第19話 出来レース

 金色に染められた絹のような髪を掻き分けて、女は特別な眼鏡を耳に掛けた。

 彼女の目の前には、一向に魔法を発動できない美少年が一人。

 いや、美少年というか美男児と言った方が良い。彼の見た目はまだ六歳かそこら。


「それじゃ、次。男の子には珍しいけど、月夜の女神ルーネリアの加護を試してみましょう」

「ルーネリア…様?えっと…、ボクたちの夜道を照らす女神ルーネリア様。ボクに闇の力を!はぁぁぁぁあああああああ‼」

「そんな気合を込めるものじゃないわ。…はぁ、これも駄目ね」

「…ごめんなさい。合宿中も全然出来なくて…」


 少年は左腕に包帯を巻き、左目に眼帯を付けている。

 今は誰もいないから、眼帯を直接見ることが出来る。

 そして、その眼帯には王族の紋章であるアルテナスの文様が描かれている。


「一応学力は上がっているわ。良い傾向よ。それに魔力もちゃんと伸びていない・・・・・・。このまま行けば、問題ない水準に収まるわね」

「え…っと。マーガレット先生。…ダメ、なんですか?やっぱり…」

「そういう約束でしょ?」


 マーガレットの翡翠色の眼はガラス越しに包帯と眼帯を交互に捉えた。

 そして彼女は思い出す。彼女が崇拝する神官長ヘルメスの言葉を。


     □■□


「包帯と眼帯?…それにそんな特別な力があるんですか?」


 エステリアの文様とアルテナスの文様がそれぞれ刺繍された包帯と眼帯。

 それが机の上に置かれていた。


「…察しろ」


 私はつい怪訝な顔をしてしまった。崇高なる私の憧れに対して。

 そして、彼はそんな私を見て顔を顰めてしまった。


「はい!そ、そうですよね。こんなに女神様の紋章が描かれていれば…。そ、素材もとても素晴らしく…。包帯…の織り方も大変素晴らしく…。眼帯の紐も、まるで王族への献上品…」


 ヘルメス様に比べれば私など、稚児同然だ。

 だけど、マーガレットには分からないか、なんて思われたくはない。

 だから、思いつく限りの言葉を並べた。

 すると彼はふぅと息を吐いて肩を竦めた。


「この話はもう良い。とにかくソリスのことを頼んだぞ。お前が側で見ておくんだ」

「そ、それではヘルメス様の身の回りは…」

「それは他の者でも出来る」


 他の者。最近で言えば、その悪魔の子が連れてきた姉。

 へルメス病と呼ばれるくらいだから、新しい女神官が近づくのはよくあること。

 あんなの当たり前だし、あの女には何もできない。

 今までだってそう。だから、他の女官も何も言わずに迎え入れている。


 だが、それは違う。断じて違う、と私は言いたい!


 もっと畏れ多い存在であって欲しい。前はもっとそうだったのに。

 私が小さい頃はもっと…


 一歩後ろ、いや。数km後ろから眺めるだけでも尊いのに、この頃のヘルメス様はご自身を安く見せ過ぎだ。


「マーガレット。聞いているか?」

「勿論です!ヘルメス様の言葉は一言一句、聞き逃しません!」

「よろしい。ならばアイツのことは頼んだ。」

「はい?」


 気が付けば、私は神学校の責任者だけでなく、悪魔の子担当の先生にも抜擢されていた。


 ——ほんと。エルメス病って厄介


 あの時の自分を殴ってやりたい。

 こっちの仕事こそ、他の誰でもできるではないか。


「はい…。ボクは目立っちゃいけないって」


 純粋なアルテナ人の証である金色の髪に緑宝石の瞳。端正な顔立ちは高貴にも見える。

 見た目はなかなか良い。

 例えばエルメス様を百点。いや、五億点とした場合、一億点くらいはあるだろう。


 だけど、珍妙な包帯と奇妙な眼帯がそれらを台無しにしている。

 でも、あの格好には海よりも深い意味がある。


 でも、あれで目立つなっておかしくない?見て見てって言ってるようにしか思えないんだけど?


「だ、大丈夫です。この眼帯も包帯も外してないです!」

「そ。それなら良かったわ」


 って何が?何が良かったの、私?

 私の親戚の娘をどうにかねじ込んでもらったけど、あの子からも何の報告もないし

 これは一体、どういうことなの?

 メルキュリの加護を通しても何も見えないなんて。

 いえ。それはうまく行っているということよ。それは間違いないの。

 もう少しで彼の魔力量は、一般的な水準に落ち着く。 

 そうなれば、もう。誰も彼を悪魔の子とは思わなくなる。


「あの…。折角合宿で鍛えてくださったのに。ボク、…魔法が全然使えない。だから、やっぱり不合格…?」


 ディーネ山での合宿を決めたのはエルメス様だ。

 勿論、霊山を巡るのは神学を学ぶ上で重要な事だし、そのお陰で三十三人の生徒の魔力も大きく成長した。

 全てエルメス様の計算通り。だけど、私はこんな場所に来たくなかった。

 誰が、好き好んでこんな山奥に…


「マーガレット先生?ボク、やっぱり…」

「山奥に…、…ん?あ、まだいたの?合格よ。合格に決まってるでしょ」

「え…」


 男児は目を剥いた。両肩も跳ね上げた。

 あの洗礼式の彼と同一人物とは思えない。

 やはり、あの眼帯は素晴らしい。やはり、あの包帯は素晴らしい。やはり、エルメス様は素晴らしい‼


「え…、じゃないわよ。アナタ、目的を忘れたの?」

「ボク…の目的。ボクは色んなことを学ぶためにここに来て…」

「そ。ちゃんと叶ってるじゃない」

「あ、そか。ボクはちゃんと勉強してる…。ん?でも、ライブスとロザリーが魔法の試験もあるって」


 それはそう。目的の一つは悪魔の子の世代の魔力量の底上げだから。

 他の三十三人には、そう伝えている。


 とは言え、子供の考えることだ。


「他の科目で良い点が取れたら、それで合格。…伝え忘れてたかしら」

「そっか…。その為に他の科目があるのか」

「そういうことよ。ってことで、合宿兼昇級試験は終わりね。明日の朝には出発するから、みんなに伝えてきて」


 男児を見送って、一先ず任務完了。


「…はぁ、やっと帰れるわ」


 これで漸く、平和な日々がやってくる、とその時の私は思っていた。

 だけど、その日の夜。とんでもない事件が起きた。


     □■□


 十人十色だから、三十四人三十四人色。

 皆、色んな思いを抱いて学校に通っていた。


「ソリス!」


 ボクは呼ばれてビクッとした。

 声の主は分かる。だけど、ボクは立ち尽くしてしまう。

 ライブスが不機嫌そうにこちらを見ていたのだ。


「絶対良からぬことを考えてるだろう」

「へ…。良からぬことって?」

「お前さ。その包帯を見てる時の目がヤバいんだって。人が変わったみたいになってるぞ」

「そ、そんなこと…ない…よ。それで…何?」


 良からぬことを考えている目?それはそう。ボクの左腕には悪魔の手が封じられている。

 眼帯と髪で隠れた左目にも悪魔が宿っている。

 でも、バレてはいけない。


「今日で最後だぞ、合宿」

「うん。ほんと、良かったよ。合格できて」

「良かったよじゃないって。そりゃ良かったけど、そうじゃねぇだろ」

「…へ?何が?」

「何がじゃねぇ。女子のとこに行こうって、俺ずっと言ったよな?んで、ボクには試験があるからって、お前言ったよな?」


 そうだったっけ。ううん、そうだった。

 でも、このご学友。座学を覚えていないのだろうか。

 性教育で教わった。

 本能的に魔力量が出産に耐えうる年齢にならなければ、恋愛、性欲などの感情は生まれないって。


 そりゃ、ライブスは魔力もずいぶん増えて、体も成長してるけど。

 ボクは…まだ


「大丈夫だ、ソリス。お前が寂しがり屋ってのは有名だ」

「寂しがり屋じゃないし、それがなんだっていうのさ」

「ロザリーとリリア、ゾフィもいいかな」

「…来るときはそんなこと言ってなかったじゃん」

「来るときは、だよ。でも、なんか合宿で感じ変わったよな?」


 ズキッ…


 その時、ボクは左目に痛みを感じて蹲った。


「ん。どした?思い当ったろ?」


 思い出したかどうかは結構あやふやだった。でも、ボクは知っている。

 マリョクはチュウタンデンに溜めやすくて、この時期は女の人は男の人よりその傾向が強い。

 お姉ちゃんが、あの時そうだったように。


「え…。そ、それは…その」

「大丈夫だって。俺もただ話がしたいだけ。流石に神殿に併設の神学校じゃ、こういうこと出来ないから」

「だったらライブスが一人で…」

「弟的なソリスが居た方がいいんだって。ほら…」


 そしてボクは渋々手を引かれ、部屋を出て止まっている宿泊施設をを出て、同じ敷地内にある別棟へと向かう。


 相変わらず、人間の数に比べて、建物が多い。

 その理由も今は違う目線で見ることが出来る。

 流石に三年生の終わりだし、自分の置かれた立場も理解している。

 前例がないっていうのは嘘、というか考えられる前例が一つしかないだけ。

 この世界の人間は要するに、戦いが好きなのだ。そして偶に世界大戦が起きるから、文明も服装も地域ごとにバラバラになってしまう。


「よそ見してないで急ごうぜ」


 十人十色。成長の速さだって人それぞれ。


「うん。でも、嫌な顔されたら直ぐに帰るからね」


 三十四人も集まれば、三十四の色が並ぶ。


「お前がいたら大丈夫だって。だから…」


 皆、色んな思いを抱いて学校に通っている。


 ってことは


「おい。そこの金髪、ちょっと待てよ」


 皆がボクに優しいってわけじゃない…

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