【14話】狂気 ※シアン視点
二人の今後を決める大事な話がある、グレイはそう言ってくれた。
けれど誕生日の翌日になっても、彼は何も言ってこなかった。
プロポーズをされるとばかり思っていたシアンは、それはもう激怒。
その日の放課後、彼女はグレイを呼び出した。
「グレイ様、今日は大事な話があるのではないですか! どうして何も言って下さらないのですか!」
感情を爆発させたシアン。
心で思うままに、怒鳴り声を上げる。
それに対しグレイは、「あぁ」と単調な返事を返してきた。
「なんですかそれは!」
シアンの怒りが頂点に達する。
殺してやろうかというくらいに、強く睨みつける。
しかしそれでもグレイは、「あぁ」と呟くのみ。
これだけ言っているのに、まったく動じていない。
ここでシアンは、彼の異常に気付いた。
光の無くなった虚ろな目をしていて、顔色も青白い。
その姿は、病人のようだった。
(もしかして、体調がよろしくないのかしら。最愛の人が調子を崩しているのに、私は何てことをしてしまったのかしら)
シアンの心に、フッと罪悪感が浮かぶ。
「ごめんなさい。私、カッとなって言い過ぎてしまいました。グレイ様にも、タイミングというものがありますものね」
「あぁ」
「その、グレイ様の準備が整ったら言ってください。私はいつでも待ってます」
「あぁ」
抑揚のない声で呟き、グレイはシアンの前から去って行った。
******
それから三か月が過ぎた。
今もまだ、シアンはプロポーズを受けていない。
流石に遅すぎる。
問いただしたい気持ちはあるのだが、それはできない。
グレイはずっと調子を崩したままだった。
しかもそれは、週が変わるごとにどんどん酷くなっていった。
そのことが影響してか、グレイは学園を休みがちになっていた。
ここ一週間は、一度も学園に来ていない。
心配になったシアンは、この日の放課後、グレイの生家であるジグルド家に向かうことにした。
学園から、馬車で揺られること十分。
ジグルド家に到着する。
「なんだか久しぶりに来たがするわね」
婚約する前は、頻繁にここを訪れていた。
そうして、グレイの私室で二人でお茶を楽しんでいた。
しかし、婚約してからは一、二回ほどしかない。
久しぶりにここへ来られたことに、シアンは少しだけ嬉しさを感じていた。
邸内に入ると、一人のメイドが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませシアン様。本日はどのようなご用件でしょうか?」
「グレイ様のお見舞いに来たわ。案内してちょうだい」
「今はお会いになられない方がよろしいかと」
困り顔で、メイドは視線を泳がせる。
「は? どういう意味よそれ」
「どう申してよいものやら……。ですが、心に大きな傷を負ってしまう可能性がごさいます」
意図の分からない忠告に、シアンはイラっとした。
(私がグレイ様をどれだけ愛しているのか知らない癖に、何が、心に傷を負う、よ。そんな訳ないじゃない!)
たかだか使用人の分際で、舐めた態度を取ってきたことが許せない。
メイドに対し、威圧的な視線を向ける。
「下らないご忠告をどうも。せっかくだけど、私はどうしてもグレイ様に会いたいの。分かったら早く案内しなさい」
「……かしこまりました」
威圧に屈したメイドは、怯えた表情で頭を下げた。
「最初からそうしなさいよ」
ありったけの苛立ちを顔に出しながら、シアンは舌打ちした。
メイドに付いて行き、二階へと上がっていく。
案内された場所は、グレイの私室だった。
「グレイ様はこちらにいらっしゃいます」
「どうも。もう下がっていいわ」
「失礼します」
去って行くメイドの背中に、フンと鼻を鳴らす。
(さて、と)
ゆっくり深呼吸。
こんなイライラした顔で、グレイに会いたくない。
気持ちを切り替え、部屋の扉をノックする。
「シアンです。体調はいかがでしょうか?」
部屋の中から返事はない。
(寝ているのかしら?)
そうして、もう一度ノックしようとした時だった。
カリカリカリ。
部屋の中から小さな物音が聞こえてきた。
扉に耳を押し付けると、より鮮明に音が聞こえる。
ペンで文字を書き殴っているような、そんな音だ。
(いったい何をしているのかしら?)
試しにドアノブを捻ってみると、ぐるりと回った。
部屋に鍵はかかっていない。
「入りま――」
扉を開けたシアンは言葉を失った。
部屋の壁一面に、知らない女性の絵がいくつも描かれていた。
構図は違うが、描かれている女性は全て同じ人物だ。
隙間なくびっしり描かれているそれで、四方の壁はすべて埋まっていた。
女性の絵を描いているのはグレイだった。
ルリル、と口にしながら、一心不乱にペンを動かしている。
部屋に入ったシアンには、目もくれない。
狂気、としか言い表せない。
度を越えた異常行動に、シアンは怖気づいてしまう。
今すぐこの部屋から逃げ出したい。
だが、シアンは逃げなかった。
グレイへの止めどない愛が、逃げることを許さなかった。
(グレイ様を助けなきゃ! 私がやらなきゃ!)
グレイに近づき、ペンを強引に取り上げる。
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