第6話 夢と書いてロマンと読む

 これはアタシが五歳になるちょっと前の話。


「ねえ、お父さんは神様っていると思う?」

「そりゃいるさ。この世界は神様がお造りになった。お前は覚えてないかも知れないがお前がもーっと小さかった頃、ちょっとしたことで死にかけたことがある。急いで教会まで行って治癒魔法で治してもらったんだが、俺は正直駄目かと思ってた。でも、神様と司教様のお陰でリーナはここにいる。治療費も分割でいいって言ってくれたし、それももうすぐ払い終えるし」


 そう。アタシは昔、この教会で病気を治してもらったことがあった。

 今の司教じゃない。当時の司教はお金にがめついが、現実的な支払いプランを提示してくれるということで、まぁまぁ親切な人と評判だった。


「だからお母さんも働いてるの?」

「だからお母さんも働いてるの。でも、あたしもリーナの為に働いてるから、全然辛くないわよ」


 両親の職業はいわゆる兼業農家。農家と言っても雇われ。自分の土地ではない。畑を耕したり、教会に行って雑用をしたり、お手伝いをしたり。

 まぁまぁ親切な司教は、領民にも癒しの魔法を使ってくれるから、その時のグラスフィール教会は今よりも活気があった。

 結局、支払いは教会での雑用なんだから、皆で教会の畑を耕したりもして、病や怪我から立ち直った子供も手伝いに来たりして


「じゃあ、アタシが魔法を使えるようになったら、アタシがお金を全部お父さんとお母さんに渡すね」


 結果的に教会が課す税よりも懐が温かい、これが司教の口癖。

 だからアタシはそう言った。

 でも、父も母も微妙な顔をした。

 我が子の将来の芽を摘みたくなかったのか、ぎこちない笑顔で応えてくれたのだけれど。

 アタシがその意味を知るのは、二人が居なくなった後。

 もっと言えば、そのガメツイけど良い人である司教も居なくなった後。


「行ってくる。二人とも外に出るんじゃないぞ」


 そう言ったっきり、父は帰ってこなかった。

 そして、三日くらい後に、母と共に教会に行くことになった。

 だけど、真っ黒い服を着て、太陽の旗を掲げた男たちが安全な教会にも来てしまった。


「アナタはここに隠れるの。何かあってもエマ司教が助けてくれるから」

「司教?でも、アタシ。お金持ってない…」

「本当に凄い方だった。だから、…どうにかしてくれる…と思う。お母さんも大丈夫…だからね」


 そして、一週間ぶりに父の顔が見れた。…ううん、嘘。顔じゃなくて古傷で分かった。

 そして母の顔はあの時からずっと見ていない。

 女だったエマ司教もいなくなってしまった。

 それから別の司教、今度は男が来て、シスターも来て…。前のシスターもやはり母と同じで行方不明で。


「え。アタシが赤ん坊の面倒…?」

「それが君の仕事。元々はエマ司教が面倒を見る予定だったのだけれど、今はバタバタしているからね」


 父を失い、幼い頃に自分の命を助けてくれた司教も失い、母親を連れ去られたアタシは、正直言ってそれが鬱陶しかった。

 生まれた時から悪魔が憑いている子供の世話。

 五歳しか離れていないのに…、確かに輝かんばかりの赤子ではあったけれど、お母さんを探したい。取り戻したいって気持ちの方がずっと強かった。


 こんなことしてる場合じゃないのに…


 だけど、その後。魔法についてを神学で学んだ。

 選ばれた者にしか使えないと知った。


「アンタ、親に捨てられたんですってね。悪魔が憑いてるって」

「…そか。捨てられた…。気持ち悪い…から」


 流石は悪魔憑きと思った。その言葉を聞いても特に表情を変えることもない。

 正直不気味だった。いや、どうだろう。単に学べば学ぶほど、母親を取り戻せないって分かったから、幼児に当たっていたのかもしれない。名目上は姉弟ってことを利用してあたっていたのかも。


「えっと。先ずは…。あれ?あんた、本当に一歳なの?」

「…うーん。多分?」


 新しい司祭とシスターの言っている通り、時々不気味なことを言う。

 聞き取れない何かを言う。それを報告しなかったのは、多分だけど、当時のアタシが無気力だったのと、新しい司教が気に入らなかったから。

 どこかの貴族の出。前の司教もそうだったけど、領民にもそれなりに優しかった。

 だから、報告しなかったのは単にアタシの都合。


 ただ、それが少しずつ変わっていく。


 このソリスという子供は、本当に手が掛からない。

 不気味な言葉をブツブツ口にした後だと、ぴったりと的を射たことを言う。

 それに…、悔しいけれど、どうしてかは分からないけど、彼からは特別な力を感じた。


 特に夜。こっそり隠れて何かをやっている時。


 というところまでにしておこうと思う。だって、今。アタシはとってもピンチだから。


     □■□


 俺の人生において、こんなにも好条件が揃うことはただの一度もなかった。

 気になるのは、下の前歯の乳歯は生え変わってて、上の乳歯の前歯はぐらぐら。

 舌で触ると、痛痒くて気になる。いや、そっちの気になるじゃないか。


「そういう意味では何も気にしなくていい。全ての運が俺に味方している。…お前たち、運が悪かったな」


 勿論、俺の言葉は誰にも伝わっていない。

 そういう意味でも気にしなくていいってことだ。

 気になることは多数ある。あのケーキだってそう。だけど、そういう文化的な文明的な話を聞く相手に相応しくないし、そもそもその手の単語を一つも知らない。


『気味悪いなぁ、こいつ‼』


 ブロンドの髪の一部がはらりと落ちた。

 と言っても、体を狙っているつもりは全くないらしい。

 俺の髪型って、リーナが口を出してて、いつも鬱陶しいくらい長いんだよな。

 髪の毛を切っているのはシスター・エイリス。だけどその横にいつもリーナがいて、こっちがいいあっちがいいと注文をつけている。

 結果、普通に女の子っぽい髪形になる。


『ガレイ‼そいつを傷つけちゃ駄目だ。数が足りなくても、上玉がいるんなら話は別だ。王ももしかしたら何人か分けてくれるかもしれねぇ』


 で、そこも幸運ポイント。彼らは俺に傷を付けられない。

 神様がくれた箱はとても大きい。親に捨てられたって事実もとても大きいと思うけど。今の俺にとって、それは小さく見える。


「ま、それは成長する前だからだぞ。親の顔を知らないからはっきりとは言えないけど、成長したら鼻がみょーんって大きくなったり、顎がみょーんって伸びたり、全体的にみょーんって伸びるから、成長した後にガッカリ…、いや、なんか止めておこう。この発想は今に相応しくない」


 勿論、転生する前の世界の世相に向けて。

 でも、ま。これくらいはいいか。


「この時期、ちょっと不細工かもって顔の方が、イケメン俳優になるんだよ!おれの不安な気持ち…」

『バレイ‼早く捕まえろ。で、黙らせろ』

『おう‼』

『馬鹿野郎‼上玉に網縄を使うやつがあるか‼』


 俺はまだまだ話し足りないのに、バサァァァっと上から重いものが被せられた。

 拉致と言えば袋に入れるか、ロープで縛るか。

 そんな中で、男が選択したのは太いロープを編んだ網。その直後、投げた男が怒鳴られているが、その内容は分からない。


 それに…


『ソリス‼危な…、え?』


 ボワッ


『テメェ‼何燃やしてんだよ」

『違いやす‼俺は縄を松明になんて…。ガレイが松明なんか掲げるから、それに当たったんすよ‼…多分』

『はぁ?俺のせいだってのか?そもそも上玉は絹の袋って決まってんだろ‼』


 そして仲間同士で喧嘩が始まった。

 そもそも網縄で複数人纏めて運ぶつもりだったんだろうから、これら全てが想定外の行動。

 そして時間制限がある。

 内通者が何を言ったって、流石にならず者国家、蛮族国家の襲撃が明るみになれば、兵隊は動かざるを得ない。

 早く逃げなければ、流石に兵隊がやってくる。


 俺にとっては関係ないし、何について喧嘩をしているのかも知らないんだけど。

 ただ、ラッキーとしか思えない。やっぱ俺はついている。


「行けた‼あの時は、実は火がくすぶってたかもってちょっと不安だったんだ。普段から練習できるものじゃないし」


 この声をリーナは理解できないけれど、今夜の出来事を振り返ると何が起きたのか、理解できる。


『ランプに火をつけたのは、…ソリス?…篝火かがりびの女神、イブ様の力ってこと?』


 とのことだが、やっぱり俺には聞き取れない。

 聞き取る暇なんてない。俺は今、猛烈にこんなことを考えている。


 ——俺のうだつが上がらない前世はこの世界の為にあったのだ、と。


「な。知ってるか?俺の世界だとさ、気功術が流行った時って検証動画とかがめちゃくちゃ出回ったんだ」

『これは女神イブ様のお言葉よ。しっかり聞きなさい‼』

「導師が手を翳すと相手が吹き飛ぶんだけどさ。スローモーションで見たら、先に吹き飛んでて、後から導師の手が動いたんだと…。流石に顔が引き攣ったよ。でもさ…」

『イブ様はアタシたちを見守って下さる暖かい暖炉の火。そして今、イブ様はとてもお怒りのようね。怒らせると本当に怖いの、知っているでしょう?だから、尻尾を巻いて逃げ出せって仰られているわ』


 目に入れても痛くない程愛らしい、金髪白肌の六歳児が日本語を操る。

 そして、リーナがこっちの言葉に訳している。

 全くもって不正解だが、子供は時として大人の常識を覆す。

 人攫いの男たちも、だんだんそうなんじゃないかと思い始める。

 

「でさ、これ。見たことあるだろ?色んな所で…」


 俺は今、熱く語っている。身を捩り、両手を臍下丹田の位置に持っていき、そこで手のひらを接触させないよう、まるで見えないボールを掴んでいるような仕草をした。


「これさ、当時の気功術の通信講座の常套手段。手と手を向かい合わせているとさ、だんだん弾力のある何かが間に発生するんだ。…でもさ。これってただの筋肉の疲労って言うんだよ。実際にほら…、感じるのに」

『まさか…イブ様…。レラ、ルーナ。アタシに捕まって。イブ様、あんなに体を震わせて…』

『イブ…様?』

『イブ様がお怒りに…?お怒りになられたら…』


 今、悪いことをしているのは男たちだ。それでもレラとルーナは怯えた。

 エステリアの娘であるイブは二面性を持つことで有名な女神である。

 夫が浮気、妻が浮気、もしくは子供が悪いことばかりを続けると、その家庭に暖かさを与えていた女神がお怒りになる。

 アルテナス信仰の家では、使い古された子供への教育。


『兄貴…。マジ…かもしれねぇ。コイツ、魔法を使えるのかも。なんか、熱い…気が』

『そ、そ、そんなわけないだろう。その歳で魔法を使うなんて聞いたこともねぇぞ。だ、だ、第一、俺様はそんなに悪いことを…」


 めっちゃしてる。

 元々アルテナス信仰国で、そこから独立した悪漢どもも知っている話。

 彼女の沸点はどこか分からないから、誰もがちょっとぐらい思い当たる。

 男たちにとってはちょっとどころではないくらい思い当たる。


 なんてことを俺が聞き取れる筈もなく。


「意志丹田で宇宙から溜め込んだ気を、意念丹田と同じ感覚で移動させる。ほら、だんだん気を感じてきたろ?…だって、ここ。異世界だもんな?」


 俺は腰を落とし、更に体をひねる。

 俺が練った気は、既に臍下丹田から両腕へと移動を始めている。

 前の世界だと、ただの筋疲労だったかもしれない。いーや、違う。

 赤外線が出ることは証明されている。

 だから、内部の空気が過熱されて膨張してるんだお‼

 って、俺は勝手に個人的な解釈で乗り切ったんだが?


『本当にお怒りよ‼心優しき女神イブ様が、火事の厄神ゴートへと姿を変えようとしているわ!』

『や、やべぇぞ、兄貴。厄神ゴートとかシャレにならねぇって‼』

『そ、そ、そんなわけ。俺は怒られるようなこと‼』

『人攫いっすよ‼お国の為とは言え、罰が当たったっすよ‼』


 因みに俺の体は気の巡りに併せて光を帯びる。だけど、それが本当に見えているのか、少々疑問だった。

 いや、今でも疑問。だって、人は脳でモノを見ているから。

 だから、もしかしたら今の体勢は、物凄く滑稽に見えているのかもしれない。

 休みの日に窓に向かってやっていたら、とっても恥ずかしいかもしれない。


 でも、俺達はみんなそうだった。


 俺達の世代の男子はみんな、…信じていたんだ。


「たーーーーんーーーーでーーーーんーーーー」

『かーーーーじーーーーおーーーーこーーーーしーーーーたーーーーるーーーー』


 リーナの声が俺の耳朶をくすぐる。

 流石にそれは聞き取れるし、そうはならんやろとツッコみを入れたくなる。


 だけど、今は集中だ。


 俺達の世代の男の夢、夢と書いてロマンと読む‼


 思えば届くって信じていた。

 練習を続けたら、——『』が出せるって、本気で信じて窓の外に向かって


 クラスの誰かに見つかって、あいつ、マジな顔で『』をやってたぞ、とか言われる覚悟…、はしてなかったけど


 とにかく信じて、両手を突き出したんだ。


ぁぁぁぁぁああああああああああああ」

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