15.病院にて-忍の場合

 忍が目を覚ましたのは夕方になってからだった。

 目を覚ますと制服姿の司がいてすぐに声をかけてきた。


「大丈夫か?」

「……大……丈夫……」


 搬送されてから数時間が経っていた。自分に確認するように呟いて身体を起こす。

 白手袋をはめた司の手が背中を支えたが、体は少し重いだけで他に違和は感じられない。

 ベッドの白いシーツを数秒ぼんやり眺めてから、忍は顔をあげた。


「私……倒れてた?」

「あぁ。検査の結果は異常なしだったが……何があったんだ」


 顔色はまだ蒼白だ。が、倒れたところまでは記憶がしっかりあるのか会話もそこからはスムーズだった。


「無国籍通りを歩いていたら、具合が悪くなって……」


 そうではない。

 記憶を最初からたどるのはやめて重要なことから伝えることにする。


「バイクを見た。渋谷区役所の裏側。それが放送センターのところを右折するのが見えたから、歩道を先回りしようとして……」

「事故現場を見たのか」


 日常の巡回で、ある程度街区にも詳しい司は脳内に地図を描く。

 放送センターを右折、区役所の歩道を先回り。

 これだけで事故現場の公園通りにたどり着くのは容易だった。


「うん。少し遠かったけど。別のバイクも目の前を通り過ぎて行ったところまでは覚えてる」

「そのあと倒れた?」

「うん」


 状況説明はこれで終了だ。

 しかし倒れた原因も何もかも司には伝わらない。はずだったが。


「忍、どうして無国籍通りに行ったんだ」


 休日だ。遊びに行ったと言えばそれまでだろうし、その可能性の方が普通に考えて高いのに司がそう聞くのには理由がある。


「なんでそんなこと聞くの?」

「浅井に聞いた。うちの警戒区域のデータを持っていっただろう。何か気づいたことがあるんじゃないのか」


 こういうことが起こってほしくないから司はその後の対応について考えていたのである。

 しかし、忍の方が行動が一歩早かった。

 司が浅井から聞いたのは事後だが、内緒にしてくれという話も聞いていたから司にしてみればそこでアクションを起こそうとしていることは容易に想像できるのである。

 お互い、言葉にして明白に突きつけることはしないが、だからこそお互いになおざりにはできないことでもある。


「……」


 忍は少しだけ黙っていたが看破されていたことがわかると小さなため息をついて話を始める。


「今までの出現位置や事故のあった場所をまとめて落とし込んだ地図を眺めていたら、なんとなく無国籍通りのあたりに中心地がある感じがしたんだよ」

「感じ?」

「感じ」


 ということは明白に座標をすべて繋いで確認したというわけではないようだ。忍はそこまで専門的なことはやらない。

 ただ、この「勘」というものが計算より時に的確なことがあることを司は感じているし、実際ぼんやり眺めていたら理解できるというのは、一種の才能でもあるのではないかと司は思う。


「全部繋いだわけじゃないんだ。はずれたスポットももちろんいくつもある。でも、だから気になって散歩がてら行ってみたらね」

「座標の特定は清明さんがしてくれる。でも、清明さんにも来てもらおう」


 司がそう言うのも心配もあってのことだが一種の勘である。

 忍は普段、わけもなく具合が悪くなるタイプの人間ではない。「ただ倒れただけ」ということ自体が異常に感じられるし、病院での検査が異常なしであったのだから、この場合は”それ以外のこと”に理由がないとは全く限らない。

 ましてこの非常事態だ。神経質になって足りないことはないと司は考える。

 この病院が比較的、彼らの行動拠点から近いこともあって清明は外が暗くなる頃にやってきた。

 初夏の夜は、マジックアワーを越えれば10分ほどで訪れる。白い病室の壁を染める空の色の移り変わりは他愛ない話をしている間に、大分暗くなっていた。ノックの音が響く。


「こんばんは。戸越さん、大したことがなくて良かった」


 清明は穏やかな声でそう言ってからベッドサイドにある椅子に腰を掛ける。

 司は入れ替わりで照明をつけて再び彼らのもとに歩を寄せた。


「少し話を聞いているよ。無国籍通りに君はあたりを付けたようだね」

「はい。何があったというわけではないですが」

「君が倒れたのは、おそらくあの辺りに集まってしまった彼らの気に充てられてしまったんだろう」


 人外であるのは確定的だったので、「彼ら」が何をさすかは追及はせずに少しだけ話をする。清明たちも渋谷周辺は調べており、ゆらぎはあるものの、突然磁場が狂うようなことはあるのだと説明してくれた。


「このご時世だし、僕たちの言葉を用いるなら霊的な次元と物質界の境目があいまいになっているのも大きいんだ」


 仮説ではなくここは確定してきた。しかしそれは一般人でもわからないでもないことだった。

 この時代、神魔が容易に具現化して街を歩くようになった時点で今まで見えなかったものが形を持つ可能性は大いにある。もちろんそれは彼らの力の多分にもよるのだろうが多かれ少なかれ力の大きいものの近くにいると影響を受けるものだと清明は話を続けた。


「あの場で君が影響を受けたのは、近くで接触しすぎたかもしれないしそうじゃないのかもしれない。そこは要検証だけど、今日は休んだ方がいいだろうね」

「忍がまとめたデータは明日にでも俺が送ります。紙ベースはノートに挟んでいるそうですが」

「バッグ覗いてもらえば、内ポケットにリングノートがすぐ見えるのでそこに挟まってます。持って行ってください」


 といっても仮にも女性のバッグに手を突っ込むことに躊躇いがある清明に代わって司がバッグごと手に取って忍に渡してやる。

 多機能型のショルダーバッグだ。必要なものがすぐに取り出せるようになっていて、忍は手元に来たそれからワンアクションで小さなノートを取り出した。


「はいどうぞ」


 受け取って清明は一度開いて確認してからそれを袂に入れてあった袱紗ふくさのような入れ物にしまう。それくらい小さな紙片でもあった。

 それからはとにかく今日は休むことを優先させて、改めて見舞うように三人で雑談をしていたが……


「そういえば、二.二六事件って司くん覚えてる?」


 忍が突然に聞いてきた。

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