第3話 孤児として生きてみる
「エイリス先生!おはよーございます!」
乳歯は既に生えそろい、とても喋りやすくなってきた。
前歯がぐらぐらしているから、もうすぐ生え変わるのだろう。
そして俺は、こっちの言語を話している。
ここに来るまでは独り言で日本語を話していた。その記憶はあるが、しっかり話せてたか自信はない。
歯が全くない状況で普通に喋っていたか、正直言って覚えていない。
ただ、とても不気味に聞こえたに違いない。
「おはようございます、ソリス。ちゃんと朝の聖水は飲みましたか?」
「い、一応。あれ、まずくて…。嫌い…」
ピシッ‼
「…じゃ、ないです。」
「アナタの為ですよ。それに大変ありがたい聖水です。調子は如何ですか?」
「す、すごくおいしいです…」
ヒュンヒュンと空を切り裂く、教える為の鞭、教鞭。
彼女はいつもソレを身に着けているが、自分以外に使われたところを見たことがない。
まだ、俺の中に悪魔が居るって思われてる。あの時、「く…、人間どもめ、こんな子供に用はない。今日のところは退いてやる」的なことを咄嗟に言えたら良かったのだろう。
「でも、もうボクの中に悪魔は…」
「悪魔は私たちの存在に気付いています。虎視眈々と狙っているに違いありません。今の言葉も悪魔のモノ…かもしれないのですよ。ソリスも強い意志を持ってください」
時すでに遅し。スタートダッシュに失敗したどころの騒ぎではない。
赤ん坊の段階で第一印象は最悪。とは言え、良かった点もある。
「ソリス‼早く早く‼」
「あ、でも…」
「いってらっしゃい。今日はエステリア様の祝福を授かれる日です。」
気味が悪いと思われて、両親に捨てられた。
普通に考えれば最悪の人生の始まり。当時、0歳児だった自分に自業自得と言わせるのは流石に不幸。
だけど、本当にそうだろうか。
「全ての父、太陽のアレクス。全ての母、地母神エステリア…か」
俺はこの世界の母の胎内で、前の世界の母の、父の夢を見ていた。それってとんでもない裏切り行為なんじゃないだろうか。
別の母に浮気を?そもそも、この世界の両親を自分の両親と思えるか怪しい。
どうせ神様に飛ばされてきた魂。その男神と女神の先に本当の自分の両親を見てもいいんじゃないだろうか。
…二人とも俺が死ぬ前に事故で死んでるんだけど。だからこそ、天に祈るのは俺にあっている…かも
「そうじゃないでしょ。アレクス様のお祝いは半年後。今日はエステリア様なんだから」
奥が一部歯抜けの赤毛の少女が、六歳臼歯が生えたての少年の手を引いていく。
その様子を慈愛の目で、遠くから見守るシスター・エイリス
「分かってるよ、リーナ。でも、どうして別々に祝うの?甘いものが食べられるからボクは嬉しんだけど」
本当に。こういう気持ちはいつぶりだろう。こういうイベントごとってやっぱり子供の為にあるんだなって改めて実感する。
「そんなのしないよ。二人を一緒にお祝いすると、凶作になるって言われてるし」
「…え。そうなの…」
「アレクス様は偉大なお方だけど、ほんっと浮気っぽいの!」
「な…、そうなんだ…」
子供の為…ではないかもしれない。神話が人の手、しかも大人の手で作られたんだと、改めて実感する。
とは言え、六歳児がそれで納得するのもおかしな話。因みに彼女は五歳くらい年上だ。
それにしてもまだ早いような。いや、女の子ってそういう感じ…かもしれない。
と、祭事の時だけに鍵が開く部屋に向かって、俺が歩き出した。
その時、彼女はポンと俺の肩に手を置いた。
「え、何?」
「ソリスはそんな不届き者の男になっちゃダメよ」
「え…、ふとどきもの?ボクにはまだ良く分からない…し」
本当は嘘。流石に俺も分かっている。何ならその神話にも物申したい。
前の世界の色んな神話においては、世界を生み出す女神も大概なのだ。
確かに浮気ばかりする男神は多い。だが、女神も負けていない。
だって、地母神とはありとあらゆる神を生み出す女神。
そうもなろう。フレイヤに然り、イシュタルに然り、その影響で生まれたアフロディーテやヴィーナスも、愛と豊穣の女神はそういうもの。
だからこそ、処女神が輝くのだ。
っていうか、多神教の神話って色んな理由でぐちゃぐちゃになるものだし…
「それはそうね。でも、今から教育すべきとソリスの姉として思うの」
本当の姉ではないが、この孤児院では姉である。
そんな彼女の手が俺の頭に乗せられる。
動くたびに金糸のような前髪が目に入りそうになるから、鬱陶しいのもあるけれど、悪い気はしない。
更にリーナは腰を落として、丁寧に頭を撫で繰り回す。
そして彼女の鳶色の瞳がやや右、やや左、やや上、やや下へと動いた。
「柔らかい綺麗な髪、宝石みたいな緑の瞳。この地域の子じゃないってのは知ってるけど、本当にお人形さんみたい。アタシの可愛い弟…」
「えと…、その。リーナの言うことは聞く…」
「うむ。よろしい!」
そしてまた、彼女の手に引かれて、建物に入っていく。
古いが、それがまた情緒を感じさせるグラスフィール教会だ。
俺は彼女の赤毛の揺れを楽しみながら、一緒に行く。
他の孤児たちも赤毛が多い。というより、金髪に翠眼の子供は居ない。
彼女の容姿がこの地域の民族の特徴なのだろう。
そして、0歳の子供に、どれほどの長旅をさせたのだろうか。
「イタイケザカリッテ、コレクライダッケ…?」
「ん?ソリス、何か言った?」
「な、何でもない。リーナお姉ちゃん、ごちそうのじゅんびしよー」
前世の世界を救える人間が暮らす世界。
俺を連れてきたのは神。彼女の話では、俺たちが知っている神話の神々は、こっちの世界の人間だったらしい。
とは言え、その片鱗はまだまだ見えてこない。
だが、こっちの世界の人間に与えられた箱はとてつもなく大きい。
そのせいか、そのお陰か。孤児院での生活も快適なんだよなぁ…
□■□
エイリス先生や孤児院で俺の姉役であるリーナがそう言ったと思うが、俺にはソリスという名がつけられた。
なんでソリスなのかは分からない。とにかく分からないことだらけだ。
その理由はやっぱり、いつまでも日本語で考える癖が抜けないこと。
「デモ、コノコトバハ…」
こっちの世界では、とても不快に聞こえるらしい。
「ロイド…、おさら、ここでいい?」
「だー、その皿じゃねぇって。リーナ!ソリスに皿運びは早いって言ったろ!」
「えー。ソリスは結構しっかりしてるんだよ」
「そういう意味じゃない。皿は割れるだろ。今日は祭事で使う皿なんだぞ」
やはり孤児のロイド。
どうしてこんなに孤児が多いかと言うと、数年前に大規模な革命が起きたかららしい。
その結果、ならず者国家が西に誕生したという話だ。
「アンタの妹のレラちゃんだって何でもやってるじゃない」
「レラはしっかり者だ。ソリスより一つ年上だしな」
「お、お兄ちゃん。私もまだお皿運ぶの怖いよー」
「アンタも無理やりさせてるじゃんー」
「仕方ないだろ。時間がないんだから」
その、ならず者国家誕生のせいで、グラスフィール領は随分とゴタゴタしている。
夜間の外出は厳禁。更に鉄扉と鉄柵で完全に鉄の殻に閉じこもらなければならない。
「ボク…、こわい…」
「大丈夫よ。お姉ちゃんが守ってあげる」
「バーカ。狙われてんのは女だろ」
「ロイド煩い。手、止まってる!」
30人ほどの孤児たちが一所懸命に準備をしているのは、午後になると地域住民が避難に来てしまうからだ。
なんでこんな時に。いや、悪魔の子だからこんなところまで飛ばされたのか。
それにしても女を狙うって、マジでならず者だな。…それにしても、この癖どうにかならないものか。
そう言や、英語の勉強の時に言語野の違う場所を使えって教わった。日本語部分に英語を入れるのではなく、全く別の場所に英語脳を作れとか。
だから、性格が変わるパターンもあるって話。そもそも、日本語が複雑すぎるから日本人に陰キャが多い説、俺が勝手に言ってるだけだけど。
つまり俺はこっちの言葉で話している時は幼児化してしまう。
実際に六歳なんだから幼児で正解。しかも言語化があやふやで言葉を知らないから、精神年齢はもっと低い。
「リック君、ロイド君、リーナ君。準備は出来ましたか?」
「コルネル先生!えと、もうすぐ終わります!」
「リーナ君。彼の様子は如何ですか?」
「も、問題ありません‼変な言葉とか…使ってないです」
コルネル先生の青い瞳はリーナに向いていない。勿論、俺を見つめている。
エクソシストってのはさて置き、20代中盤の男。
田舎貴族の子だが、なかなかに優秀な男。若くして司教に抜擢されたらしい。
だが、実のところは違う、と勝手に考えている。
ならず者国家が近くにある、とても面倒くさい場所だから若くして任命された、とやはり勝手に考えている。
「本当ですか?」
「本当です。姉のアタシがちゃんと見てますから!」
そして中身がおっさんの俺は今、十一歳の少女に気を使われている。
俺は彼女の前で何度か口を滑らせている。
だって、こっちの方が言語化しやすい。それに六歳児だからか、新世界に来たからか、好奇心が止まらない。
「まぁ、いいでしょう。皆さん、今日はエステリア様の祭日です。大地の実りに感謝して、御祈りを捧げるのですよ」
コルネルは俺を睨み、肩を竦めてくるりと後ろに振り返った。
そして並べられた彫像の一つに向かって、ピンと伸びた姿勢で歩いていく。
「今日も私たちをお守りください。地母の女神よ…」
多神教だからって、多くの神の彫像があるものだろうか。
田舎の小さな教会なら、そのどれかの神を奉っている程度と思っていたが、ここでは殆どの神を奉っている。
もしかして、昔はもっと権威のある教会だった…とか?
俺がこの世界に来て、やっと視力がまともになって、ようやく見えた新世界の風景はかなり牧歌的に思えた。
文明レベルは中世前後、生まれた場所はもっと近代的だったかもしれないけれど。
単に文明の誕生から時間が浅いのかもしれない。
だけど、そうではないと俺のゴーストが囁いている。
ま、確かめようがないんだけど、な。
「それではエステリア様に感謝を捧げて…、頂きます‼」
「頂きます‼」
「いただきます‼」
リック、ロイド、リーナの三人がこの中で年上組。
リックが12歳とロイドが11歳、リーナも11歳で年長組。三人の号令と共に俺達がごちそうに手を伸ばす。
「あまーい!」
「美味しい‼」
レナとルーナ、そして他の子供たちが舌鼓をうつ。
その様子を年長組が嬉しそうに見守る。コルネルは相変わらず俺に注目。
だから流石に子供の気持ちを優先させて、甘いお菓子に手を伸ばす。
実に興味深く、ツッコミどころは満載。だけど、今の自分の状況くらい分かっている。
遥か東から転々とたらい回しにされて、今はここ。
そして、ここより西はならず者国家。たらい回し先が残っていない。
「うん!すっごく甘い‼…いつものシチューも美味しいけど」
「ソリス、分かってねぇな。甘いは正義なんだよ。パワーなんだよなぁ」
「リック、余計なことを教えないで。ソリスはとっても謙虚なの‼」
クッキーもケーキもとっても甘くて美味しい。そして毎日の食事も本当に美味しい。
ここが孤児院だろうと、修道院だろうと、キンダガーデンだろうと関係ない。
間違いなく、子供たちにとっては楽園である。
そこでバンと扉が開いた。顔を出したのは、そういえばこの場に居なかった彼女だった。
「コルネル司教‼伯爵が住民を受け入れよとの命令が来ました」
「ん?エイリス君。まだ日は高いですよ。受け入れには…」
「蛮国アレクに妙な動きがあると…」
「アレクに?…なるほど。皆さん、お行儀よく急いでください」
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