第1話「裸エプロン殺人事件」
「湊〜朝じゃよ!!」
部屋に響き渡る祖父、
これが、湊が朝起きるためのルーティーンとなっている。もはや、この声がないと起きれないくらいに依存している状態だ。3回目の「朝じゃよ」という声が部屋に響いたタイミングで、湊は布団から重い体を起こして立ち上がる。
「おはよう、じいちゃん」
「起きたか。なら、早く着替えて朝飯を冷めない内に食べなさい」
「はーい」
湊の家は平屋だ。というか、古い家だ。大体の部屋には畳が敷き詰められているし、部屋を区切っているのも障子戸だ。ご飯を食べるのもちゃぶ台だし、雑草まみれで奥が見えない中庭がある。そのくせ、エアコンやお風呂・冷蔵庫やキッチンは最新式だ。まぁ、無駄に五右衛門風呂とか団扇のみとかよりはありがたいのだが、いかんせん不可思議な気持ちになる。
例えるなら、江戸時代の人々がPS5を持っている感じだ。
何かが噛み合っていない、何かがきもい悪いという感覚だが、そこは仕方がないと、湊自身の心の中で完結させている。
(その間取りというお陰か、じいちゃんの声が響きやすいというのはとても有益な点だと思う。まぁ、それ以外は生活しにくいというのが難点だけど………。夏は暑いし、冬は寒い。どれだけ最近式のエアコンでも、薄っぺらい壁はその効果を持続させる事が相当困難だ)
そうこうしているうちに、湊は着替えを終えて、朝ごはんのもとへ向かう。この匂いからして、湊の好物である卵焼きとベーコン・味噌汁だろう。もう毎朝このセットでいいレベルで好物だ。
「ありがとう、じいちゃん。ん?んんんん!?」
だが、湊が目を奪われたのはそんな大好物が並べられたちゃぶ台ではない。孫と一緒に朝ごはんを食べようと思っているのか、ちゃぶ台の前で座って待っているじいちゃんの状態であった。
想像して欲しい、自分の祖父がパンーにピンクのハート柄が目立つエプロンを着て座っているという状況を………。正直言って寒気しかしない。ていうか、体が寒気がする以前に拒否反応が起こっている。足が前に全然進まない………。
「どうしたんじゃ?空。せっかくお前の好物を作ったというのに立ち止まって……む?空、お前顔色が悪くないか?熱でもあるのか?」
「じいちゃん………何だよその格好は………」
口から飛び出たのは絶望感が漂うそんなセリフ……。これが漫画なら、25巻ぐらいでじいちゃんが敵側の服を着ていて、実は敵だったという真実を知ってからの一言目ってところだろう。
「この格好か?このエプロンは
「それは分かる………でも、何で……何でパンツ一丁の上にエプロンをしているんだ!!」
「だ……ダメなのか?この格好は?」
「鏡を見てきて………答えは多分そこにある……」
動揺を隠せないまま鏡の方へと飛び出していく照史を横目で見送ると、湊はちゃぶ台の前に座り込んだ。
今の湊は、悟りを開いているかの如く冷静である。あの光景を見て数分、もう何でも受け入れられるレベルになるほどに脳が適応してしまった。おそらく今後数十年は、この衝撃を超える出来事は目に入ってこないだろう。
それから数十分、朝ごはんを食べ終わってもじいちゃんが帰ってくる様子はない。相当自分の服装が気持ち悪くてショックだったんだろうな、帰ったら慰めてあげよう。そうこうしてるうちに、もう8時5分。もうそろそろ高校に行く時間だ。
「じいちゃん、行ってくるよ。」
「待て湊!!」
今から靴を履こうとする湊は、背後から照史に肩を掴まれる。どうやら、この数十分で自身の過ちに気づいたみたいだ。
(あの地獄を見ていたのが、僕だけで本当によかった。もし彩香にでも見られていたら、即座に通報されていただろうなぁ)
「じいちゃん……」
「湊よ……帰ってきたら大切な話しがある。今日は寄り道をせずまっすぐ帰ってくるように」
「あ……うん」
予想外だった。いつにも増して照史は真剣な眼差しで湊を見つめていた………裸エプロンで………。
(ん?ん?ん?何故裸エプロン?え、パンツ脱いだの?過ちに気づくどころか悪化してない?もうここ数十年は衝撃を受けないほどに達観したとか言ってたけど撤回するしかない……あの会話からの裸エプロンは衝撃的すぎるよ……。あぁ、天からか声がするよ、じいちゃん。「我らには救えぬ者じゃ………」と囁く声が………)
「本当に分かったのか、湊?」
「だ、大丈夫。帰ってきたら話しがあるんでしょ?分かってるよ」
「少し衝撃的じゃ……。覚悟をしておきなさい」
靴を履いて引き戸の扉を開けている僕に、照史はそう言った。湊は、この時の照史の顔がどこか切なそうに感じた。
♢♦︎♢♦︎♢♦︎♢
「おはよ、湊」
家を出てから5分くらいしたぐらいだろうか、背中をパシーンと叩かれながら声をかけられる。このやり取りは何回目だろうか?もう誰がかは検討がつく。ていうか、声で大体分かる。
「おはよう、彩香。今日も元気だね」
彼女は
(彩香ならもっといいところを受験できただろうに……まぁ、それよりも………確認すべきことがある……)
「彩香、じいちゃんに何プレンゼントしてるんだよ?」
「プレンゼント?あ、エプロンのこと?どう、照史じいちゃん喜んでた?」
「喜んではいたけど………。60年間エプロンを使った事ない人に、いきなり渡すなよ………」
「え?エプロンの使い方なんて簡単でしょ?使った事なくても分かると思うけど?」
「分かってなかったから困ってるんだよ!!彩香は人生で祖父の裸エプロンを見たことある?」
「あーー………うん、何となく分かった。なんか……ごめんね?」
彩香は、湊のじいちゃんのことはよく知っている。幼い頃から家にはよく遊びにきていたし、中学・高校に進学してからは、たまに家事を手伝ってくれる。どうやら、将来嫁ぐための練習とかなんとか。
(まぁ、僕もじいちゃんも基本的にはなんでも食べれるし、そもそも彩香は料理得意だから練習なんていらないと思うだけどなぁ)
「あ、いや……素直に謝られると……その…反応に困る。」
「ふふふ、湊のその癖は変わらないね。文句は言うくせに、相手が申し訳なさそうになると、反応に困って焦るんだよね~」
「ふん、なんかそんな態度を取られると、僕の方が申し訳なくなってくるんだよ。」
「優しいんだよ、湊は」
とびっきりの笑顔。まぁ、この笑顔が見れたのなら、じいちゃんの裸エプロン問題は水に流しておくとしよう、うん。
「そ、そうかな?」
「そうだよ。あ!走らないと遅刻!!」
僕たち二人は、学校までの道のりを走っていくのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます