6.豚バラと里芋の煮物

総務部の担当者

 私のデスクは、事務所の入口付近にある。入口にはカウンターがあり、郵便物や荷物の受取等をしている。


 受取の際、手書きでサインをしたり印鑑を押したりする機会が減った。ドライバーさんが持っているトランシーバーのようなアイテムにタッチするか、専用のペンで自分の名前を書くようになった。


 未だにクセで、配送業者の姿が見えると印鑑を持って席を立ち、カウンターに向かってダッシュしてしまう。そして、今か今かと捺印のタイミングを見計らって印鑑を出したり引っ込めたりしている。


 そんな私に対して「こちらにお願いします」と、ちょっと申し訳なさそうな感じでトランシーバーに似たものを差し出してくる。


 同じ失敗を何度かしているので気まずい。つい体が反応して印鑑を手に取ってしまうのだ。物忘れがひどい職員だと思われているかもしれない。


「ハンコを使う機会って、少なくなりましたよね」


 今日も見事に失敗をして、私は苦し紛れに言った。すっかり顔馴染みとなった若い男性ドライバーが「そうっすね!」と営業スマイルで返事をしてくれる。


 荷物は、小箱がひとつだった。品名を確かめると「機械部品」になっている。


 製造部の責任者である実久が発注していた部品だ。デスクに置いておくよう言われていたので、彼女の席に向かう。


 実久のデスクは、相変わらず物であふれていた。書類やらファイルやら、飲みかけのペットボトルやら煙草やら……。積み重なったファイルの山を崩さないよう、注意して小箱を置く。この状態が落ち着くらしい。


 一度、私のお節介モードが発動して片付けたい旨を進言したが、あっさりと断られてしまった。


 その実久が、事務所に顔を出した。


 まだ午前10時を過ぎたところだった。昼の休憩には程遠い時間だ。めずらしいなと思いながら、機械部品が届いたことを彼女に知らせる。


「さっき届きました」


「ありがとう」


「この時間に事務所に戻ってくるなんて、何かあったんですか?」


 ほぼ確信を持って聞く。だって、顔を見れば見るほど不機嫌なのだ。仕事大好き人間の実久は、作業の手を止められることを嫌う。計画通りに作業工程を進められないからだ。


「総務の湯田に呼ばれたのよ」


 煙草を手に取ったものの、事務所は禁煙なので諦めたようにデスクの上に投げ捨てた。


 湯田というのは、総務部に在籍する四十代の男性社員だ。腰が低く物静かなひとで、いつも淡々と仕事をしている。


 その静かな湯田の声が、私の背後から聞こえた。


「宮野部長。お忙しいところ申し訳ありませんが、少しお時間よろしいですか?」


「……はい」


 ため息と返事が半々、といった感じで実久が席を立った。そのまま、湯田と一緒に会議室に向かう。 


 何かあったのだろうか……?


 自分の席に戻り、印鑑を引き出しに仕舞いながら考える。


 ふと、隣に座る嶺衣奈と史哉のことが気になったけれど、二人とも黙々と手を動かしていた。少しずつ目を離しても大丈夫な時間が増えている。成長の証はそのまま彼らの努力の証明だと思う。


 せっせと働く二人の姿を見ていると、なんだかじーんとする。他人の成長がこんなに嬉しいと感じるなんて。


 感慨にふけっていると、事務所のドアが開いた。魔女の相棒のような猫がトレードマークの配送業者が、大きめの荷物を抱えている。


 私は今度こそ、無事に印鑑を手にすることなく席を立つ。


 電子サインを済ませると、魔女の相棒の配送業者は「しゃっす」と軽く会釈した。そして颯爽と大型トラックの運転席に乗り込む。


 届いた荷物はサーモンの切り身だった。これを乾燥させてジャーキーにするのだ。事務所の隣にある工場からスタッフが出てきて、作業場へと運んでいく。重そうな荷物が20箱はある。


 毎日、数種類の原料を仕入れて加工している。午後にも原料が届く予定だ。注文がわんさか来ているので、納期が迫った注文もある。


 予定通りに進まなくて、イライラを募らせる実久の気持ちも理解できる。


 何を話し合っているのだろう、と気になって会議室のほうを見ると、ちょうど扉が開いた。中から実久と湯田が出てくる。湯田は相変わらずの淡々とした表情だったけど、実久のほうは憮然とした顔つきだった。


 カウンターの辺りで実久は立ち止まり、ちらりと私のほうを見た。それから、事務所の外に出て工場に戻っていく。


 これは、昼休みに呼ばれるな……。


 長年「ちょうど良い話し相手」な私は、その気配を察知した。

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