入学前夜 (2)一体全体 馬鹿なのか利口なのか

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、中学を卒業したばかり。

 卒業式直後から同級生の三条亜惟と付き合い始める。

 別々の高校に進むことになる二人は、招集日までの間、亜惟の発案で旅行に出かけることにした。

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「時々それが原因で、自分で自分を狭めてる、って感じはあるのよね。」

「気にしなくて良いんじゃないの? 俺は全然気にしてないし。」


「だって貴男は生粋の日本人じゃないの。」

「生粋の日本人てなんだよ? 原日本人ってものか? 渡来人だって、帰化人だって、いっぱい居て、原日本人なんてもう痕跡もないだろ。あと二、三世代もすれば、ハーフやクォーターなんて言葉すら意味を持たなくなるぞ、きっと。」

「そうか知ら?」

「そうだよ。地球は一個しかないんだから、学問的な意味以外でチマチマ分類ばっかしてどうすんだよ。」


たまに深そうなこと言うわね。駿河あなたも。」

「色が違うだの、信じてる神様が違うだの、其様そんなことで『お前が気に入らない』なんて言ってる馬鹿な動物は人間だけだ。」

「確かに。スズメはツバメを蹴飛ばさないものね。『お前、白黒で生意気だ』とか。そういう理由では。」

「そういう無駄な考え方を邪念って言うんだろ。下手に考える能力なんか授かったもんだから、神様の真似をし始めて、人が人を分類なんかしようとする。」

「あら、あなた、何か降臨してきたの? 聖書みたいなことを言うわね。」


「何かい? お前は、矢っ張り『何とか書、第何章、第何節に、こういうフレーズがある』とか知ってる訳?」

「有名なものは知ってるわよ。うーん、詩篇二十三なんか好きね。」

「どういうの?」


 鴨川沿いのベンチで、薄暮れていく夕焼けの中で、彼女は小さな声でそれを歌って呉れた。


 The LORD is my shepherd, I shall not want.

 He makes me lie down in green pastures;

 he leads me beside still waters;

 he restores my soul.

 He leads me in right paths

 for His name's sake.


「ごめん、どういう意味?」

「主は我が羊飼い。我はもう求めることはない…。」

「ふーん,お前は今の状態に、満足な訳?」

「貴男と私が此処ここに存在していることは満足だわ。それこそ神様に感謝している。」


「格言とか宗教ってのはさ、それ自体が立派な訳じゃなくて、偶々たまたま『あ、そうかもね』って共感する人が多かったから残ったものな訳でしょ?」

「でしょうね。」

「だとしたら、俺の教義は正しいとか、お前の教義は間違ってるとかじゃなくて、単なる見解の相違じゃん。住んでいる場所の環境や暮らし向きが違えば、感じることも当然違うさ。宇宙人が来れば、地球上の宗教なんか全部否定されるぞ、きっと。」


「あらら、貴男、新興宗教でも始める心算つもり?」

「教義だの、説教だの、救いだの、まっぴら御免だよ。」

「無宗教? 困れば神様に祈るくせに?」


「あれは「神に祈っているのではなくて、自分に向き合っているんだ」って言ったのはお前だぞ。それに、一つだけ、あ、正しいなと思う言葉もある。」

「何?」

「神の国は天空にではなく汝の心の中にあり。」


「ふ~ん。まあ、私の相手としては合格点ね。」

「お前は神様か?」

「そうよ。貴男の女神様。」


 ベーデは良きにつけ悪しきにつけ、何でもはっきり言う。普通の女の子なら、およそそ恥ずかしくて言わないような、こういうことでも平気で言ってのける

 。

「うあぁ…、自分で言っていて恥ずかしくないか?」

「そういう相手を選んだ自分が恥ずかしくないの?」

「凄く恥ずかしいぞ。見ろ、俺のほうが真っ赤だ。」

「失敬ね! 旅行の間、一回でも良いから少しは恋人らしいことくらい言いなさいよ。」


「ん? …お前は俺にとっての地球だな。」

「何よ? 大きく出たわね。」

「普段は何気なくて意識もしてないし、悪気もなく踏みつけたりしてるけど、結局其処から離れることも出来ないし、どういうことになったとしても、無しでは生きていけない。」

 ぶらぶらさせていた彼女の足が止まった。


「ん? 怒った?」

「…。駿河は、一体全体、馬鹿なのか利口なのか分からないわね。」

「全然意図してないから。あるがまま。」

「まあ、良いわ。これまでのこと、今の発言で全部許してあげる。」


「さ、明日は二人とも招集日だぁ!」

「人が折角良い気分に浸ってるのに、何うしてそうやって現実に引き戻すのか知らねぇ。」

「いやでもやって来るのが現実だぁ! お前も俺も、明日は制服を着て、朝一番の新幹線なんだぞ。」

「うぇぇ…。お願いだから、もう鳥渡現実逃避させて。」

「あと三時間だけ、な。」

「はぁ…。」


 桜の花びらがはらはらと舞い散る、文字通り優雅な喧噪のなかでも緩やかに落ち着いている高瀬川の流れとは裏腹に、僕にとっても、彼女ベーデにとっても、人生の荒波へと続く大嵐が荒れ狂う高校時代が始まろうとしていた。

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