第4話 攫われない避難
ソリス、つまり俺はリーナと一緒に片づけをしている。
因みにロイドはレナと一緒に掃除をしているし、リックはルーナと一緒に机を拭いている。
「うーん。一気に食べたからちょっとしんどい。ソリスは大丈夫?」
「…だ、大丈夫。かな?」
「もう。あんなに食べちゃダメだよ。絶対に後でお腹痛くなっちゃうって思いながら見てたもん」
「だって、美味しいから…」
歯が生えそろった今、この世は楽園。と言ったものの、やっぱり六歳の胃袋は小さいらしい。
恥ずかしながらその辺りの判断が出来ていない俺を、いつもリーナが止めてくれる。
ただ、今回は急いで食べろと言われたから、彼女が止める暇がなかったって話。
…じゃなくて、今は三組の話をしたが、孤児たちは皆、兄妹か姉弟になる組み合わせで行動している。
「ほんと、アタシが見てないとダメね。それじゃソリス。次は何をするんだっけ?」
「…はみがき」
「そう、よく分かってるじゃない。それじゃ孤児院に戻りましょ」
ピッタリ二人組になることはないが、それでも必ず男女のペア。
理由は何度も登場したならず者国家、アレクへの対策だ。
「ちゃんと奥まで磨けた?一番奥の歯は大人の歯なんだから、しっかり磨きなさいよ」
「ら、らいりょうーう」
「うーん、大丈夫そうね。よし、それじゃ。今日は早めにお部屋の掃除をしましょう」
「うん…」
俺はまだ六歳、とはいえリーナは十一歳。
流石にそんな間違いはないとは思う。だけど、例えばリックとルーナは十二歳と十歳だ。
少人数なら仕方ないかもしれないが、子供の人数は多い。
「はい。手」
「はい」
反射的にお手をしてしまい、それをリーナが掴み取って俺を部屋へと連れて行く。
既に二次性徴が始まっている彼女。彼女は本当に俺のことを弟と思っているのかもしれないが、やはり不健全だ。
だって俺の中身はオッサンだぞ‼流石に犯罪?いやいや、俺は悪くない筈だ。
これは孤児院の方針が悪い。普通に考えて、男女は別々の部屋にするべきだ。
だが、こうするしかないらしい。アレクは女のみを連れ去る。これが効果的かなんて分からないけど、武力を持たない孤児院なりの工夫だった。
「今日もエイリス先生はあっちで寝泊まりするみたいだから、アタシたちで戸締りをするのよ」
ごちそうを食べたのが教会の聖堂である。その隣に修道院があり、祭日でなければ領民の子供たちと共に勉学を教わる。因みに何歳でも授業を受けられる。
そして教会の奥、畑に囲まれているのが孤児院である。孤児たちは主に教典に従って神学を学ぶが、簡単な算数も教えてもらえる。
加えて、教会関係者と一緒に畑を耕すことも学ぶ。
多くは教会関係者となると聞いたが、今いる孤児は突然発生したようなもの。
だから、引き取り手も絶賛募集中という話だ。
「リーナ。ちゃんとお前も確認するんだぞ」
「分かってるわよ。でも、ソリスはとっても呑み込みが早いの!」
「そうか?いつもお前にくっついてる金魚のフンじゃないか」
因みにコルネル司教の監視命令は年長者三人組に、つまりロイドとリックにも出ている。
間違っても独り言が出ないように、現在進行形で日本語は禁止している。
「だ、だいじょうぶ…かなっておもう…」
「仕方ねぇ。俺らがもう一度確認するから、二人とも今日は早めに寝ろ」
「だから大丈夫だって。…でも、ありがと」
「おうよ。お前が一番危ないんだからな」
ほら、この通り。
リックもロイドもリーナを意識している。
父を殺されて、母を連れ去られた子供たちが身を寄せ合って暮らしているのだから、こんなことにもなる。
「ソリスもいつまでもリーナに甘えるんじゃないぞ」
「ま、彼の場合は仕方ないんじゃない?俺達とは違う理由でここにいるんだし」
そして彼らも俺に優しい。俺の年齢がもう少し上だったら、そうもいかなかったかも、だけど。
「こら!少しは見直したと思ったけど、やっぱ無しだからね!」
「うわ。怖ぇぇ。行こうぜ」
「あぁ。ルーナとレナを宜しく」
「分かってるわ。さ、一緒に行きましょう」
□■□
俺がこっちの世界の言葉であるアルテナ語を話している時は、基本的に思考停止していると思ってもらってよい。
一生懸命英語を聞き取っている、と言えばイメージしやすいだろう。
英語を聞いて日本語に訳す。つまり相変わらず、効率の悪い言語訓練をしている。
「えっと…、トイレ…」
「うー…ん」
「って寝てる」
…流石に一人で大丈夫だろ
ただ、流石にリーナの前だと気が緩むことがある。
昨日、彼女と一緒に聖堂に向かった時なんかが、それにあたる。
『えっと…』
そしてこれ。
雀百まで踊り忘れず、なんて言うが、まさか独り言の癖が死んでも治っていないとは。
『トイレは…っと』
一人暮らしが長かったせいで身についた独り言が、異世界で悩ませることになる。
「ん?ソリス、今何か言った?」
「え?ううん。何も言ってない…よ」
「…そか。夢か…」
同居人が居ても、どうやらその癖は発動するらしい。
彼女は間違いなく、異世界の言葉を聞いている。だけど、今まで一度も通報したことがない。
本当にリーナのお陰…だな。それにしたって、気になることばかりなんだけど。でも、今は…
「トイレ」
「…ん、すぅぅ」
六歳ならおねしょもアリ?いやいや、今まで何回かやってしまっているし、その後が余りにも恥ずかしい。
恥ずかしくないと言ってくれるけど、中身オッサンやぞと顔を赤くしてしまう。
『ま、いっか。えっと…』
今までにないほどの孤児の人数と言ったが、孤児院の部屋は足りている。
やっぱり好奇心が抑えられない。
だけど、今はトイレ。…でも、ここで俺は本気で漏らしそうになった。
『え…、なんだ…あれ…』
年季の入った孤児院、しかもかなり大きな孤児院。
夜中、トイレに行くのはやっぱり怖い。
それ故に、おねしょも仕方がないと言われたこともある。
だが、そうではない。
薄っすらと光る不思議な色の狼煙が見えた。
しかも…
『教会?いや、修道院から?…でも、漏れる‼先にトイレ‼』
異様な位置から昇る光る煙だった。
そして、ここが俺にとって一つの分岐点でもあった。
この光景をレーナに伝えつつお漏らしをするか、伝えずにトイレに行くか。
ただし、中身がオッサンだが紳士という名のオッサンである俺は、十一歳女子の前でのお漏らしを選択する勇気が出ず、そのままトイレに走った。
トイレも同じく男女共用。小便器と言うよりは壁に向かって放つイメージ。
そして俺は、身震いがするほどの放尿欲に浸った。
あらゆるものが小さいから、清水のせせらぎ程度の跳ねる液体の音。
ある意味で自分のおしっこ音さえも心地よい。と思っていた時。
──それが別の音に搔き消された。
ドン‼ドン‼ドン‼
ドアを叩かれた程度の音じゃない。
何かが爆発したか、車が何度もぶつかっているような衝撃音だった。
『は⁉え⁉何⁉もしかして俺の尿には特別な…、…ってそんなわけない…、うー。早く全部出ろ。早く‼』
絶対に良くないことが起きている。
とは言え、尿道も狭いから溜まっていた液体が出るのに時間が掛かる。
ここでも別の選択肢は勿論あった。
中身がオッサンの俺がおしっこを垂れ流しながら、下半身丸出しで子供たちしかいない孤児院を走り回ること。
いやいや、ダメだ。六歳児だったら在り得るかもしれないけど、俺は三十過ぎの男。体の二次性徴はまだでも、心はとっくにオジサン。っていうか、この孤児院のやり方はおかしいだろ。
いくら男女ペアだからって、所詮は子供だぞ?
『あぁ、もう‼ズボンは後で洗えばいい‼手も後で洗うから‼』
そして、俺はグイッとズボンを上げて、じんわりと股間が暖かくなるのを感じながらトイレから飛び出した。
すると、直ぐに声が聞こえてきた。流石にあの音で飛び起きないわけがない。
特に母を連れ去られた記憶を持っている年長組は。
「男衆、集まれ‼俺たちの力の見せ場だぞ‼」
「大丈夫だ。俺達は連れ去られない‼リーナ、みんなを宜しく」
「うん、分かってる‼でも、何か起きたら直ぐに呼んで‼アタシだって」
孤児院だけでなく、グラスフィール領全体で定期的に行われている一つの行事。
それが『避難訓練』である。そのまま過ぎる行事だが、もしもの為ではないから本気で行う訓練だった。
その緊張感のせいで、日本語モードではない思考で参加していたから、何をやっていたのか曖昧にしか覚えていない。
「お姉ちゃん、これは?」
「ソリスはこっち‼早く来て‼」
だが、今は尿意が違う意味で抜けて、緊張感も一緒に漏れている状態だ。
目の前の全ての違和感に気付くことが出来る。
「こっちって…どっち?」
「いつもやっているでしょ。これは遊びじゃないのよ」
ドン‼ドン‼ドン‼と相変わらずの衝撃音。建物全体が揺れている。
そんな中、子供たちが廊下をバタバタと走っている。
全員がとある場所に向かって走っている。
「お姉ちゃん、待って‼これは遊びじゃないんだよ‼」
冷静に日本語で説得しても余計な混乱を生むだけ。
だからこそのオウム返し。これなら嚙み砕くことなく発言が可能だ。
とは言え。
「そうよ。アレクの蛮族がやって来たのよ。だから女子は皆で避難部屋に行くの。小さな子もだから、ソリスも来なさい」
オウム返ししたって伝わらない。せいぜい、彼女たちの歩みを少し止めただけ。
だけど、やっぱりおかしい。今ならちゃんと分かる。
この孤児院にいる子供たちには家族がいない。
そして西国アレクの略奪が行われたのは、多くの死人を出したのは、多くの女たちを拉致したのは七年前の話だ。
だから、この状況はおかしいのだ。
だから、この避難訓練も間違っている。
だって
『俺たちは供物だ。ここに居ちゃいけないよ、リーナ‼』
「へ…?…えっと、何?」
「おい。今、こいつ…」
「え、俺。聞いてなかったけど…。でも、今は」
日本語で話す。だけど、伝わらない。やっぱり混乱が起きる。
どうすれば、ここに居る皆に気付いてもらえる?避難訓練?決められた行動?
『それなら決められていないことを起こせば…』
「ソリス‼何を言ってるの‼ちゃんと言葉を話しなさい‼」
「リーナ。そいつのことは後で報告するぞ」
「今は避難が先だ」
一応、これも決められていないこと。
だけど、彼らにとっては所詮は六歳児。恐れるに足らない存在。
だから、これ。
ボッ…
「分かった。ボク、先にひなんばしょに向かってるね‼」
「ちょ、ソリス‼貴方、何を‼」
「だいじょうぶ!先に灯りをつけとくから‼」
子供なんだから、彼らは大人を頼る。
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