第2話 走馬灯と新たなる命

 どれくらいの暗闇が続いただろう。

 恐怖は全く感じない。温かいものに包まれている感覚。

 体はほとんど動かないけど、それでいいって思える場所。

 そんな中で俺は再び微睡んでいく。


「神様はね、皆に平等に二つの箱をくれるのよ」


 暗闇の中で聞こえる声。

 いや、これは俺の中に残っている言葉。

 幼い頃に聞いた母の言葉。今更、走馬灯って…こと?


「一つは幸せが詰まっていて、もう一つは不幸が詰まっているの。神様は遠くから見ているし、忙しいから大きさまでは見ていないの」


 こんな話を聞いてたってことは、周りと比べて不公平だと訴えたのだろう。

 当時の俺は納得したのだろうか。いや、死んだ今。同じことを言われても、首を傾げてしまうから、ここで話が終わってしまうのなら、例え話として成立しない。


「だから皆、自分と他の人の箱を比べちゃうのかも。でもね、たとえ小さな箱だとしても、幸せがどんなに小さくても…」


 箱の中身は磨かなければ、真の価値が分からない…か。ここまでがセット。

 成程、確かに。自分の人生を輝かせるには努力が欠かせない。その通りだと思う。

 だけど、流石に時代が違う。情報の伝達速度が違う。容易に可視化できる他人の箱の中、これでは磨く気さえしない。

 そんな可視化が容易な世の中で、早くから自分を磨いて成功した連中がいたことも知ってる。


 ここから更に走馬灯は続いたけど、本当にどうしようもない我が人生。


 生まれ変われるならやっぱり、——スタートダッシュを決めるしかないだろ


     □■□


 そんなこんなで俺は新たな生を受け継いだ。

 乳児にして「後悔塗れのおっさん」の意志を持つ俺だ。

 どんな家に生まれようと、モブな存在だろうと、スタートダッシュさえ決めれば、神童と称えられるに決まっている。


 ただ、そんな甘い考えだからこその誤算があった。


 目が見えず、体を動かすのも難しい。生命の誕生として、どうなんだと思う。

 立ち上がることが出来なければ生きていけない、そんな野生生物がいるのに人間は。


「*****!******!」

「#####!#####!」


 しかも、妙な言葉。えっと?これ…ってもしかして声?


「?????????!」

「%%%%%%%!」


 俺は周囲の様子を伺った。赤子だから殆ど見えない。五感の発達もまだまだ。神経回路なんてこれから発達していくから、マジで未熟。

 骨も部分的にくっついていないから、ビックリするほどぐにゃぐにゃ。


「*****!******!」

「#####!#####!」


 また聞こえる。気持ちが悪いノイズ。…って、あれ?

 耳がおかしい…のかな。

 いや、っていうか。もしかして言葉が分からない?


 寧ろ、なんで日本語が聞こえると思っていたのやら。


 神童ルートは巨大な言語の壁に阻まれて、失敗に終わった。



「誤算…だな。それにしても暇…」


 いきなり難しい話をしたり、計算式を解いたりして、皆に神童だと言わせる作戦は、言葉の壁により阻止された。

 そんな俺は何をしたか。実に下らないことを始めた。

 だが、この行為が俺の人生を大きく変えることになる。

 この世界について何も知らないのに、この0歳児の突飛な行動が自分自身の運命を大きく変える。


「*****!******!」


 精神と体とは結びついている。

 体が動かせないという大きな恐怖が常に自らを襲う。それを、日本語で冷静に理由付けする。

 とは言え、一番安心するのは母乳を吸っている時。それを、日本語で卑猥に説明しても体は反応しない。

 三大構成因子である肉体と魂と精神が、異様な程に不安定な状態だった。

 魂の中にある日本語が確実に肉体と精神に悪影響を与えていた。

 即ち、言語野の発展がとことん遅れてしまった。


 時々、体勢を変えてくれる誰か。いつも、何を言ってんのか分からない。

 それに…、あの人って多分、本当の母親じゃない。臭いが違う。何もかもが違う。

 どうせ、今は何もできないし、何て話しかけたらいいか分からないし


 そんな中で大人の俺が唯一楽しんでいたのは、コレ。

 頭蓋頂部に骨がない。当たり前だけど…。でも、これってさアレを思い出す。

 って、もしかして俺だけ?アレだって。


 ——気功術


 最近聞かないって?それは気って言葉を使ってないだけだろ、と。

 最近は気を練る、鍛錬するって言葉を使っていないだけで、チャクラもマナも大体同じ扱いじゃないだろうか、と。

 気とは丹田を意識すること。それくらいは誰でも知っている。だけど、俺はちょっと違う。通信教育にて履修済みだ。


     □■□


 頭頂部の百会、中丹田と呼ばれる胸中央、臍下丹田と呼ばれる大丹田。そして股下の会陰。

 意念丹田、意志丹田、これらを駆使して何となく暖かい何かに、それらを巡らせる。


「気持ち悪い…」


 うむ。そう思うのは仕方がない。だが、中学二年の男なんてそんなものだ。現実に気が存在してるって思っちゃったりするのだ。


 …ん?今、俺のこと気持ち悪いって言った?

 そんな馬鹿な。俺は赤ちゃん。赤さん。赤様だ。赤様が気持ち悪いなんて…、って‼


「これが噂の悪魔憑きの子…ですか?さっきから知らない言葉をブツブツと」

「あぁ。バレンシア地区の司教が解読しようとしたらしいが、どの文献にも対応する言葉はなかったらしい」

「でも、言葉を話しているように聞こえます」

「出鱈目ではないからだろう。文法が存在しているから、話をしているように聞こえる。いや、そういう意味では話をしているのだろうな。一体、誰に対するメッセージか」


 あれ…。赤様の俺。教会にいる?俺って…

 嫌な予感がした。少しずつ見えるようになった目。だけど、精神を形作るには不確かな脳細胞。

 魂の記憶だけが明らかに先行していて、どれだけの時間暇を持て余していたのかも分からない。

 だが、言語を理解できるようになったということは、それなりの情報が耳から送り続けられたということ。

 俺は勇気を振り絞って聞いてみることにした。


「…パパと…ママ…?」


 言語野とは上手く出来ていて、全く知らない言語を話されていると、自然と理解できるようになっている、らしい。

 俺の場合は、日本語が邪魔して、日本の学生が英語の授業で英語を学べない理由をまんまやっていたらしい。

 だから、まだほとんど話せない。っていうか、この人たちは誰?


「この子…、ついに私たちの言葉を」

「…落ち着きなさい。悪魔からの支配が薄くなっているのかもしれません」

「そう…ですね。エマの地は古来より悪魔祓いが有名ですし」

「はい。それではエイリス、今のうちに彼と話をしてみませんか?」


 因みにこの会話は殆ど聞き取れない。だけど、彼らが警戒しているのは伝わってくる。

 一体何が…、っていうか誰?母はこんな感じじゃなかったような気がする。

 ん?母親っていつからいなくなったっけ…


「君のパパとママはね。ここには居ないよ」

「エイリス、そうではありません。神こそが我らの父であり母なのですよ」

「かみ…?ボク、まだ…よく分からない…です」

「…そうでしたね。短い人生の殆どを悪魔に乗っ取られていた…とか」


 とんでもない話。だけど、その時はまだ分からない。

 シスター服の女が絵本を使い、人形を使い、ジェスチャーを使い、どうにか分かる言葉を使って、現状を教えてくれた。

 そこで俺は目を剥く。赤子の目、たいそう可愛いであろう、汚れていないだろう瞳。


 へ…?俺って生まれた時から悪魔が憑りついたのか…

 祓える神父が何処にも居なくて…、たらい回しにさせられた結果、ここに辿り着いた?

 成程。悪魔憑きから始まる人生。…って、俺はただのモブ魂だけど


「あなたの体を使って、悪魔はこんな事を言ってました。…セイジュンカンサセルノガヨイギャクジュンカンハダメデモイマセイヨクナイカラソノシンパイナイ…、バレンシアの司教様がここまでは書きとれたの。心当たりはない?」


 そして俺は再び目を剥く。

 漸く乳歯の一部が顔を出した愛らしい口を開く。

 因みに、彼女はほとんどがジェスチャーとイラスト、それから絵本を使って説明をしてくれた。

 だが、そんなことよりも、彼女が発したのは日本語だった。

 つまり、え?つまり、は?俺の独り言が実は聞かれてた…

 ってのは、どうでも良くて‼


「この言葉は世界中の言語にはありません。でも、大丈夫です。コルネル先生はエクソシストとして有名なんです。きっとアナタの人生に幸福をもたらしてくれます」


 赤子が知らない世界の言語を延々と喋っていた。

 ホラー映画とかでもそう‼愛らしい存在だからこその不気味さがそこにある。

 危うい存在が故に、悪魔に乗っ取られやすい。アリがちな設定。

 その結果。


「私が紹介にあずかったコルネルです。さぁ、今のうちに追い出しましょう。先ずは聖水を口に含みなさい」


 まだ一歳に満たない幼児は、その短い生涯で教会を梯子していた。

 道理で生まれた場所と空気が違う。それもしょっちゅう変わっていた理由がソレ。

 漸く首が座った頃に別の場所に連れて行かれ、漸く腰が据わった頃が今。

 つまり俺は…


「…アクマノコトシテステラレタ?ッテカ、ナンダコノミズ、ニガイ‼」

「先生‼聖水が効いたようです!」

「やはり悪魔か。さぁ、その赤子の体から出ていきなさい。ここは神聖な場所です。神の言葉を聞きなさい‼」


 あ、しまった。聖水を飲んで、悪魔の言葉。これは予定調和ってやつ。

 悪魔が憑いているってのは、彼らの中では決定事項らしい。


 はぁ…、大失敗だ。


 スタートダッシュを決めるどころか、日本語を呟きまくってたせいで、せっかくの異世界転生は


 ——孤児からのスタートになってしまった…らしい。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る