一音六 研磨 (1)やれば出来るじゃないの

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、第一高等学校の一年生。

 中学卒業直後から交際を始めた同級生の盟友「ベーデ」は、別の名門女子高に進学。

 試験成績の低迷を機に個性的な先輩「ゾンネさん」に一高での過ごし方を教わる駿河は、自身の彼女「ベーデ」に擬えて学習にも精を出せと指導される。

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「どうでも良いけど、其の風体、何とかならないこと?」


 高校野球の夏の予選も終わり、宿題も先に済ませ、ほっと一息ついた八月の初め、ベーデは久しぶりに会うや否や、顔を蹙めて口を開いた。


「それは日本語として可笑しいぞ。どうでも良くないから、意見してる訳だろ?」

「違うわ。他のことは『どうでも良い』けれど、此のことだけはどうでも良くないから言ってるんじゃないの。それこそ『どうでも良い』から、其の風体を何とかしなさいよ!」

「何か問題があるか?」

「何か問題があるから意見しているのよ。」

「お前が前に言った通り、伸ばすところと剃るところをハッキリさせたんだけどな。」

「すきことが逆でしょう? 誰が髪の毛を剃って、ひげを伸ばせと言ったの?」

「俺はひげを伸ばしてる最中だったから。」

「日本中の女の子にアンケートとってみましょうか? 剃髪ぼうずひげを伸ばした彼氏と街を歩きいですか? って。」

「お、やれるもんなら…と、言うとお前ならやるなぁ。」

「うちの母の力が分かってるみたいね?」


 彼女のお母さんは有名な宝石デザイナーだから、広告代理店には顔が広い。それくらいのことなら、何処かに紛れ込ませてやりかねない。


「髪を伸ばせば良いんだろ?」

ひげも剃って頂戴!」

「分かったって…。」


 普通の女の子なら、此処まで言えば引き下がるのだろうけれど、彼女の場合、最後の最後まで詰めを忘れない。何様どんな相手にも、何様どんな場合でも全力を尽くすのだ。


「だからといって、今度は落ち武者みたいに際限なく髪だけ伸ばしたりしないで頂戴よ。」

「よく分かったねぇ?」

「どうして常識的な判断が出来ないのか知ら、貴男は。」

「常識って何だ?」

「大多数の人がそうであろうと思う普通の考えのことよ! お生憎様、此処で貴男と論理学的な議論なんかしようと思ってないわよ。」

「で、どうあって欲しいって?」

「聞いてなかったの? 誕生日には小さなテープレコーダーでも買って欲しい?」

「何だっけ?」

「毎日ひげを剃り、髪をきちんと整えて頂戴、と言ったの。」

「毎日か?」

「毎日よ。」

「お前と会う日だけじゃ駄目?」

「最低限でもそうね。」

足駄げた履きは良いの?」

「もうそろそろ、私と一緒のときは止めて。珍しいのにももう飽きたわ。」


「なんだ、面倒くさい奴だな…。」

「何も面倒くさいことなんかないわ。私と会うときには常識的に身綺麗にして現代人らしく靴を履いてきて、と言っているだけよ。」

「こういう伝統文化ってものはだな…。」

「貴男が一高の伝統文化を継承することには何の異論もないわ。それは分かったから、私と一緒の時は、私との伝統を重んじて頂戴、って言ってるの。」

「はい、はい。」

「はい、は一回よ!」

「は~い。」


「育ての親の小林ヘルツさんが見たら泣くわよ?」

「残念でしたぁ、小林ヘルツさんも今はこ~んな、なっが~い髪で、普段は全然いじらずに其のまんまですぅ! 見ただろ? 此の間、球場で。」

「男と女の立場は違うとしても、貴方達、何か間違ってるわね…。」

「お、否定するか?」

「少なくとも、今度、私と一緒に海に行く予定まで否定され度くないのなら、条件限定でも自己否定して頂戴。」

「へい…。」


 *     *     *


「やれば出来るじゃないの。」


 理髪店でひげを綺麗に剃り、ボタンダウン・シャツにコットンパンツ、ローファーで現れた僕を、ベーデは両手を腰にあてて見渡して言った。


「まあ、ね。」

「ふん、今のところ合格点だわ。」


 僕らは品川駅から湘南電車に乗って、都心から少し離れた、比較的空いている海辺へと行った。


 折角広い砂浜があるというのに、わざわざホテルのプライベートビーチを利用するのは、彼女が、

「『海の家』は嫌よ。何処から覗かれてるか分かりやしない。」

 と、言い放った所為だった。


 当然の如く、男子と女子の更衣室に別れて、先ずはホテル内のプールサイドに出る。


「…!」


 彼女は両手の掌をこれ以上ないくらいパーに開いて此方に向け、顔を右に背けている。


「何? うした?」

「ったぁ! 鳥渡ちょっと! それ以上近づかないでっ!」

「何だよ!」

先刻さっきの発言撤回するわ。」

「何?」

「不合格ッ! 着替えてきて。」

「何が不可ないんだ?」


「誰が水褌ろくしゃくを締めてきて良いと言ったの?」

「誰か不可ないって言ったか? 更衣室にも入れ墨はダメと書いてあったけど、水褌が駄目とは書いてなかったぞ?」

「貴男には総合的な判断って出来ないの? 矢っ張り何処か思考回路が短絡ショートか何かしてる訳?」

「水褌は伝統的な日本の水着だぞ。」

「そうそう、それで真っ黒に日焼けして、額に日の丸鉢巻、お腹にサラシを巻いて日本刀を持ってポーズをとると…違~ウッ!」


 ベーデは水着だということを忘れているかのように首を振って子供のように地団駄を踏んでいる。


「そう言いながら、お前、中学校の時にそういう雑誌にも勝手に俺の名前を騙って投稿していただろうが?」

「誰も、其様な昔の話なんか必要としてないわよ。」


 今度は自分のポーチの中を必死に覗き込んでガサゴソやっている。


「なんだ?」

「ほらっ!」

 伊藤博文せんえんさつを何枚か握って突き出した。


「何だよ?」

「水泳パンツ買っていらっしゃいよ!」

「ああ、それぁ大丈夫だ、俺が何とかする。」

「じゃあ一刻も早く何とかして頂戴!」

「分かったから、もうキンキン言うな、って…」

「!」

 まだ日焼けもしていないというのに真っ赤な顔をして無言でフロントの方を指差している。


 *     *     *


「何? 新しいの買ってきたの?」

「否、持って来てた。」

「信じられな~い。持って来てたなら、最初から穿いて来なさいよっ!」

「一応試してみようと思って。」

「一体全体、誰の何を試すの?」


 少し余裕が出来たのか、一歩踏み込んで上目遣いで聞いてきた。


「ベーデの感性。」

「何が哀しくて貴男に感性を試されなきゃ不可ないのか知らねぇ…。」

「矢っ張り、ほら定期的に確認というか、ね。」

「そういうのは愛情だけで必要充分よ。悪戯オイタが過ぎると、それさえ棒に振るようなことになるわよ!」

「はいはい、分かりました。」

「はい、は一回よ!」

「ったく、相変わらず冗談の通じない奴だな。」

「何か言った?」

「いいえ。」

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