【15話】因果応報の果てに ※シアン視点

 

「グレイ様、どうか元に戻って下さい!」

「いきなり何するんだ!」


 ペンを無理矢理取り上げられたグレイが、怒鳴り声を上げる。

 

 いつもニコニコしていて、誰にでも優しかったグレイ。

 怒鳴り声を上げたことなんて、これまで一度もない。

 

 こんなにも感情的になった彼を、シアンは初めて目にした。

 

「僕とルリルの邪魔をするなぁ!!」

「ルリル? 先ほども口にしていましたけど、それ、誰ですか!」


 知らない女性の名前が出てきたことに、シアンはカチンときた。

 思い切りグレイを睨みつける。

 

 それを嘲笑うかのように、グレイはニヤリと口角を上げた。


「この世で一番大事な人さ。彼女に出会ってから、僕は他の女性のことなんてどうでも良くなったよ!」

「……ひ、ひどい」

 

 その言葉は、世界一大好きな人からの裏切りに他ならない。

 大粒の涙が、瞳からボロボロとこぼれ落ちる。

 

 休日のデートを断られるようになった時から、薄々嫌な予感はしていた。

 けれど、認めたくなかった。

 

 愛する人に裏切られたら、自分がどれだけ傷つくか。

 それを考えただけで、とても怖かったのだ。

 だからシアンは、気づかないフリをしてきた。

 

 しかし、それは今現実となってしまった。

 想像を絶する衝撃で、シアンの心はズタズタに引き裂かれてしまう。

 

「婚約者である私を、あなたは裏切ったのですね」

「おいおいおい。裏切られて大層悲しんでるようだけどさ、君にその資格はないだろ?」


 ハン、とグレイが鼻を鳴らす。

 

「君はシルフィから僕を奪った。それは、君がシルフィを裏切ったのと同じことだよね。裏切るのはよくて、裏切られるのは許せない。それはあまりにも、虫が良すぎるんじゃないかな?」

「……」


 シアンは何も言い返せなかった。

 

 グレイの言葉が、ズタズタの心をさらに傷つけていく。

 

 まさかシルフィにしたことが、自分に返ってくるなんて思いもしなかった。

 因果応報という言葉を、身をもって感じる。

 

「僕は忙しいんだ。そろそろ出て行ってくれ」


 シアンからペンを取り返したグレイ。

 次に、彼女の腕を掴んだ。

 

 そのまま力任せに引きずっていき、部屋の外に放り出した。

 

「私、こんなにも人を愛したのは初めてだったのに」


 掴まれて赤くなった腕をさすりながら、シアンは涙を流した。


「奇遇だね、僕も同じだよ。こんなにも夢中になれる人に出会ったのは初めてだ」


 しかしグレイは、シアンを見ていない。

 彼の視線は、壁一面に描かれているルリルへ向けられていた。

 

「さぁルリル、続きをしようか」

 

 バタン。

 

 部屋の扉が閉まる。

 閉ざされた扉の向こうからは、いつまでもペンの音が聞こえてきた。

 

 

 そこからのことは、あまり覚えていない。

 気が付いたら、シアンはルプドーラ邸の私室にいた。

 

 ベッドに縮こまり、ふとんを頭から被る。

 体はガタガタと震えている。

 

「もう嫌だ。何も見たくない、何も聞きたくない。私はもう、これ以上傷つきたくない」


 これまでずっと、傷つける側だったシアン。

 傷つくことが、こんなに痛くて苦しいものだなんて知らなかった。

 

 もうこれ以上、傷ついて痛い思いをしたくない。

 このままこうして、ずっとふとんを被っていたい。

 

 そうしていれば誰とも関わらずに済む。

 二度と痛い思いをしなくて済むのだから。

 

 

 その日以降、彼女は私室に閉じこもるようになった。

 両親がいくら声をかけても、決して部屋の外に出てくることはなかった。

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