「お腹に悪いから、あまり冷えないもの。」

「此処でそれは難しいだろ。」

「水菓子に拘ってみれば良いのよ。」


 ベーデは果物の盛り合わせを頼み、僕はフルーツ・パフェを頼んだ。


「男でフルーツ・パフェってのもねぇ…。」

「此処で何を頼めって言うんだ?」

「だって店員さんも、黙って私にパフェ、貴男に盛り合わせを置いたでしょう?」

「自分でお金を払うんだから、好きなものくらい食べさせて呉れよ。」

「まあ、そうね。」


 彼女は小さく切られたスイカを器用に口に運んでいる。


「白い洋服で、よくそういうものを頼めるな?」

「自分で食べるなら大丈夫よ。」

「じゃあ、昼はカレーうどんか、スパゲティにするか?」

「厭。」

「なんで?」

「絶対貴男が跳ね散らかすもの。」

「今から跳ね散らかしてやる…。」

「此のワンピースを買い直して呉れるなら良いわよ。」

「…ごめんなさい。」

「よろしい。」


 女の子が誕生日に着て来るような洋服を買い直せるだけの小遣いなど、普通の男子学生には無い。


 自慢の濡羽色のストレートロングの髪と、エメラルド・グリーンの瞳に、白いワンピースはよく似合っていた。


「此の季節、真っ白が良くお似合いで。」

「有り難う。気に入ってるの。これ。」

「其処まで見せられて了うと、確かに、これに何をプレゼントすれば良いのか、って考えちゃうな。」


「良いのよ。だから《物》になんか固執しなくて。」

「うーん。」

「強いて言えば想い出を頂戴。」

「うわ。」

「何よ?」

「恥ずかしいな。そういう言葉。」

「だって、《物》は失われるけれど、《想い出》は人と共にあるわよ。」

「《物》も一緒にあれば良いじゃん?」

「《物》に貴男の思考が囚われるのが勿体ないから。」

「あ、そう。」

「そう。だから、私と一緒に居て呉れればそれで良い。」

「矢っ張り一番怖いな…。」

「何よ、何か不満なの?」

「いえ。何も。」


《想い出を頂戴》という言葉ほど怖いものはない。一歩計画を間違えば気分を損ねて了い、想い出どころではなくなる。扨て、どうしたものか。


「遠出も、映画も、人混みも厭だろ?」

「よく出来ました。此の足、此の服、此の想いじゃどれも不合格ね。」

「じゃあ…。」


 僕は彼女を東口から出ている御茶ノ水駅行きのバスに乗せた。程なく走ると神宮外苑に着く。平日の絵画館をゆっくりと見てから、並木道を歩く。


「緑が気持ち良いわね。流石にこれだけ木陰があると涼しく感じる。」

「白が映えてるよ。」

「有り難う。」


 ぶらりぶらりと歩いて青山通りからまた別系統の御茶ノ水駅行きのバスに乗る。日の当たらない方の座席の窓側に座らせて、しばし涼しい移動時間。


「バスは風通しが良いわ。よく知ってるわね、都バスの系統なんて。」

彼方此方あちこち動いて回るからね。自然と見るようになった。」

「便利だわ。」

「都バスがじゃなくて、俺がだろ?」

「よく分かったわね。」

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