21.陸軍の壁-そして終結……
「……終わった、のか……?」
ぽつりとそうつぶやいたのは誰だったのか。
”何もなくなった”がらんとした交差点の真ん中を全員がどこか呆然と眺めている。
いつからか薄らぎだした霧の中、街はただいつもどおりの光景を、だが静かに眼前に広げている。
「終わりました。斎藤さんが、”
「標石?」
「あの亡霊たちがずっと探していたものですよ。多分ね」
清明はそういって、いつもの静かな微笑みを浮かべた。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
いつもどおりの景色の中で、いつもよりずっと静かな渋谷は翌日には元の賑わいを取り戻していた。
「標石」の存在は術士にとっても盲点だったようだ。
それはたったふたつだけこの渋谷に存在していた、戦争当時の明確な名残だった。
「まさか斎藤が助けに来てくれるとは……」
「いやーははは、役に立てて何よりだよ」
各部から数人の関係者で事後の確認に来ていた中に、とりあえずの退院をした斎藤の姿もある。
清明もその石の存在が今回の解決のキーになる可能性には直前に気づいたという。
彼らを縛るもの、そして同時にそこから逃すために必要なもの、それがあの石だった。
「本当にね。二・二六事件の慰霊碑には彼らが収容されていた刑務所の壁が使われていた。それが壊れたことで出てきたようだけど、彼らが毎日毎日あちこち走り回っていたのは、当時から残る軍用地の境界を壊すためだったようで……僕たちにとっても彼らにとってもそれがすぐ近くにあることは盲点だった」
「近くってどこです?」
会話の延長で聞いた浅井に、清明はにっこり笑って答える。
「ハンズの裏」
「え……」
にっこり笑った意味がわかるようなわからないような。
笑いたくもなるような場所が飛び出てきたことで、全員が二度聞きしそうな勢いだ。
ハンズとは井之頭通りにある都内でおなじみのDIY素材の総合店である。なんなら今から徒歩10分以内で行ける距離だ。
「ハンズの裏とか……そんなとこに……軍用地?」
「もうひとつは駅近のパチンコ屋の裏だよ」
「パチンコ屋!?」
もはやそんなところにひっそりあったことに驚くべきなのか、そんな身近な場所が軍用地だったことが驚くべきことなのか、よくわからない。
「よくみつけたな~斎藤」
「いや、それに気づいたの、俺じゃなくて戸越さん」
そこでまた「ん?」となる。
司は忍が当日の事件後、”なぜか斎藤と”一緒にいたことは知っているが、それ以外は何も聞いていなかった。
「どういうことだ?」
思わず聞き返す司。斎藤が手柄を立てたことは結果オーライだが、聞いていない。そこは大事なことなので二度言いたい。
「いやーえっと、どうしても気になって近くまで来たんだけど……それは聞いてるだろ? な?」
何かしらをフォローしようとする気配がする。
「そういえば斎藤が結界の外に出てしまったバイクを……バイクに遭遇したんだな」
司の極めて事務的な声音の確認。それで逆に斎藤はこの時点で観念している。
「うん……それも聞いてるよな……?」
「事後もごたごたして調書はまだだし、バイクに遭遇した時に誰がいたとかどういう状況でバイクを消し去ったのかは聞いてないな?」
「………………それは……その」
真正面から見てくる司の視線に耐えられなくなったのか斎藤は目をそらした。
「怒られるなら戸越さんの方だって戸越さんが言ってた!」
「?」
「呼びました?」
現状をさばききれなくなったのか、斎藤が忍の名前を出したところで本人が聞きつけて寄って来た。
「うん……あの、ごめん。俺、司に怒られそう」
「斎藤さんは立役者です。怒らないでください、司くん」
「じゃあ俺は誰を怒るべきなんだ?」
「たぶん、私が怒られるだろうなって、斎藤さんと病院出るとき話した」
話が見えてこないが、自覚がありそうなことはしでかしたらしい。なので司は黙って続きを待つ。もちろん、無言の圧もその間には存在している。
「斎藤さんも私も、現場が気になってしまったから斎藤さんに連れてきてもらったんだよ。斎藤さんは最初反対した。だから斎藤さんは悪くない」
「そうか、じゃあ俺が叱るべきは忍なんだな?」
「そうだと思う。だから、事前に怒られるなら私だろうって斎藤さんと話してたんだ」
先ほどの斎藤の謎発言につながり、理解できた。
しかしだから何だというのだ。
理解したところで全く意味がない話ではないか。
だと思う、という客観的すぎる肯定にいろんな意味での静かな怒りは湧いてくるのでとりあえず忍に向けておくことにする。
これは理屈ではなく感情なので。
「いたたたたた……」
無言で頬を引っ張ってやると珍しく悲鳴を上げたが、司がやっていることも周りから見ると非常に珍しいので何事かという目で見られるくらいで何がどうということもない。
「まぁまぁ白上君。ちゃんと僕から話すよ」
清明さんに言われて、ちょっと気の済んだ司は手を放す。
忍は諦めていたのか頬を撫でながらため息を一つついた。
「最後に外に出てしまったバイクが一台。結論から言うと結界のすぐ外に”軍用地”の
軍用地の標石はすでに政府の管轄ですらないただの遺構。残っているのは偶然の産物であり、偶然が偶然を生んでしまったと清明は語る。
「斎藤さんはすぐにそのバイクを追った。そうだよね?」
「はい。だけど、なぜか同じ場所をうろうろしてるんだ。でもあの石柱を壊した途端に消えた。その時、それが標石だって気づいたのは戸越さんだったんだよ」
斎藤は清明に答えてから、司に向かってそう説明をする。
そこからは念のために清明にそれを伝え、すでにスクランブル交差点が閉鎖直前だったタイミングで清明はもうひとつあるらしい標石の手配を斎藤に依頼した。
そして交差点での最後に繋がるのだという。
「斎藤さんと戸越さんに周辺への立ち入りを許可したのは僕だよ」
「置いていくと危険だし、ハンズの裏の石柱を探してくれたのも戸越さんだったから」
「みんなで私を庇ってくれるのはありがたいけど、結局、許可されなければど真ん中には入らなかっただろう件について」
………………………………………………。
清明、斎藤と続いたところで忍が真理をついてくる。
正常運行だ。
自分を正当化しているわけではないが、怒られたことに対しては少しだけ間違いだった可能性を提起している。
「……清明さんには現場を判断する権利があるから」
「司くん、それ清明さん怒りにくいだけでしょう」
「どっちにしても病院待機の斎藤を連れ出して現場に来ようとしたのは怒られることだよな?」
結局、振り出しに戻った感で譲らない司だった。
”陸軍の壁”が壊れたその翌日、街は平穏を取り戻した。
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