一音六 洗礼 (4)もう少し 大人になりましょうね

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、第一高等学校の一年生。

 中学卒業直後から交際を始めた同級生の盟友「三条亜惟」とは別々の進学先。

 駿河は再会した中学時代の先輩に誘われ「応援部」に入り、個性的な先輩の洗礼を受ける日々の一方で、女子高に進学したベーデ(三条亜惟)は、といえば。

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 中学校に入学した時は、小学校との違いに驚いたが、高等学校は高等学校で、別の意味で驚いた。

 何せ、入校訓練と言っても見事に『形』だけで、殆ど何も説明らしきものがない。という以前に規制や決まり事というものが成文化されておらず、殆どが慣習で暗黙の了解のうちに動いているので、新入生にとっては戸惑うことばかりだった。

 授業一つにしても、だだっ広い、新聞紙を広げたくらいの大きさの紙に、全学年の講義割が書かれていて、それを便りに自分の教室を探して学校内をウロウロしなければならない。誰からも何も指示はないので、ぼーっとしていると、周りに誰もいないままに静かになっているなんてこともあった。


 朝と昼と夕方だけは、講堂時計塔の破鐘がガンガンと時を告げて呉れるが、それ以外の時間は、ベルやチャイムなんてものもなかった。それこそ適当に始まり、適当に終わるという、なんともはや中学校とは正反対の世界だった。

 全てにおいて『自分で考えて、周りを見て動け』という主義らしい。

 女子の数は相変わらず少なくて、男子の四分の一強足らず。制服にしても「『着てくる』こと以外に制約もなく、其の制服も男子は詰め襟学生服に、女子はテーラースーツ。冬と夏で色が異なるほかには、デザインでも実に取り柄がない。更に旧制時代から何回か「改善」されたのか、その御下がりなのか、幾つかの仕様違いが学校内に溢れている。そんな「ざっくり」とした男女が溢れている様子は、何となく黒と紺と灰と白で、概ね「まあ、いっか」的な全体像だった。


 *     *     *


「学校慣れた? …て聞くだけ野暮みたいね。」

「慣れるほど、○○ねばならない、ってことがないんでね。」


 入学後で初めて、学校帰りのベーデと顔を合わせた。

 どういう情報網なのか、僕に予定が無いことを知っているかのように日時を指定してくる。


「此の間、聞き損ねたんだけどさ、何? それってもう夏服なのか?」

「違うわよ。これが冬服。」

「へぇ…。」


 一高の女子は濃紺又は黒のテーラースーツだから、制服なんだか、式服なんだか、OLなんだか、「ザ・地味」という以外は特長がない。時折、「戦後、一時期代用品」として進駐軍の払い下げ品を活用したとかいうもので、外縫いポケットやエポレットや裾ベルトがある「見た目ちょっと派手」なデザインがあるくらい。

 外見の変化と言ったって、女子の場合、精精髪の毛に少し洒落っ気が付くか流しっぱなしの長髪が目につく程度だ。だから、入学とは言っても、『あ、周囲が大分大人びた』くらいにしか印象が変わらない。寧ろ「男っぽい人がもっと増えた」ようだった。

 一方、K女子に進学したベーデは、髪の毛をピン留めから解放したのは勿論、濃紺のセーラー服から、グレイで上下統一されたダブルのブレザー服姿に変わっている。


鳥渡ちょっと立ってみ?」

「え? 何? こう?」

「ふーん…。大人っぽいね。」

「何、言ってるのよ。」


 何かしらダボッとした感じの、昭和前期のイメージから抜けきれない一高のテーラースーツもそれなりに郷愁というか、妙な安心感というものがあったけれど、ベーデの着ているグレイのブレザーは、身体の線にしっかり合わせて作られているようで、スカートひとつをとっても、プリーツのないセミタイトのシルエットが頗る大人っぽく見えた。


「なんだか、急にお姉さんになっちゃってさ。」

「貴男ってば全然変わらないわね。成長したの?」

「二週間程度で其様なに成長してたまるか。」

「成長っていうより、寧ろ退化してないこと?」


 彼女は椅子に座り直すと、此方の様子をまじまじと眺めている。

 今はボタンが変わっただけで何の変哲もない学生服だけれど、足元は先輩から貰った足駄に変えていた。


 ―最初から高いものを履くと、転けたときに足首を痛めるからな。―


 というので、適度にすり減った5cm位の高さの朴歯だった。


「へぇ。父には聞いていたけれど、そういう格好でも良い訳?」

校則きまりなんて何もないからね。上下、制服をまとって行かなきゃならないって以外は。」

「ふーん。自分できちんとコントロールしなさいよ。貴男、言われないと何も出来ないんだから。」


「そうそう。気をつけないと、授業にも出られない。」

「ほうら…。せめて週を跨ぐ予定くらいは、私が手に書いてあげましょうか?」

「いや、それは止しとこう。流石に自立しないと。」


 中学校時代、忘れ物をしないよう、ベーデは僕の掌に常時いつも油性マジックでキーワードを書いていた。


「其の後、何かあったかい?」

「え? 学校のこと?」

「女子校って、どうなんだ?」

「どうもなにも、女しか居ないわよ。」

「何だか、凄そうだな…。」

「別に平気よ。私は爬虫類じゃないから周囲の環境で自分を変えたりはしないから。」


「大丈夫なのか? 女の世界でそういう生き方って。」

「もし、私に何かあったら何かして呉れるの?」

「殴り込みに行って遣ろうか?」

「はい、有り難う。お言葉だけありがたく頂戴しておきます。」

「駄目?」

「貴男の今年の目標。もう少し、大人になりましょうね。」

「何だい、自分だけ急にお姉さんぶってさ。」


 鈍感な僕でさえ彼女に《大人》を感じたように、彼女は内も外も大きく状況が変化していた。

 勿論、それは中学校から高等学校に進学する殆どの人が感じるものと大差ないものであったのだろうけれど、問題は《内も外も殆ど変化のない》僕の方にあった。

 変化のない人間が、変化に直面した人間の心境を推し量ることは、其の逆より遙かに難しい。してや、まだまだ女子に追いつくことも出来ない男子の青春期の思考では、彼女が置かれてい状況を、もっとおもんぱかってフォローに徹するなどということは至難の業だ。


『恋は三日、三週間…』と言われる初心者ひよっこカップルの倦怠期を、表面に出さずに通り過ぎていたのは、ひとえに彼女の人徳の為せるものだと言って間違いない。


「お姉さんついでに、いっそのこと私に全部お任せして了ったら?」

「今と何が変わるんだ?」

「…。まぁ…、変わらないわね。」

「待て待て、言ってみて少し此方こっちが自己嫌悪だ。」

「だから、大人になりなさい、っていうの。」


 彼女と一緒に居ると『任せていれば安心』『従っていれば安泰』という、安易な依存心が場を満たすことには気づいていた。

 勿論、そうして許りでは、彼女の表情も段々険しくなることを知っていたから、最近では少し許り恋愛論の本なども読んてみたりはしていた。


「…これでも少しだけ頑張ってるんだけどな。」

「ふーん。偉いじゃない。」


 今までのベーデなら、会話もスムースに入ってくるところが、どうにも制服が替わった所為で視覚的な壁が出来て、何気ない言葉ですら入ってこない。


「あの、鳥渡良い?」

「何? 褒められると気持ち悪い?」

「そうじゃなくて、見た目が慣れない…。」

「え? 何か変?」

「変じゃないんだけど、変。」

「何?」

「セーラー服じゃないから…。」

「ああ、成る程ね。仕方ないじゃない。」

「まあ、慣れるしかないか。」

「直に慣れるわよ。此様こんなもの。」


 学校の制服というものは、一つの小さな「社会」を表す標章しるしであって、当然、それが異なる=「社会が異なる」ことも意味している。

 彼女がもし、其のとき、自らの制服に拘りを示して『良いでしょ、これ。もう中学生じゃないんだから』とでも言っていたら、僕の頭の中には単なる『お姉さん』イメージだけではなく、『違う世界の女子』という怪しい雲が涌き起こっていただろう。

 そうではなく、彼女が『此様こんなもの』という表現を使ったことで、僕の頭に芽生えそうだった『遠くなる存在』とか『別の世界』という意識は、見事に一刀両断され、姿形も無く雲散霧消した。

 彼女は、女学生にありがちな「学校での人間関係=生活の全て」ということはなかった。学校の締め付けを嫌いながらも、其の人間関係は学校に強く依存している人間が多いけれども、彼女の場合は、学校は学校、人付き合いは人付き合い、生活は生活と、はっきり分けていた。

 だから、学校のクラスメートだからというだけで安易に迎合することもなければ、同じ学校ではないからというだけで排斥することもなかった。


 唯一の例外は応援団で、

「此の世界だけは別。知らない人間に、どうこう言われたくはないし、そういう人間にどうこう言う心算つもりもない。」

 と、応援団の話題に関することだけは一線を画していた。


「お前は、K女こうこうでチアに入らないのか?」

「入らない。」

「あら、また簡単に言うなぁ。コーコは入ったんだろ?」

「コーコはコーコよ。私は私。」

「あ、そう…。」


 彼女はまた、いたずらに中学校と応援団にしがみついている訳でもなかった。

 流されることなく、かといってとどまり続けるでもなく、自らの由とするところをもって、居るべき所を見つけているようだった。

 僕が幼く思えるのも、彼女が大人びて見えるのも、そうした二人の《自我》の濃淡によるものだったのかも知れない。

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