第27話 涙
○涙
児珠は満腹すると歯を磨いて寝てしまう。
明美は美柑の部屋を使うことになっていた。
「児珠さん、大丈夫かなあ・・・」
明美は風呂上がりに座敷に転がったままの児珠を見つめる。
(かわいい寝顔・・・♪)
明美は嬉しそうに笑う。
(後片付けは明日の朝にしよう・・・)
明美は座敷の襖を閉めると美柑に借りた布団へと潜り込んだ。
*
翌朝、明美はいつもより早く起き出して座敷と台所の片付けを始める。
児珠は気持ちよさそうにぐっすりと眠っている。
台所の窓から覗く外の景色は、晴れ間の空が広がり、まだ輝く星や月が見えた。
明美は朝の冷たい水に手を凍えさせながら洗い物を済ませて行く。
明美は座敷の座卓と台所の流し周りを片付け終えると朝食の準備に取り掛かった。
(児珠さんには、もう少し眠って居てもらいましょう・・・)
明美は、児珠に毛布をかけ直すと、台所に戻った。
明美は、児珠が出会ったと言う”芽美(めぐみ)”と名乗る女性にどうしても気持ちが揺れてしまう。
(ああ〜もう〜・・・)
明美は”ブンブン”っと頭を振る。
(どうしてこんなにイジケテしまうんだろう・・・)
明美は元気を出そうとして冷たい手を頬に当てた。
「つ、つめた〜い・・・」
明美は思わず涙声になる。
(さあ、元気をだそう・・・)
明美はヤカンを火にかけてお湯を沸かし始めた。
*
「ふああ〜ああ・・・」
児珠は台所から漂ってくる旨そうな匂いに釣られて目を覚ました。
”ぐう〜っ”
児珠は自身のお腹に手をやる。
「俺、あんなに腹一杯食べたはずなのになあ・・・」
児珠はアクビをすると背伸びをして毛布から抜け出す。
児珠はボサボサの頭のまま、風呂に入ろうとして立ち上がった。
「あれ?明美の奴・・・」
児珠は台所に行って明美の姿を探す。
「児珠さん、おはようございます」
明美は児珠に気づいて挨拶をする。
「おう。おはよう、明美・・・」
「髪の毛がボサボサですよ?児珠さん。フフ」
明美は児珠の姿を見て笑う。
「ああ、うん・・・。俺、朝はいっつもこんな感じだぜ?」
「児珠さん、癖っ毛なんですか?」
「う〜ん・・・。どうなんだろう・・・?」
児珠は首を傾げる。
「お風呂に入るならお湯を沸かして下さいね」
「ああ、うん。分かった・・・」
児珠はそう言った明美の後ろ姿を見つめる。
(今日は、何とも無さそうだよなあ・・・?)
児珠は、一息つくとシャワーで済ませようと洗面兼脱衣室へと入った。
明美は児珠が無事に起きて来た様子を見て機嫌を良くする。
”フンフンフン・・・♪”
明美は鼻歌を響かせながら朝食を作った。
児珠がシャワーを浴びて座敷に戻ると朝食の準備がすでに揃う。
児珠は座卓に並んだ朝ごはんに目を輝かせた。
「うわあ〜。旨そう〜」
「児珠さん。先に服を着て来て下さいね」
明美は笑う。
「ああ、そうだったな・・・。つ、ついな・・・」
児珠は照れる素振りも見せずに座敷の奥に畳まれた衣服の中からいま着るものを引っ張り出した。
「俺、そんなに服を持ってないからさ」
児珠は笑う。
「一緒に買いに行きませんか?」
「明美と?俺と?」
「へ、変ですか・・・?」
「い、いや〜。いいけどさ・・・」
「何か?心配事でも・・・?」
「いや、それなら俺がお前に買ってやりたいなって・・・」
「ほ、本当ですか?児珠さん?」
「う、嘘ついても仕方が無いだろうが〜」
(嬉しいなあ・・・)
明美は喜んで顔を赤らめる。
(おっ?何だか明美の奴、今日は機嫌が良いな・・・)
児珠は明美の表情を見て喜ぶ。
「おっし。じゃあ、店が暇な時にな。ばあさん一人でも店番が出来そうな時にさ。商店街なら出歩けるだろう?」
「商店街ですか・・・?」
「嫌なのか?商店街じゃ・・・?」
「い、嫌では無いです・・・。ただ・・・」
「何だよ?」
「う、ううん。何でも無いです。楽しみにしますね」
「おうっ」
児珠は旨そうに飯をかきこんだ。
*
店が開くとチラホラと客足も見られるようになる。
「あんたたち〜、おはようさ〜ん♪」
美柑がスキップでもするかのように弾んで八百屋に現れた。
「店長、何だかお若いですね・・・?」
「そうかい?明美ちゃん?」
美柑はご機嫌で返事をする。
「何だよ?ばあさん?焼け棒杭に火が付くって奴か?」
「ダーリンへの愛は燃え尽きたことなんて無いわよ、坊や」
「へ、へえ〜・・・」
児珠は珍しいものでも見るかのように遠目で美柑を見つめる。
「いいなあ〜、店長・・・」
明美は児珠に聞こえないところでボソッと呟く。
「どうしたの?明美ちゃん?」
明美は昨夜のことを美柑に話して聞かせた。
「あらあら・・・。そんなことがあったの・・・。あなたたち・・・」
「店長〜・・・」
明美は涙ぐんで言う。
「そうねえ。明美ちゃんは辛いわねえ〜」
美柑は明美の背中に手を当てて、撫で下ろす。
「でもねえ〜。最後は児珠君をどちらが信じるかよねえ〜?」
「児珠さんを信じる?」
「そう。坊やがどうこうでも、明美ちゃんがどうこうでも無いわさねえ〜」
「そうでしょうか・・・?」
「そうだねえ・・・。最後はもう相手を信じるか、信じられないか・・・だわよねえ〜」
「児珠さんを信じる・・・」
明美は遠くから児珠を見つめる。
「坊やはあれでしっかりしてるから、明美ちゃんのことちゃんとしてくれるとは思うけどねえ〜」
「は、はい・・・」
「明美ちゃんがイジケて居たら坊やも可哀想よねえ〜」
「そ、そうでしょうか・・・?」
「そりゃあ、もう、そうでしょう〜。愛しい人がイジケて居たらねえ〜」
「は、はい・・・」
明美はつい下を向いてしまう。
「ほおら?元気を出して〜。明美ちゃん?」
「は、はい」
明美は、店番へと戻る。
*
夕方になると店先が賑わいを見せる。
夕飯時の買い物客で通りは混雑を見せた。
「児珠ちゃ〜ん!」
「おわっ!芽美かよ?な、なんだよ今日は?何かあったのか?」
「何も無いからよ〜。児珠ちゃん!」
芽美は児珠のお尻をツネった。
「うわっ。お、お前、痛いぞ・・・」
児珠はツネられた箇所を撫でながら言う。
「フフフ。誘いの返事をスルーした罰〜」
「誘い?返事?何だよそれ?」
「昨日、渡したでしょう?タブレットを?」
「ああ、あれな」
「どうして何も返事をくれないのよ?」
「ああ・・・。俺、どうして良いのか分からなくてさ・・・」
「もしかして、児珠ちゃん、操作したことなかった?」
「ああ、俺、多分・・・」
「なあ〜んだあ〜。そう言うこと〜♪」
芽美は児珠の腕に抱きついた。
「お、おい、おい。危ないからやめろって」
「タブレットを持って来てよ。操作の仕方を教えるから」
「えっ?今かよ?」
「ダメ?」
「ダメじゃ無いけど・・・」
児珠は頭を掻く。
「坊や、その子はだあれ?」
美柑が店の奥から出て来る。
「ああ、コイツは昨日からうちに来てる芽美って奴。そこの専門学校生だって」
「初めまして。芽美です」
「ようこそ。いらっしゃい。いつもご贔屓に」
「うわあ〜。優しそうな方ですね?こちらの方ですか?」
「ああ、ここの店長。俺らの雇用主な」
「へえ〜。他にはどなたかいらっしゃるんですか?」
「ああ。明美って言って、俺の先輩な」
「明美さん・・・?って、女性の方ですか?」
「おうっ。俺が今世で幸せにする女な」
「な、何ですか〜?児珠ちゃん、ウケる〜」
「そ、そうか?俺、そんなにおかしいこと言ってるかなあ?」
「今世って、いつのことなんですか?」
(そ、そこかよ・・・)
児珠は苦笑する。
「い、いらっしゃいませ・・・」
明美が消え入りそうな声で芽美に声をかける。
「初めまして。芽美です。こちらが明美さん?」
「おう。俺の先輩な」
「こ、児珠さん。せ、先輩だなんて・・・」
「えっ?また俺、変なこと言ったかなあ〜?じゃあ、何て言えば良いんだよ?」
「さ、さあ・・・」
明美はその場を去ろうとする。
「ねえ、児珠ちゃん?」
「何だよ?」
「今日は実習でクッキーを作ったんだ」
「クッキー?」
「そう。私たち毎日、実習で何かを作るから持って来るね?」
「えっ?いいのかよ〜?」
「もちろん♪」
「俺、そう言うのスッゲー嬉しい。サンキューなあ〜」
「クスクス。児珠ちゃんはそう言うと思ったんだあ〜」
芽美はチラリと明美を見る。
明美は思わず芽美と目が合って驚く。
「ねえ?明美さん?」
「は、はい・・・。何でしょう?」
「明美さんは、タブレットの操作は分かりますよね?」
「た、多分・・・。おそらくは・・・」
「じゃあ、児珠さんに教えてあげてもらえますか?」
「わ、わたしが・・・ですか・・・?」
「ええ。明美さんはずっと児珠さんと一緒に居るみたいだし。その方が早いかなって」
「は、早いですか・・・?」
「児珠さん、返事が無いんで不安なんです」
「ふ、不安って・・・?」
芽美は明美に目配せをする。
「ま、まさか・・・」
「そうです。そのまさかです。私、児珠ちゃんにフォーリンラブなんです」
芽美は両手でハート・マークを作って見せる。
明美は顔を赤くして、芽美から目をそらせる。
「わ、わたしより、め、芽美さんが教えてあげたら良いと思います・・・」
「そうなんだ?じゃあ、いま、児珠ちゃんを借りても良い?」
「は、はい・・・」
「キャハハ。やった〜。明美さんってば、良い人〜。助かる〜」
芽美はハシャイで児珠に歩み寄った。
「児珠ちゃ〜ん♪」
明美は、遠のく芽美の声に一人、涙を溢した。
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