一音六 洗礼 (1)大丈夫で御座居ます

【ここまでの粗筋】

 主人公「駿河轟」は、第一高等学校の一年生。

 中学卒業直後から交際を始めた同級生の盟友「三条亜惟」とは別々の進学先。

 春休みの旅行から戻り、愈々、彼等の高等学校生活が始まる。

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 高校だから義務教育ではない。受験を経て、合格し、入学したのだ。

 受験を経験したのは中学校の時以来、二度目だ。

 偉そうに言ってはいるが、中学入試とは違い、同じ高校に進学した同級生は七十人近くも居る=あまりに緊張感のない高校入学だった。

 他にも三十人~五十人の合格者を送り出してくる姉妹校が三校。つまりは、一学年の定員四百人のうち、半分前後はご同輩で占められていた。

 入学手続書類の中には、入学式の前に、教科書販売と、芸術科目等の授業選択のために登校せよという「招集日」の連絡があった。

 招集日は三月下旬だ。まだ、高校の入学は許可されていないので、中学校の制服で登校しようと思ったものの、中学校の卒業式の後、下級生にボタンを全て取られて了ったから、自宅近所の用品店で一般的な中学校用の金ボタンを買い求めた。


 招集日の朝、ベーデとは東京駅で分かれ、高校最寄りの電車駅から歩いて十分弱。古色蒼然とした校舎が見えてきた。

 中学校の校舎も可成り古いものだったが、高校のそれは更に格上の骨董品だった。蔦が全面を覆った四階建ての校舎に体育館、講堂、図書館等々のこれまた古色蒼然たる建物が建つ。

 門には負けずと劣らず文化財級かと思われる守衛所があり、其の脇の掲示板に、其の日の日程や告知事項が掲示されている。

 盆暮れ正月の国鉄の帰省列車切符予約か、と思わせるほどの人だかり越しに、教科書販売と、教科登録の順序を確認し、うすら寒いほど冷える校舎の中で一通りの手続を済ませ、順路に従って中庭に出る。


 すると、其れ迄の「人数の割には静粛」な雰囲気がうって変わったかのように騒然とした状態に包まれた。

 左右に張られた黒と黄のロープの間が新入生の通り道となっていて、左右にはクラブ活動勧誘の上級生が目白押しになっている。

 ビラを受け取るだけでも大変な混みようで、まるで正月の初詣のようだ。僕は、適当な金ボタンを付けていた御蔭か、出身中学校故にロープの横に引っ張りこまれたり、また体格が良いからと言うだけで腕を掴まれて、連絡先を書かされるという目に遭わずに済んだ。

 押し流される儘に五十メートルも進むと、漸く周囲の上級生の数も少なくなり、視界が開け、ロープも其処で途切れていた。


 其の儘進めば、目の前が図書館、左側が大講堂になっている鳥渡した高台へと上がる坂道。右に降りれば、別の駅に向かう門の分岐点になる中庭の外れだった。

 部活勧誘の洗礼も意外に呆気なく終わり、気が抜けて「扨てどうしたものか」と、少しぼーっとしている所に、太鼓の音が聞こえた。見渡してみれば、大講堂の入口が開いていて、其の中から発しているようだ。


 大理石で出来た大講堂前の石段を一段、一段上がり、空いている入口に近づくと、精緻な工芸で出来た電飾灯の下に、張り紙の貼られた(これまた朽ち果てる寸前というような)木札が立っている。


〈應援部 練習中 十三時~十五時半 見学自由〉


 中学校で応援団に居た懐かしさも手伝い、また、其の先輩方も、此の高校に進学していたことを思い出し、暗い講堂の中へと足を踏み入れた。

 建物内では、ロビーが三階まで吹き抜け、背面が全てガラス張りのため意外に明るく、歴代の校長の胸像や肖像画が歴史を物語っていた。


 先程来の太鼓の音は、講堂の中から鳴り続いている。

 ただ、此のとき、僕がイメージしていた応援練習の物音、つまり中学校までの応援団の練習であれば聞こえるであろうという頭の中にある音と、講堂の中から聞こえてくる練習の音が、どうにも違う。

 開いている扉の一つから、中を覗き込むと、ワックスの強い匂いの中、既に何人かの新入生が長椅子に座り、あるいは壁に寄り掛かり、練習を見ている。


(ああぁ、成る程。)


 練習の「音」が違う決定的な理由をステージ上に見つけた。


(太鼓だ。和太鼓かぁ。)


 中学校の応援団では、バスドラム、所謂西洋太鼓を使っていたが、今、目の前の練習で使われている太鼓は、よく神社の祭礼などで見かける和太鼓、それも可成り大きめのものだった。

 もう一つ、中学校では必ず付きものだった吹奏楽部やチア・リーダーは居ない。ステージ上には、学生服姿で一メートル四方ほどの旗を持ち、白線入りの学生帽を被ったリーダーが居る。そして、観客席がイメージされる講堂内の長椅子の彼方此方には、同じように白線帽に学生服、あるいは着物に袴姿のリーダーの姿があるだけだった。


(へええ)

 と、近くの長椅子に座り、眺めていると、太鼓が大きく一つ鳴り、ステージ上の中央に居たリーダーが発声を始めた。

 最後の部分から、講堂内のリーダー全員が唱和し、歌声が始まった。


(随分、ゆっくりした間合いなんだな…)


 リーダー、ブラスバンド、チア・リーダーの三部が揃った、所謂大学野球の応援に類似した応援団を中学校で経験してきた僕には、初めて目にする高校の応援方法に別の興味が湧いてきた。

 発声方法も姿勢も全く違っていた。中学校では一生懸命に生徒をリードするためにがむしゃらに声を出して、動き回る中から、自分の応援のリード方法を見つけていったものだが、高校生が今、声にしている歌は、まさに歌そのものだった。

 「澄んだ歌声」「クラシック歌手のよう」とでも言えば分かり易いだろうか。腹の底から声を出すためなのか、微動だにしていない。一方で、人数が十数人程度なのに、声量は中学校の応援団のそれを遙かに超えている。


(講堂の中だから、という訳でもなさそうだし、凄い声だな)


 ステージ上のリーダーがゆったりと旗を振りながらリードをとる姿は、ある種、優雅な舞いのようで、中学校の対面式で初めて目にした時とは、また別の感動を覚えた。


 *     *     *


 練習が終わり、大講堂の最前列で《集合》が行われている。中学校の応援団と違い、吹奏楽部もチアも居ないので、精々十数人程度のこぢんまりとした《集合》だった。

 男性でも、皆、比較的長髪が多いこともあって、失礼ながら男なのか女なのかの区別も、遠目では分かり辛いほどだ。

 因みに、「一高は、併設校とは言っても、一中とは全く違った世界だから、まあ、慣れるまでにひと月は掛かる」と言われていた。

 当時は、高校でも学校説明会なんぞなく、また、併設校で内部進学する場合には、敢えて文化祭を見に行くということもなかったが、女子には「入学してから『騙された』と騒がぬよう必ず一度は見に行っておきなさい」と何度も言われていた。

 招集日からして、「告知方法がざっくり(時間と場所と必要金額しか書いていない。」「制服がざっくり(旧制と新制なのか、夏服と冬服なのか、とにかく制服を着ているのだけれど、何種類あるのか判らないくらい。)」「見た目がざっくり(前述のとおり長髪、剃髪、モヒカン、染髪、ポマード、蓬髪、何でも居た)」「先生がざっくり(洋服あり、和服あり、白衣あり、ジャージあり、頭髪も同様)」等々、驚くよりも呆気にとられるばかりだった。


 そうこうしているうちに、はっきりとした大きな掛け声もなく解散となったようで、人のまとまりが解けたと思ったかと思うと、一人の上級生が此方に駆けて来た。


「居た、居た、矢っ張り来たね!」

 声の響きは、其の言葉の通り、確かに聞き覚えのある懐かしいものだった。


「え? 小林ヘルツさんですか?」

「そうよ、ほら!」


 妖怪かと思うほど、ざんばらりと顔を覆っている長い髪を手でかき上げて現れた顔の輪郭と表情は、大人びてはいたものの、紛れもなく中学校の応援団で二期先輩の小林ヘルツさんだった。


講堂ここの外で鳥渡ちょっと待っていて呉れるかな。今日はもう良いんでしょう?」

「はいぃ。大丈夫で御座居ます。」

 僕は、つい、というか反射的に、中学校の応援団での決まり文句で返事をした。


「アハハ、相変わらず元気そうね。」

 そう言うと、彼女は、講堂の地下に続く階段へと消えて行った。


 春は明けた許り。日暮れはまだ早く、講堂の外は、もう直ぐ夕暮れが近づこうとしていた。練習を終えた運動部の生徒たちがバラバラ、ぞろぞろと帰って行く。

 小高い丘の上に立っている講堂の前のベンチは眺めが良く、夕焼けに暮れてゆく街の様子が何か不思議なノスタルジーをもたらしてきた。


 突然、其の静寂を破る大きな音が講堂の上方から鳴り響いた。破鐘ともチャイムともつかない異様な音だ。

 振り向けば、夕焼け空にそそり立っている時計塔の針が午後五時を指していた。


「あぁ、もうガンガンの時間かぁ…お待たせぇ。」

「いえぇ。」


「アハハ、其の癖、まだ抜けないんだ。まあ無理もないか。つい、此の間まで現役だったんだものね。でも、此処では要らないのよ。」

「おおぉ、そうですか。」


 中学生の時は、ショートカットで、どちらかといえば童顔だった小林ヘルツさんが、長い黒髪を纏めるでもなく、風に靡かせている。とても中学生の時から三年しか経っていないとは思えないほど、大人の女性になっていた。


 其の姿の前に、言葉の接ぎ穂に迷っていると、

「入る? 応援部に。」

 いきなり直球で質問が飛んできた。

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