第8話 まるで天女のよう
先ほどラナとルーナが搔き集めていたタオルが、部屋の中で舞い上がる。
リネン、ラミー、ウールで編み込まれた布地が、バチバチとリックとロイドを襲う。
「ぬゎ‼なんだ、この風‼布が…邪魔で…」
「これ…って、魔法?どうしてリーナが…。リーナの家系も魔法が使えないって聞いてたのに」
この部屋は避難部屋として、リアルに作り上げられていた。
水や食べ物、それから暑くても寒くても必要なタオル類、色んな応用が利くシーツ類が山のように積まれていた。
自分が使ったタオルやシーツを洗って干した後、この部屋に持っていく。
そして、この部屋から別のタオルとシーツを持っていく。水もそうだし、保存食もそう。
「徹底して、アタシたちがここに来るように躾けられてる。でも、アタシたちには身を守る方法が他に見つからなかった」
先ほど彼らはそのソリスが両親のことで胸を痛めていないと言った。
それはおかしいから悪魔の子と言った。
だけど、それは年長組ならではの発想なのだ。
誕生月にもよるが、当時二歳に満たない子供たちは、両親への記憶がかなり薄い。
一歳未満だと、顔さえも覚えていない。
そして、何が何だか分からないまま、新しい兄や姉とペアにされる。
それからの人生の方が長いし、ここに住んでいる者は皆、父と母がいないのだから、父親や母親の話題が出ることはない。
だから、それだけでソリスが悪魔の子って決めつけるのは違う。
だって…
□■□
小さな時に親を失ったから、家族との記憶が殆どない。
いやいや、年長組だけは違う。
リーナだってそうだった。父親が殺され、母親が拉致された。
最初に考えるのはどうやれば取り戻せるか、会いに行くことは出来るかだったけど、その望みはあっさりと潰された。
最年長のリックでも当時は5歳。今のソリスの年齢にも届いていない。
「今のアタシには何もできない。だから、教会で生きていくしかない。それでいつか偉くなって…。…その為に、こんな子の面倒を見ることになるなんて」
男と女をペアにする。そうすることでならず者から狙われにくくなる。
男子寮、女子寮を作ったら、あっという間に掻っ攫われる。
力を持たないアタシたちにお似合いの防衛システム。
『ん。もう寝た…かな。えっと…』
消灯時間になると、気味の悪い声が聞こえる。
これしかないって思っていた防衛システムも、一歳児にも満たない幼児とペアでは無意味だと一発で分かる。
——守るべき存在がいると、強くなれる。
そう言われて、押し付けられた。
それから子守の毎日。先生の言い分も分からなくはない。
だけど、流石にこれが数か月も続くと嫌になる。
「ねぇ‼」
『げ‼起きてた…』
「あー、あー。むにゃ…」
「誤魔化しても無駄よ。アンタ、悪魔の言葉を話すって聞いてるもん」
「あくま…ちがう…」
「じゃあ、何なの?」
「きもちが…わるい…から」
「気持ちが悪いのはアタシの方…」
「ごめん…なさい…」
こんな奴を押し付けられてという思いと、一向にアレク国に攻め込まない伯爵家への反感から、悪魔の声を通報せずにいた。
とは言え、半年も続けば流石にもう限界。たくさん勉強をして偉くならないといけないのに、幼児と同じペースで寝起きをしなければならない。
きっとまだ生きている母を助ける為に、教会で上り詰めて聖戦を叫ばないといけないのに。
確かに見た目は可愛いけど、本当に気持ち悪い言葉。だって、悪魔が憑いているんだもん。太陽神アレクスを信仰してるなら、アレクスだって悪魔。本当に気持ちが悪い。
はぁ、明日にでも通報しよ
だけど、そんなアタシたちの関係に変化が起こる。
本当に少しずつ。
「リーナって凄いね。その子を抱えながら、何でも出来て」
ルーナに言われて目を剥いた。
同じように赤子の世話を義務付けられた子が周りにいて、皆同じようにしていると思っていた。
アタシは自分のことしか考えていなかった。
「え…。そういえば、そう…かも?ねぇ、リック。アタシと腕相撲してみない?」
「腕相撲、いいよ。…はい。俺の勝ち。でもなんで?」
「…え?なんで?」
挑んだ方も挑まれた方も目を白黒させてしまったり、
「ロイド、どっちが重い荷物を運べるか、競争しましょ」
「はぁ?…って、お前。こんな時ぐらい赤子を降ろせよ」
「今から孤児院戻るのめんどくさいし。…はい、アタシの勝ち!」
同じく挑んたアタシも、挑まれたロイドも目を剥いてしまったり。
「どういうこと?」
ソリスを抱えていない時に負けて、ソリスを抱えている時に勝つ。
っていうか、アタシ。ソリスを重いと思ったこと、一度もないような?
「きっとあれじゃないかな。守るモノがある方が強くなるってエイリス先生が言ってた…あれ」
「そんなこと…全然ない…けど」
邪魔だと思ったことしかない。
でも、抱えている時の方がアタシって調子がいい?
本当に少しずつ、変わっていく。
「…また、起きて何かやってる」
「う…、おきて…た」
アタシに見えないところで何をやってたんだろ。
リックが隠れて何かしてるってルーナが言っていたけど…
まだ一歳半だし、流石に…、それに少し光ってなかった?
「うー、悪い。俺、熱っぽくて」
「ゴメン、私もで」
子供たちの楽園でも、体調を崩すことだってある。
司教様は忙しいから、余程でなければ治療をして下さらない。
「リーナは本当に風邪ひかないよね」
「やっぱりアレじゃね?馬鹿は…」
「馬鹿じゃないし!アタシは昔から体調を崩しやすくて…、気を付けているのよ…」
ううん、そうじゃない。
アタシは昔から体が弱くて、だからお父さんとお母さんが頑張って働いてて…
そして、徐々に近づき始める。
「それって何の意味があるの?」
「えっと…、こども…ほね…よわい…力…流れ…そこに…気持ち…悪い?」
元々、話すのが苦手な子供だった。
でも、流石に三歳にもなると、単語を並べられるようになっていた。
ただ、それとはちょっと違うのかも。
彼は必要な単語を言うたびに指を一つ折り、単語を確認しながら並べている。
頑張って、伝えようとしている…らしい。
「ジュンカンサセル。カラダガオオキクナルト…スコシズツムズカシクナル…」
「…ん?今、何て言ったの?」
「あ…。…ごめん…なさい」
「謝らなくていいから。…お姉ちゃんに教えてくれる?」
ちょっとした好奇心?それとも利用価値を感じた?
初めて、彼の姉を演じようと思った。
自分の精神年齢が上がったから姉になった。ではなく、姑息な考えが出来るようになったから姉になった。
「んー、良く分かんない。図書室とか借りれたらいいのかな…。ソリス、アンタもそろそろ、しっかり働きなさい。印象を良くするのよ。お姉ちゃんの言う通りにすれば大丈夫だから」
最初は、そうだった。
だけど、キッカケでもあった。
「え?あの仕事、もうやっちゃったの?アタシが見ていない間に?」
「…うん。お姉ちゃんに…言われたから」
「そっかそっか。ソリスはやればできる子ね」
「わ、…お姉ちゃん。ボク、もう一人で…」
「お姉ちゃんが抱っこしたいの!」
この子供には何かがある。とても不思議な力がある。
それに暗闇でうっすら光る体。
そしてこの会話が、彼の特別さを確信に変える。
「グルグル回す…の?その光を」
「光…?光は分からないけど、ここと…ここ。お姉ちゃん、風邪をひかない…って言ってた。そういえばボクも風邪をひかない。もしかしたら…ここ?」
「え…?どういうこと?その光とアタシが風邪をひかないが繋がるの?」
体が弱かったアタシは彼の姉になってから、一度も体調を崩さずに元気に過ごせていた。
その答えは唐突にやって来た。
『中丹田の位置に胸腺があって、十歳くらいまで発達する。免疫の教育機関。もしかすると、そういうことかも?』
全然聞き取れなかったけれど。それでも二人だけの部屋だから…、ちゃんと聞き返すことが出来る。
「こら、ちゃんとアルテナ語で話しなさい」
「あ…、ゴメンなさい。えっと、風邪の…悪魔。…やっつける先生…を育てる…しゅうどう…いん?そこに…ある」
「風邪の悪魔をやっつける…場所?…じゃなくて、その先生を育てる?」
戸惑いながらも頷く少年。
彼の言葉を信じるなら、アタシは彼が持つ特別な力の影響を受けていた。
これってやっぱり利己的で独善的な理由…
それでもアタシは、彼の中に自分の進むべき道を見つけてしまった。
だから。
「凄い!流石、アタシの弟!アタシの自慢の弟ね!」
アタシは利己的な自分を、弟好きの姉に置き換えた。
自慢の弟ってことにして、彼と一緒に歩もうと決めた。
ソリスと一緒に歩いて行けば、いつかお母さんを取り戻せるって思えたから。
うん。完璧。お母さんに頼んで、ソリスを養子にしてもらえば、本当に弟だし。
はぁ…、なんて我が儘なアタシ。
そんな風に思ってるって知られたら、やっぱり嫌われちゃうんだろうな。
□■□
…って思ってた。だけど違う。この気持ちは本物‼
だって、アタシは危険な橋を渡ろうとしているもん。
「ちょ、前が見えない‼」
「もしかして悪魔の子の力か?」
ありったけの白い生地が部屋を舞う。
すると、ひと際大きなベッドシーツがアタシに向けても飛んできた。
「ひゃ…、アタシまで…、ってこれ、どういう仕組み?」
追い風でぴゅーっと逃げるつもりだったのに、ベッドシーツがアタシを襲う。
「わ‼」と慌てて、アタシがソリスを持ちあげると、シーツは横に広がって胸から足までを包み込んだ。
大きな布がアタシのチュニック・ワンピースをぐるっと覆う。
左右の脇の下を通って、ぐるりと背中に回り、両端がそこで交差。
それでも布地は余るから、再び前面の両肩を通過。
最終的に前に戻ってアタシの前腕までを覆った。
そして、ここで声。
「おねぇ…ちゃん…天使様…みたい」
「ソリス?アナタ、起きてたの?…ってことは」
アタシが半眼を、天使を名乗るに相応しい男児に向けると、金色の髪が左右に揺れた。
「ううん、ボクじゃないよ」
「そう…なの?確かに今って…、アタシはソリスを抱いていない…けど」
「それより…、こわい…、落とされるとボク、死んじゃう…」
「へ…?」
物凄い風が吹いて、ベッドシーツがグルグルと回って、それに目を奪われていたから気付かなかった。
いつの間にか、足の感覚がない。ソリスが天使様と言ったのは…
「アタシ…、飛んでる?どしてぇぇぇえええ‼」
「魔法…かな?だって、そういう世界だよ。それにしても、その生地の巻き方って…、ヒマティオン?」
「ヒマティオンって何?」
「え…?ヒマティオンは通じてる?『
リーナが気付いた時、彼女の体は孤児院を飛び出していて、その遥か上空を飛んでいた。
因みに、彼女に巻き付いたベッドシーツが象っているのは古代ギリシャでおなじみのヒマティオンではない。
リーナはさておき、ソリスも知らないこと。
とは言え、これから先に知ることになるので先に説明しておく。
ベッドシーツの巻き方、これは古代バビロニア時代の女性が着飾っていた衣装。
長方形の一枚の布が、正面から見るとシンメトリーのドレスを作る、ドレーパリ―形式の
伝統的で美しい姿、風の神フィーゼオの力では飛ぶ様は、本物の天女のようであった。
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