第13話 特別な洗礼式
巻衣の人々が集う、石柱ばかりの巨大な建造物。
標高はそれほど高くない。
と言ってもそれには理由がある。ここは拝殿であり本殿ではない。
アクアスは人々に水を齎す女神、つまり源流はもっと上。
かなり山の中だから、本殿はもっと上にあるし、恐らくかなり小さい。
「…海も見える」
だからここからの景色は、アクアス山の南側ということになる。
俺はその素晴らしい景色を眺めているのは、何故か差し出された苦いお茶の臭いから逃げているから。
グラスフィールの孤児院で何度も飲まされた例の苦水だ。
「いいから飲むんだ。どうせ今も魔力を溜め込んでいるんだろう」
「それ、おいしくない…」
「いつも飲んでるお薬…?ヘルメス様が調合されていたのですか?」
「調合はしていない。ただの聖水だ。赤子の体で魔力を溜め込むなと、私は何度も言ったのだがな。早死にするぞ…ともな。やはり通じていなかったらしい」
そして俺は目を剥いた。
そして反射的に飲んでいた。
「え…。そうなんですか?もしかして…、ソリスの成長が遅いのって」
「この子供は、体の成長に必要なものまで集中させる癖があった。その魔力で身を焦がす危険もある」
セイチョウ?マリョクデミヲコガス?
体に悪いってこと?いやいや、気功術は健康のために…
でも、そういえば。この世界では気を飛ばせる。
そんなの滞留させて、御子供さんは平気なのだろうか。
なんか、ダメな気がする。コイツ、それを知ってて何故教えない‼
「そんな話…聞いてない」
「お前が聞いていなかっただけだ」
「…聞きとれる訳ないし」
だんだん思い出してきた。
絶対に覚えていないと思っていたけど、そういえば今のオレにとってはたかだか五年前。
前世記憶があるせいか、ジャネーの法則が多少は利いているけど、何となくは覚えてる。
難しいことを早口で、赤子に対する喋り方じゃなかった。
コイツは教える気が皆無だった。
「さて。グラスフィールの孤児、リーナの話の途中だったか」
「もしかして、ちゃんとアタシの話を聞いてくださるんですか?その…レックスは無意味と言ってましたけど」
「全くの無意味という訳ではない。とは言え、私が何を言ったところで、あまり意味はないかもしれない。レックスが何を言ったか知らないが、変に期待を持たれても困る内容だからな」
「ま、オレは、殆ど意味がないって思ってますけど?」
俺がこの会話について行けるわけはない。
だけど、この先分かることなので、そのていでかいつまんで話をすると、全く意味がないわけではなかった。
最古に近い神殿の神官長の言葉は、独立したアレク国の動きを鈍らせるらしい。
勿論、ちょっと今は止めておこうか、程度のものとヘルメスは語ったらしい。
そして、この後。
この話がどうでもなるくらいの展開が、俺を待ち受けていた。
「レックス。リーナ殿はアクアス神殿の見習いとして扱うから、その手続きを頼む」
「へーい」
「はい、と言え。学生気分が抜けていないのではないか?」
やはりレックスとヘルメスの付き合いは長い。ってのはどうでもよくて。
「え、もしかしてアタシを雇ってくださるんですか?…それでソリスは」
「雇うというのは違うな。そもそも給金という概念がない。邪鬼もアルテナ語を少し程度話せるようになった。またこで教育するしかあるまい」
「え…。また…?」
「嫌そうな顔だな。私も同じ気持ちだから、安心しろ。あれはただの暇つぶしだ。洗礼までは何も出来ない。洗礼と言えば、…私も洗礼式に出なければならない。ソリスは六歳だったか。お前の洗礼もそこで済ませるぞ」
ん?
「洗礼って?」
「洗礼…ですか?洗礼って信者と認められるっていう…。アタシも受けていないかも?あの時はお父さんとお母さんがいなくなって、あんまり覚えてなくて…」
リーナは四歳で両親を失った。
そして、俺のことも嫌々で子守りをしていたらしい。
「成程。だが、洗礼はしている筈だ。略式で行ったから覚えていないのだろう。六歳になった子供を集めて、額と胸に聖水をつけるだけだ。田舎の教会では、子供たちの体を洗うついでに行っていると聞く」
「…洗いっこ。そういえば、ロイドと一緒に体を洗ったような。アレが洗礼だったんですね。あ!思い出した。なんか、苦い水が口に入って…」
ここで茶髪、笑顔ままのアイツがリーナの肩にポンと手を置いた。
「で、その男の子との洗いっこの後どうだった、リーナちゃん」
「どうって…。何もです。男の子も関係ないし!ただ、苦いって思っただけです!」
リーナは優男の手を振り払い、肩を竦めた。
そんな彼女を見て、神官長殿も肩を竦める。
「成程。大体わかった。コルネル司教はやはり…」
「え?それってどういう…」
いや、ちょっと待て。俺はその時どこに居た?指を咥えてリーナとロイドの洗いっこを見ていたのか?
そんな記憶はない。この俺が幼子の洗いっこを──
「いや、何でもない。ソリスと名をつけるくらいだから、エステリアの洗礼はしていないと思っただけだ。私はこの児童を連れて行く。レックスはリーナの神官助手入りの手続きをしてくれ」
□■□
そういえば洗礼式のリハーサルをやっていた、とか言っていた。
そんなピッタリ洗礼式って、なんて思っていると、隣を歩く豪華な布地のトガを纏った男が言う。
「この先は、流石にリーナには見せられない。今から行うのは貴族の子供用の洗礼式だ」
「…貴族。貴族が皆そろう?」
それにしては人が少ないが。
「以前の不気味な言葉ではないな。まぁ、いい。貴族の子供皆が揃うことはない。基本的には一族だけ。王族や王位継承権を持つ者は同じ年齢の子が居たとしても、一人ずつだ。だから、私は洗礼式ばかりしていることになるな」
俺はやっぱりこの男の言葉を殆ど聞き取れない。
でも、貴族ってだけでなんとなく想像が出来た。
人数が少ないのは、オーダーメイドな洗礼式だから。もしくは庶民と一緒の場で洗礼など受けたくない…とか?
「ボクがいて、大丈夫?」
「神官家系の子供をついでに洗礼するのはよくある。それに商人の子も最近は多いからな。本来は分け隔てなく行いたいところだが。私が子供の頃はそうだった」
「へぇ…」
「お前はあっちだ。終わったら、目立たないようにこっちに戻ってこい」
少し高いところ、遠くから見れば、確かに二つにグループ分けされているのが分かる。
と言っても、片方はせいぜい三人。もう片方は三十人はいる。
何となく聞き取れた情報を整理すると、少人数なのが貴族で大人数が商人つまりブルジョワ。
やっぱ、何も分からない。ここの社会はどうなってるんだろう
「それでは今から洗礼式を始めるので、一同ご静粛にお願いします。」
地味な布地の巻衣。神官を示す白のトガを纏った、白髪交じりの男の言葉。
それを合図に、黄金をあちこちに縫い付けたトガの男が登壇した。
銀色の長い髪、20代くらいの男。っていうかアイツ。ヘルメス。
小さな声で祝詞のようなものを口にしている。もしくは難しい言葉?
二つに分かれているが、三人と三十人の子供たちが、理解できているとは思えない。
けど、…もしかしてアイツらには聞き取れてる?
「女神アルテナス、太陽神アレクス、雷神レイザーム、風神フィーゼオ…、信じる神は違えども、神々は皆、女神アクアスの水を飲む…」
ヘルメスが偉そうに、当たり前のことを言っている、なんて思っているのは俺だけだろう。
『多神教…だけど一神教っぽい?』
一人、ぽつんと立っているし、三十三人が皆ヘルメスに目を奪われているから、気付かれることはない。
この神殿に通されるのは洗礼を受ける子供のみで、彼ら彼女らの親類縁者は外で待っているのだろう。
不安そうな視線の行先で待っているのだろう。
「皆も知っているだろう。この世界は名もなき神様が二人の神をお造りになられた。即ち、アレクスとエステリア。そして、様々な神が生まれた。その後、我々人間が誕生した。我々は神を信じなければならない。だが、神は時として悪魔になり、悪魔は時として神となる──」
流石に集中すると聞き取れるか。
いや、簡単なことを言っているからか。
ってか、子供ってのは六歳にして神官長のイケ顔に気付くんだな。
皆、話なんてそっちのけで見入っている。それか、既にこの話は履修済みか。
「─以上だ。後程会おう」
なんて考えていると、ヘルメスの話は終わり、彼はどこかに行ってしまった。
「ヘルメス様‼噂通り‼」「こら。神官長様に噂とか言うな」「あのトーガ、見た?あれ、ウチの親父の会社が作ったんだぜ」
そして、彼が居なくなったことで子供たちの唇は、あっさりと開門した。
ザワザワ、ワイワイと言っているのが多分、いや間違いなく商人の子供たちで、それを睨んでいる三人が貴族。
コホン
そんな中、咳払い。
さっきの男とは違う、女神官が子供たちを睨みつけていた。
「私語は駄目ですよ。ここからが洗礼式ですよ。伝統的に口を噤まねばならぬ式、お分かりですね?」
勿論、俺はお分かりではない。そして、お分かりでないのは俺だけではなかった。
商人の子供たちも同じく首を傾げている。
「え、なんで?」
なんて言ってしまう子供も。
全く、子供と言うのは言葉が通じないのか。郷に入っては郷に従えってのは習わなかったのか?
「洗礼の意味も知らない、蛆虫庶民…。ほんと、虫唾が走るわね」
すると、女児がとんでもないことを言った。勿論、貴族側にいた少女。
滅茶苦茶、悪口。すると流石に、
「はぁ?お前、貴族の子だな。時代遅れの…」
「こら、二人とも‼ヴェリエッタ様を困らせるんじゃない。ほら、君たちはこっち。ロザリー様はあちらです!」
一番最初に「静粛に」と言った優しそうな神官が割り込んで来て
「ふん。分かってるわよ。ほんと、嫌な時代に生まれたものだわ」
すると、女児は言われた方に歩いて行った。
捨て台詞までキッチリとイヤーな感じだったけど。
「ロザリー。名前は覚えたからな」
「こら。神様が見ておいでですよ。アナタたちはこっちです」
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