第11話 ここからが始まり

 グラスフィール領の隣にはメゾリバリア領と呼ばれる水の豊富な地帯が広がっている。

 三つの大きな川の西側がグラスフィール領との境界になっていた。


「ほら、ソリス。君が行きたかった市場だぞ。ここから北が何処の領地にも属さない、バレンシア地区。アクアス霊山全体がバレンシア地区だから、このメゾリバリアを北へ行けば辿り着く。でも登るのは大変だから、ここが結構栄えてる。新鮮な果物や野菜。肉や魚が売ってるのはここまでだよ」


 前の領地ではリーナに抱えられていたが、こっちではレックスが俺を抱えている。

 この男が言ったように、関所は呆気なく通過出来た。


 リーナは多分、いつも俺を抱いていたから、中丹田周りの気の通りが良くなっていた。あぁ、アルテナ語だと『マリョク』って言うんだっけ。

 んで、その手の勉強は修道院では教わらなかったという話だ。


「うーん。どれもこれも美味しそう。やっぱりおかしい」

「何がおかしなもんか。君とリーナ様にもなじみがある食べ物ばかりだよ」


 そして、街を歩く人たちもリーナを疑う者はいない。

 街を歩く人たちの服装は様々だが、一番多いのは上衣と脚衣が分れた体型衣形式。

 レックスの服もソレにあたる。ズボンの着用が多いと言うことは、馬に乗ることを想定しているのかもしれない。

 少なくともレックスのソレは間違いなく、馬での移動を想定している。


「ねぇ、オジサ…、じゃなくてお兄さん。ボクにはまだ早いのかもしれないけど、神様とかの話が聞きたい」

「神様?…オレよりも教会の近くで暮らしてたのに。そんなことだから悪魔の子とか呼ばれるんじゃないのか?」

「それは…」

「最初から呼ばれてたのよ。今考えたらだけど、何かあってもソリスのせいにすればいいって思って、預かってたのかも」


 ここでレックスは足を止めた。

 少し考え事をした後、くるりと振り返った。


「そうでしたね。リーナ様はその状態を不憫に思い、孤児院から連れ出したのでした」


 明らかにレックスが今考えた設定だった。

 リーナは少しだけ訝しんだ後、軽く肩を竦めた。


「そうです。だから、ソリスはそんな目で見られていたから、まともに教えてもらってません。レックスはそんな目では見ませんよね?」

「勿論。オレはリーナ様のそんな善意に胸を打たれたからこそ、同道しているのです」


 そして、即席の設定が決まるのに一分もかからなかった。

 俺は、こいつは何を考えているんだ?と思いながらも、リーナを真似て頷いた。


「それでは…。ソリスに見せたいものがあります。あちらへ行ってみましょうか」


 レックスは相変わらずのにこやかな顔。

 そんな彼は、俺を抱えて人の少ない方に向かって歩き出した。

 馬は預けていて、街中ではずっと徒歩。リーナの衣装が街を行き交う女性と同じなら、若い親子に見えるかもしれない。

 市場を離れ、大きめの家を通り過ぎ、まだまだ歩く。そのうち、ポツポツと民家が見えてきた。

 遠くには農場も見える。そして彼は俺の耳元で囁いた。


「ソリス、この領地を通ってきた街、それから農村。どう思う?」

「え?」


 いきなり意味の分からない質問。

 なんていうか、間違えてはいけない気がした。

 さっきのリーナの言葉だってそう。俺を馬鹿って言っているように聞こえた。

 確かに、そうだけど。ただ、言葉を知らないだけだし。


「んと。何を言えばいいのかな。…市場にある家も街にある家も、あっちの家もバラバラ…だし。服もバラバラで…」

「そう…よね。アタシもその質問の意味が分からない」


 リーナも首を傾げる。だけど正直言って、俺は驚いていた。


「流石はリーナ様。そしてお共にソリス。大正解です」

「正解?全然分からないんだけど。ねぇ、ソリス」

「…うん。訳が分からない」


 各々が違う神様を信仰している。

 国を治める場合、宗教は非常に有効だ。だのに、川を跨いだだけで街の様子が変わる。


 なんて考えていたら、レックスのニヤニヤがもっとニヤついた。


「ソリス、君もよく気付いたね。確か、君はグラスフィール領でさえも、あまり歩いていない筈なのに」

「な…」

「レックス‼そういう目は駄目って、アタシ言ったけど?」

「あぁ。そうでした。ゴメンね、ソリス。今の君の反応がとても興味深くて、ね。そう睨まないでよ。悪意はこれっぽちもないんだから」


 俺は無意識に、俺を抱える男を半眼で睨んでいた。

 ゆっくり歩いたのはその為か、この発言を引き出す為か。

 そも、狙いも分からない。やはり悪魔の子として扱いたいのか、と言いたいが本当に悪意を感じない。


 そして、そんな目を向けていたら、俺の視界からその男が消えた。

 強引に引き剥がされただけだけど。


「ちょっと、レックス。それ、褒めてるように見えない。やっぱりソリスは任せられないわね」


 リーナの良い匂い。全身が柔らかくて安心する。


「悪かったよ。でもね、ソリス。今の一言で、君が普通じゃないって分かる。それくらい、君は発言に気を付けないといけないってこと。君が軟禁一歩手前の孤児でなく、普通の六歳児だったとしても、今の発言はおかしい。賢い君には分かるよね?」


 前提として悪魔の子があるから、ちょっとしたことで足をすくわれる。

 でも、彼が言いたかったのは、俺が最初にした質問の答えだった。


「うん。ボクは昔から変わってるって…」

「ううん。そうじゃない。さっきオレは普通の六歳児って言った。もしも君の生い立ちが貴族の子供や商人の子供だったなら、大した話じゃないんだ」

「ほら、やっぱりレックスは意地悪をしたのね」

「そうかもね。でも、ソリスが聞こうとした話。神様については駄目。今はなかなか、難しいことになっているんだ。だから、今みたいに簡単にボロが出るうちは駄目だよ」


 なんでもかんでも、うっかり口にする俺には話せない、が彼の答えだった。


「難しい…って。アレクスを信じる者が国を建てた。それだけでしょ。他の皆はちゃんとエステリア様を信じているのだし」

「リーナ様はそのままでいいです。でも…、ほら。本人は分かったって顔してるよ」


 それはそう。俺に信仰心ってものはない。そも、この世界の神を知らない。

 前の世界でもそう。南無阿弥陀仏と唱えたら、極楽浄土に行けるって程度にしか考えていない。


 だから、今の答えで十分。宗教問題に巻き込まれるとか絶対に無理。


 だが、ここでこの男。

 リーナから俺を奪い返して、やはり糸目のままで何度か頷いて、こう言った。


「ま、それはそれで可哀そうだから、簡単なとこだけ説明しようか。リーナ様もいらっしゃることだし。今からアクアスの大神殿に行くんだし、少しくらいは話した方が良い…かもですね、リーナ様」

「え?…大神殿に行くんですか?そ、それは確かに…」


 こいつ、あっさり考えを変えやがった。

 やっぱり話した方が面白そう、って絶対に思っている。

 う…、だが。これを聞いてしまったら…。俺はいつ何時も、口を滑らせないようにしなければならない。

 だって宗教戦争とか、戒律とか、魔女狩りとか、異端審問とか、神様の歴史とか、神話とか、逸話とか、…秘密結社とか。


 ——なんか、カッコよい‼


 こちとら、そういうのに嵌って中学の時に魔法陣の本を探してた時期もあるんだよ‼


「お、教えてください…。チラ…チラ…」


 是非‼分かってます‼お口にチャックっす‼


「はぁ。そうくると思ったよ。いいかい。先ず、王家が最高神に掲げているのは光の女神アルテナス。アルテナ人とかアルテナ語とか、これは想像しやすいよね」

「…そか。そこから来てたんだ。もしかしたら教会の真ん中の女神様…かな」

「真ん中はエステリア様よ。アルテナス様もエステリア様の娘です」


 地母神は基本的に土着の神、それがエステリア。もしかすると王族は別の領地から来た…とか?

 いや、今は我慢だ。俺はこの世界の住民になったんだから、知らなければならない。


「そうだね。王族は民に対しての宗教の自由を認めていた。実際、エステリア様を信仰している民は多いし、同じくらい太陽神アレクスを信仰している民も多い」

「アレクスは野蛮な神です」

「まぁまぁ。温和な信者だっているんだから。そして今から向かうのはアクアス様の霊山。アクアス様はエステリア様の娘であったり、孫であったり、色々な説があるけど、エステリア様にも負けない信仰の歴史を持つ。何せ、メゾリバリア領は霊山アクアスから流れる川に支えられているからね」


 山岳信仰。これも定番だ。そも、川の源流は山にある。水源を持つ者が偉いし、水源を汚染させられたら、みんなが困る。

 そもそも、どこから水が湧いてるんだって疑問に持つ人間だっているし。

 ってことは、バレンシアはアルテナス神国よりも、エステリア信仰よりもずっと古いのかも?


「だけど、世の中が変わっていくもの。王族が関与しているのか、それとも別の団体が関与しているか、そういう意味じゃなく変わっていくもの」

「でも、神様はこのようにお創りになったと…」

「お姉ちゃん、えっとね。さっきの市場でも見たよね。ボクたちの孤児院でも見たよね。色んなものが手に入る」

「そう。誰がどうって話じゃなくて、みんなが変わっていった。その結果、いつの間にか社会の方が変わっていったんだ」


 糸目の中にうっすらと茶色の瞳が見える。見えると言うことは、俺が見られている。

 まるで、君なら分かってるよね、と言っているように見えるけれど、やっぱりこいつの考えは分からない。


 とは言え。


「ま。今はこれくらいかな。今から向かうのは最古とも言われる神殿。だから、他の神様の名前を迂闊に出さない方がいい」


 今回は本当に基礎の基礎。


 それにここからが本当の始まりだった。


 だって、赤子の頃の俺をしる人物まで出てくるのだから。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る