つい先週のこと 第二巻 高等学校編「丘の上」

雪森十三夜

入学前夜 (1)スタートダッシュで先行逃げ切り

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、中学を卒業したばかり。

 卒業式直後から同級生の三条亜惟と付き合い始める。

 二人が共に過ごした辛い「応援団」もドタバタの日常も、すべては思い出となった春。

 別々の高校に進むことになる二人の行く末は。

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 半ば押し出されるように中学校は卒業したものの、高校への入学はまだ、という宙ぶらりんな状態の春休み。僕は、付き合い始めたばかりの彼女ベーデと一緒に、京都に向かう新幹線の車中に居た。


 新学期が来れば、僕は中学校と同系列の一高に、彼女は私立のK女子に、夫々それぞれ別々に進学することになっていた。

「《学校の切れ目が縁の切れ目》なんていう馬鹿げたジンクス、私に限っては絶対に許さないから。」

 という彼女の強い信念の下、春休みの間中、僕は暇さえあれば呼び出され、お茶を飲みつつホットケーキを食べる毎日が続き、お腹は可成かなりダブダブになっていた。


「大体最初が肝心なのよ。スタートダッシュで先行逃げ切り。」

 逢う度に彼女ベーデからは、そう釘を刺される。


「そういうもんかぁ?」

 などと鳥渡でも疑念を差し挟もうものなら、

「そういうものよ。貴男はこういうことなんか、何ンにも分かってなんかいなんだから、口を出さないで頂戴!」

 と、説教されていた。


 確かに、当時の世間一般的な中高生の初心者ひよこカップルが、一体全体どういう付き合い方をしているのか、僕には幸か不幸か判断材料が殆ど見当たらず、まあ、女の子がそう言うのならばそういうものなのだろう、と彼女に任せておいた。


 任せておいたら、ある日突然、

「高校の招集日前日まで、奈良と京都に行くわよ。」

 である。

「馬鹿か? 許して貰える訳ないだろ?」

 という常識的な予測は、彼女の冷静沈着かつ優等生ぶった根回しによって、いとも簡単に崩れ去った。


 毎日必ず電話を入れること、宿泊先はベーデの御両親が予約をする、勿論、部屋は別々、という条件で、親達が旅行を認めて呉れたのだ。


 *     *     *


「何だって京都・奈良に行きいなんて言ったんだ? 半年ちょい前に修学旅行で来たばっかりじゃないか?」

「あら、日光じゃ小学生でしょ? かと言って十五歳で木曽路だの、松島だの、箱根だのなんてガラでもないでしょ。京都・奈良だったら『修学旅行じゃゆっくり見られなかったから』で話が早いのよ。」

 相変わらず女の子の頭の回転の良さというか、悪知恵には感心させられる。


「ふ~ん。」

「それに泊まるところだって、親が健全だと認めそうなところがいっぱいあるじゃないの。」

「女っていうのはどうして、そう智恵が先回りするんだろうなぁ。」

あなたたちが遅れてるだけよ。」

 一言の下にバッサリと斬り捨てられる。


「そうかぁ?」

「そうよ、おまけに愚鈍で気が利かない。」

「…耳が痛いね。」

「大体此様こんな話なんかしていないで、せめて京都までの新幹線。車中の時間をつぶせるくらいの気の利いた話の一つでも用意して来なかったの?」

「え? 寝て過ごす心算だったから…。」


 彼女は咳払いをして座席に座り直し、此方を向いた。こういう風に間を置くときは要注意だ。


「名古屋で降りて帰りましょうか?」

 案の定、不気味なほど丁寧な声で訊ねてきた。


「なんでぇ?」

「京都まで寝ている心算なら、私と一緒にわざわざ京都・奈良に行かなくても良いでしょ?」

「いやいや、そういう心算つもりじゃあ。」

心算つもりじゃなくても、結果がそうなってるの。」

「ごめんなさい…。」


 *     *     *


 ベーデは気が済んだのか、男なんぞ仕方がないと諦めたのか、また座り直して頬杖をつきながら窓の外を見ている。


「良かったわね。私が相手で…。」

「何うして?」

「だって、こうして何でも思ったままに言ってあげるもの。普通の女の子だったら、何も言わないで窓の外を見たまんま、気不可い沈黙が京都まで延々と続くわよ。」

「それは辛かろうなぁ…。」


「他人事じゃないわよ。そう思うのなら少しは感謝の気持ちを示してよ。」

「感謝してます。」

 僕はテーブルの上に置かれている彼女の手の上に、自分の手を添えて素直に感謝と恭順の意を示した。


「よろしい。それで、京都に着いたら何処どこに行くの?」

「え?」

「え、じゃないわよ。親の説得は私がしたんだから、旅のスケジュールくらい貴男が立てて来たんでしょう?」

「う…。」

「う?(怒) 宇治? 太秦?」

「そうそう。どっちだっけ…。」

「はい、ガイドブック。私が寝ている間にしっかり勉強しておいてよ。」

「おう…。」


 *     *     *


 普段通り彼女の圧倒的優勢で始まった卒業旅行ではあったけれど、幸い天気にも恵まれて、無計画なりのゆったりした感覚の中、厳しかった中学校時代に凝り固まった身体中の凝りを解すことが出来た気がした。


 *     *     *


「チェック・インも、此処で最後か。」

「今日は、夜の散歩も短めにして、ゆっくりしましょ。」


 《散歩》とは何か。哀しいかな僕らには夕方から宵の口にかけての有効な時間の過ごし方がない。

 《居酒屋》に入ることなんて当然出来ない。当時はファミリー・レストランなんてものもない。ファスト・フードに至っては「脂ぎっていて肥る! 然も汚れやすい!」という理由で即却下ダメ

 精々、遅い時間に喫茶店を出ると、夕食までの間の数時間、只管ひたすら歩くしかなかった。今から思えば「其様そんなに歩いてばっかりいられるか…。」と、考えただけで疲れそうだが、当時はまだ若い。幾らでも歩き、立ち止まり、そして話が出来た。


 フロントで両親の宿泊同意書を出し、僕が署名し終えても、彼女は隣でまだ綴り続けている。

「名前が長いと大変だな?」

「貴男は字が乱雑なだけよ。」

「だって、フルネーム書いてるんだろ? 三条・ベルナデート・亜惟って。」

「筆記体で書くから漢字で画数の多い駿河轟の貴男より早いわよ。丁寧に書いてるだけ。」

「ふーん。」


 其の日の《散歩》は、夕方から哲学の小径を歩き、其処から西に進んで鴨川沿いを下り、京極から高瀬川付近の喧噪に京都を感じながらホテルへと戻るコースを選んだ。


「日本人も、外国人も、何故京都に拘るのか知ら?」

「ミヤコだからだろ?」

「首都の地位から離れて百年以上経つわよ。」

「それまで千年近くミヤコだったからだろ?」

「応仁の乱で焼け野原になったわよ。」

「それでもミヤコだったからだろ?」

「駿河は、矢っ張り京都や奈良が日本人の魂の故郷だと思う?」

「ん~、観光地だとしか感じないなぁ。」

「私は全然実感が湧かないんだけど、四分の三だからかなぁ?」

「日本生まれの日本育ちだから、実質もっと多いでしょ?」


 彼女自身がクォーターであることを気にした表現をするのは極めて珍しかった。

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