一音六 自学 (2)お綺麗だったんですね?

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、第一高等学校の一年生。

 中学卒業直後から交際を始めた同級生の盟友「ベーデ」とは別々の進学先。

 女子高に進学して地味な毎日を送るベーデとは対照的に、「応援部」に入った駿河は初回の定期試験で惨憺たる結果となり、個性的な先輩ゾンネさんに教えを請う。

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 それ以降、放課後の教室で、久我ゾンネさんは、自身の基礎勉強の復習を兼ねて、親切にポイントを整理して呉れた。

 部活でしか久我ゾンネさんを見ていなかった僕は、彼女が勉強しているときの滑るようなペン運びと、迷いのない発言、集中力、研ぎ澄まされた眼差しに圧倒された。

 そこには中学校までの、いわゆる『レールを敷かれた』勉強法とは全く違った、まるで攻撃的な学習の姿があった。


 きっと応援部での普段の姿を見ずに、予備校やテスト会場で久我ゾンネさんを見れば、唯の才媛にしか見えないだろう。そして今更ながらというか、初めてというか、間近で彼女の顔をじっくりと眺めることになった。


 髪の毛は毎日綺麗に切り揃えられ、眉も一本たりとて外れているものは無く、整えられている。紅こそひいてはいないものの、潤いのある唇の口角は引き締まり、尖った顎のラインから頬にかけて、少し男性的な面立ちがショートカットを一層引き立たせていた。


久我ゾンネさんて、お綺麗だったんですね?」

「それは過去形? それとも今になって気づいたという現在完了形?」

 彼女は、ペンを動かしながら訊ねてきた。


「後者です。」

「何処が?」

「ご自身に最もお似合いの髪型や、整え方を知っていらっしゃるんだな、と思って。」

「有り難う。結構手間がかかるのよ、ショートは。」

「大変ですね。」


「君の…、其の女性を褒める方法は天性のもの?」

「は?」

「普通、この歳でそういう風に何気なく、ストレートに褒められる男は居ないわよ。余程の下心があるか、まあ、正直か、訓練されたか。」

「どれでしょう?」

「知らないわよ。」

「自分でも分かりません。」

「じゃあ、きっと彼女がしっかりしてるのね。」

「ああ、そうかも知れません。褒めないと叱られますから。」


「其の鍛えられた観察眼と、洞察力を勉強に向けなさいよ。」

「はぁ。」

 彼女は、漸く顔を上げた。


「何故美しいのか、何故似合っているのか、どう形容したら正しいのか、其の際にどういう表現を選択することが最善ベストなのか。」

 畳み掛けるようにズバズバと言葉が出てくる。


「はぁ。」

「引き出し許り沢山作っても、直ぐに取り出せなかったら無意味なのよ。千も万も恋の歌を詠んでみたところで、実際恋人に伝えられなかったら意味がない。見当違いのものを送ったって意味がない。だから、君は常時いつも彼女に伝え続けているんでしょう?」

 少しの澱みもなく、清冽な鉄砲水が噴き出すように、口を開けば言葉が流れ続けてくる。これに反論出来る人が居るかというくらいに。


「はぁ。」

「ならば、勉強も『知ろう』と努力なさい。そして、知った知識を総動員して問われていることに答えなさい。答える力がないということは、まだまだ観察と練成が足りないということよ。」

「はあ。」


「相手をでる言葉が見つかれば…それが答よ。」

「成る程?」

「本当に分かってるの?」

「何となく。」

「まあ、彼女に対する思いと同じくらいの情熱と方法を、騙されたと思って勉強に注いでご覧なさいよ。」

「はい…。」


 そうした放課後の自習が終わると、彼女は約束通り僕をお茶に連れて行って呉れた。


 教室から校門への帰り際、廊下を歩いていると、週に一度か二度は、女子が駆け寄って来て、久我ゾンネさんに手紙を渡す。


「有り難う。」

 彼女はそれを微笑んで受け取り、クラシカルな革の折鞄に仕舞っている。


「アノ…。」

「何?」

「それって、ファン・レターですか?」

「ん~、まあそうね。もっと強烈なものもあるけれど。」

「全部、きちんと受け取られるんですね。」

「一応ね。気持ちだから。」

 彼女は、顔色一つ変えずに、此方も見ずに、前を見て歩きながらそう言った。


「全部にお返事なさるんですか?」

「そう。交際希望なら断る。」

「しつこい人とか居ません?」

「居るわね。一方的に思いこむタイプ。」

「どうするんですか?」

「『私は誰とも交際しない』ってはっきり言う。」

「それで解決しますか?」

「しない時もある。」

「じゃあ、どうするんですか?」

「例えば…、こうする…。」


 久我ゾンネさんは、立ち止まっていきなり僕の肩を抱いて顔を近づけてきた。


「あ…それは。」

「シーッ、此のまま鳥渡ちょっと力を貸して…。」


 彼女は横目で様子を窺い、十秒ほどすると、寸止めギリギリまで接近していた顔を離した。


 そして、僕の肩を抱いて歩き始めた。

 暫く行くと、ゆっくり肩を離して呉れた。


「ありがとう。もう大丈夫だわ。感謝、感謝。」

「…何するんですか、いきなり。」

「ごめんごめん、鳥渡しつこい奴が丁度居たから。」

「見せつけの真似にしたって、僕が逆恨みされません?」

「苦しうない、斬って捨てよ。」

「其様な無責任な!」


 *     *     *


 身長一七五センチの久我ゾンネさんは、外を歩いていても注目されることは屡々しばしばだった。


「何か、こう、自分が惨めに思えるんですけど…。」

「これだから日本の男はダメなのよ。元々日本人は小さいんだから、其様なことをゴシャゴシャ言っても仕方ないでしょ? 幕末の侍は、背が小さいことなんかで、異人相手に悩んだりした?」

「いやぁ…僕は侍じゃないし。」

「気の持ち様よ。中味で勝負なさいよ。」

久我ゾンネさんには敵いません。」


「褒めて呉れるのは嬉しいけど、今の君に褒められても嬉しくない。」

「彼女が居るからですか?」

「違うわよ。努力していないからよ。それなりの努力をし続けないと、今に彼女にも捨てられちゃうわよ。」

「ひえ…。」

「折角美人の彼女が居るんだから、感謝して、勉学にも励みなさい。」

「はい…。」

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