【16話】レナルドの怒り


 放課後にレナルドの家で毎日勉強するようになってから、三か月。

 

 授業中、放課後、休日――多くの時間を、レナルドと共有してきた。

 そうしていく中で彼という人間のことを、シルフィは十分に知ることができた。

 

 優しくて誠実で、そしてシルフィのことを大切に思ってくれている。

 そんなレナルドにだんだんと惹かれていき、そしていつしか、好きになっていた。

 

『答えを聞かせてくれるのを、楽しみにしている』


 告白してくれた日、レナルドはそう言ってくれた。

 

 彼への気持ちをはっきりと自覚した今が、その答えを言う時なのだろう。

 

 しかし、シルフィはそれができないでいた。

 何の脈絡もなく、好きです、と伝えるのはどうにも恥ずかしい。

 

(何かきっかけがあれば良いのだけど……)


 そんなことをぼんやり考えながら、二年A組の教室に向かっている途中。

 廊下で呼び止められる。

 

「シルフィさん、少しお時間よろしいかしら?」

 

 声をかけてきたのは、イレイシュ・リリンク侯爵令嬢だった。

 周りには、取り巻きの女生徒が数人いる。

 

 ピンク色の髪を揺らしながら、イレイシュが近づいてきた。

 可愛らしい顔で笑っているが、言い表せない不気味な雰囲気を纏っている。

 

(よく分からないけど、面倒くさそうね)


 逃げようとしたシルフィだったが、イレイシュの取り巻きの女生徒たちにぐるっと囲まれてしまった。

 退路を断たれてしまう。

 

「あなた、レナルド様と近づきすぎじゃないかしら?」

「……さぁ、なんのことでしょうか。私には覚えがありません」

「どぼけないでちょうだい!」


 小さな怒りがイレイシュの口から上がった。

 

 本来ならば怒鳴り散らしたいところだが、人目のある廊下ということで声を抑えている。

 そんな、我慢している感じの声だった。

 

「あなた、授業中に筆談したり、レナルド様のお屋敷へ頻繁にお邪魔しているでしょ! 私、全部知っているのよ!」


 どうやら隠し通せていなかったみたいだ。

 

(そっか、バレちゃったのね)

 

 いつかはこうなるだろうと思っていたので、あまり驚きはしない。

 むしろ、ここまでよく隠し通せていたものだ。

 

「それで、イレイシュ様は何を言いたいのですか?」

「今すぐレナルド様と距離を置きなさい」

「拒否します」


 間髪おかずに即答する。

 

 イレイシュとレナルドは何の関係も持ってない。

 そんな彼女の命令を受ける謂れは、どこにもなかった。

 

 拒否の言葉を言った直後、イレイシュの雰囲気が変わった。

 くりくりとした赤の瞳に、メラメラと怒りの炎が宿る。

 

「あなた、私の言うことが聞けないっていいうのね」

「そうなりますね。正当な理由がありませんから」

「そう、分かったわ……!」


 イレイシュの視線が鋭くなる。

 いつかと同じ、殺気を孕んでいる視線だ。

 

「覚悟することね!」


 語気を強めた言葉の中には、たっぷりの感情がこもっていた。

 

 それだけ言うと、イレイシュはくるりと反転。

 取り巻きたちと一緒に、シルフィの前から去って行った。

 


 その日から、シルフィはトラブルを抱えるようになった。

 ノートが捨てられていたり、所持品が荒らされたりしていたのだ。

 

 レナルドはしきりに心配してくれたが、シルフィは『大丈夫です』とだけ答えていた。

 いつもお世話になっている彼に、余計な心配をさせたくなかった。

 

 犯人の目ぼしはついている。というよりも、イレイシュしか考えられない。

 しかし問い詰めたところで、「知りませんわ」としらを切られるだけだろう。

 

 イレイシュの狙いは、シルフィとレナルドとの関係を断つことにあるのだろう。

 そうなるまで、この状態が続くのかもしれない。

 

(面倒くさいわね。まぁ、そのうち飽きるでしょ)


 そう思ってスルーしていたのだが、これが中々しつこい。

 一週間経った今も、イレイシュによる嫌がらせは続いていた。

 

 

 午前の授業が終わり、ランチタイムになる。

 シルフィは昼食が入っているバスケットを取り出そうとするも、それが見当たらない。

 

「ざまぁないですわね」

「ストレス解消にピッタリですわ」


 イレイシュの取り巻きたちが、シルフィを見てニヤニヤ笑っている。

 その取り巻きたちの中心では、イレイシュがほくそ笑んでいた。

 

(はぁ、本当に面倒くさいわね。いつまで続くのかしら)


 深いため息を吐く。

 

 その時だった。

 

 机をバンと叩いたレナルドが、勢いよく立ち上がった。

 眉間に皺をよせ、とても険しい表情をしている。

 

 彼の突然の行動に、クラスメイトは驚愕していた。

 隣席に座っているシルフィも、その一人だ。

 

「すまないシルフィ」


 謝罪の言葉を呟いてから、レナルドは足を動かし始めた。

 大きな足音を立てながら向かった先は、イレイシュのところだった。

 

 取り巻きを乱暴にどかして、イレイシュの目の前に立つ。

 

「どうしたのですかレナルド様? あ、もしかして私とお昼を一緒に――」

「うるさい」


 バッサリとした冷淡な声には、これでもかというくらいの怒りが詰め込まれていた。

 

 ランチタイムの教室の空気が、一瞬にして氷点下になった。

 誰一人として言葉を発しないまま、息を呑んでレナルドを見ている。

 

「シルフィが黙っていたから、俺も今まで我慢していた。だが、もう限界だ」

「……い、いったい何のことでしょうか? 私にはさっぱり分かりません」

 

 あはは、と苦笑いするイレイシュ。

 バツが悪そうに視線を横に逸らしている。

 

 イレイシュに向けるレナルドの視線が鋭くなる。

 それはまるで、氷で出来ているナイフのよう。

 

 バレバレの嘘を付かれたことが、怒りのボルテージを上昇させてしまったみたいだ。

 

「あれだけのことをしておいて、目撃者がいないと思っているのか?」

 

 イレイシュの嫌がらせは派手で、とても目立っていた。

 

 その行いを見ていた生徒は、多くいるはずだ。

 聞き取りを行えば、イレイシュの犯行は明らかとなるだろう。

 

 イレイシュの顔が苦くなる。

 額には玉のような汗が浮かんでいた。

 

「俺は絶対に貴様を許さない。どこまでも追い込んで、この王国から追い出してやる」


 レナルドの言葉には嘘を感じられない。

 今言ったことを、本気でやるつもりだ。


 一瞬だけ怯んだイレイシュ。

 しかし、次の瞬間には涙を流していた。


「どうしてシルフィさんのために、そこまでするのですか! 私はあの人より、ずっと可愛くて価値がある! なのに、どうして私を選んでくれないのですか!」

「そんなのは決まっている!!」


 イレイシュの泣き叫ぶ声は、レナルドの大きな声にかき消された。

 

「俺が心から惚れた、この世で一番の女だからだ!」


 その声に、シルフィの魂は大きく揺さぶれた。

 

 ときめきの気持ちが、とめどなく心から溢れてどうしようもなくなる。

 そして、強く自覚する。

 

(私、レナルド様のことが大好きだわ)


 ドキドキが止まらない。

 心臓がずっとうるさく跳ねている。

 

 涙を流しながら立ち尽くすイレイシュに、背を向けるレナルド。

 シルフィのところまで歩いてきて、その手をギュッと掴んだ。

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