第15話 蜜

○蜜


 その日は、特別に目立った様子も無く、夕刻を迎えた。


 明美はすでに帰り支度を始めて居た。

 「正樹もそろそろ帰って来る頃だな?」

 「はい。正樹くんも今日はこちらに寄るみたいですよ?」

 「え?正樹が?ここにか?」

 「あれ?児珠さんとお約束ではなかったのですか?」

 「え、えーと・・・。何だっけ?」

 「何でも男同士の約束だとか・・・」

 「ああ、そのことね。OK。分かってるって」

 児珠は胸を拳でドンと叩いて見せた。


 「うえっ。ゲホゲホ」

 「クスクスクス。大丈夫ですか?児珠さん?」

 明美は可笑しそうに声を上げて笑う。


 「児珠ーっ!」

 後ろから正樹の声が聞こえる。

 「剣は準備できたのか〜?」

 正樹は児珠にタックルを食らわせて言う。


 「うっわ!あ、あぶないだろう。正樹〜」

 児珠は転びそうになって言う。


 「腰が甘いぞ、児珠!」

 正樹は、ズンズンと児珠の腰に頭を押し付けて来る。


 「ま、参ったって、正樹。ちょ、ちょっとタンマ。休憩な?」

 児珠は正樹の頭を抱えて言う。


 「正樹くん。おかえりなさい」

 「おう。明美〜。ちょうどいいところに居るじゃん。俺たちの果し合いを立ち会って行けよな」


 「えっ?正樹くん?いま、何って?」

 「だ〜か〜ら〜。俺と児珠の果し合い」

 「え、え〜と・・・?ど、どうしたの?二人とも・・・?」

 明美はさっぱり事情が分からないで居る。


 児珠は明美の耳に手を当てて、ヒソヒソとこれまでの成り行きを話した。

 

 「おい!何してるんだよ?どっちが明美を守るに相応しい男か決闘だ!」

 正樹は八百屋の正面を陣取って言う。


 「ね、ねえ?正樹くん?」

 「なんだよ?明美〜?」

 「二人でわたしのナイトって言うのじゃダメなの?」

 「俺と児珠と二人で明美を守るのか?」

 「うん。その方が心強いかな?」

 「俺一人じゃ心細いって言うのかよ?」

 「そ、そう言うことではなくて・・・」

 明美は困ったような顔で正樹を見つめる。


 「まあ、じゃあ、お手並み拝見ってことで。いいか?正樹?」

 「勝負だー!」


 正樹はオモチャの剣を振り翳して児珠の正面から走り込んで来る。

 児珠は剣を握る正樹の腕を掴むと体を横にずらして、正樹をかわした。


 「アイテテッテ。痛いぞ児珠〜。腕を掴むなよ〜」

 「そんなルールがあるのかよ?」

 「って、言うか。剣は?児珠の剣、見せてよ」

 正樹は腕を掴まれたままジタバタとして言う。


 「俺か?俺の剣は、これだ。じゃ〜ん♪」

 児珠は葦と龍の爪で出来たタクトのように細い剣を空に翳して見せた。


 「えっ!?ほ、細〜。こんなんで受けるのか?」

 「ああ。思う以上にしなやかなんだぜ。それに、こいつの特徴は・・・」


 児珠は正樹の腕を離すと、バケツに溜まった濁り水をかき混ぜた。

 「うおお〜。すげえ〜」

 

 正樹は剣でかき混ぜるだけで水が澄んで行く様子に驚きを見せる。

 「魔法の剣じゃん!いいなあ〜。児珠〜」

 「魔法って訳じゃ無いけどさ」

 児珠は二カッと笑う。


 「これを持ってさ、世界中の水と言う水をキレイにして回るって言う冒険の旅も良いよな?」

 「え〜!いいじゃんか?児珠〜。俺も行きたい!」

 

 「ふ、二人で何の相談?」

 ひょっこりと明美が顔を出す。


 「見てみろよ、明美〜」

 正樹はバケツの水を明美に見せる。


 「あ〜!これ、さっきまでお店中を拭いていたお水〜。ど、どうしたの?こ、これ・・・」

 明美は水が透明に変わっている様子に驚く。

 「なあ、すげえだろう?児珠の剣でこうなったんだぜ?」

 正樹は興奮して言う。


 明美は不思議そうに児珠の顔を見上げた。

 「ああ。これさ。別にどうってことないんだ。たまたまな」

 児珠は言いにくそうに言葉を濁した。


 「おい、児珠〜」

 「なんだよ?正樹?」

 「明美とのことは俺が許す」

 「はあ!?何だよそれ?」

 「だから〜。児珠のこと見直すって言ってんだよ」

 「お、俺のこと?」

 (って、一体、いままでどう見てたんだよ?お前は・・・)

 児珠は、頭を掻きつつ苦笑いをする。


 「おや?坊や?それは何だい?」

 美柑が店の奥から出て来て言う。

 

 「ああ・・・。え、え〜と・・・。何だ・・・」

 児珠はますます言いにくそうになって言う。


 「あ、あの・・・。え〜と・・・」

 「龍の落とし物かい?」

 「えっ!?」

 児珠は美柑の言葉に仰天する。


 「いや、似たようなものを見たことがあっただけ・・・ね?」

 美柑は片目を瞑って見せる。

 (ば、ばあさん・・・。何か知ってるのかな・・・?)


 児珠は困惑した顔で”コクコク”と頷く。


 明美と正樹は不思議そうに二人を見つめながらも時計の時刻を気にし始めた。

 「あっ。俺たちもう行かなきゃだからさ」

 「姉と待ち合わせをして居て・・・」

 明美が言う。


 「これを持ってお行き」

 美柑が正樹にバナナを一房、渡した。

 「ばあちゃん、ありがとー」

 「ありがとうございます」

 明美は頭を下げる。


 「気をつけてお帰り」

 「正樹〜?また、やろうぜ!」

 「おー!」


 明美は正樹の手を握ると商店街の人混みへと紛れて行った。


 店に残された児珠は、閉店時間まで後少しの時間を任された。


 「へ〜い。いらっしゃい」

 児珠は、覇気の無い声で言う。


 「兄様は、どこか具合でもお悪いのでしょうか?」

 マーラが日が沈む暗がりに紛れて姿を現した。


 「その言い方やめろって。紛らわしいなあ。俺、ここでは児珠だから。過去世の愚かなガキはもう居ないんだよ」

 「おや。これは失礼を」

 マーラは丁寧に詫びる。

 「んで?何か買ってくれるわけ?」

 「いえ、まあ。そろそろお噂が立ち始める頃かと・・・」

 「煙の大元であるお前がそれをわざわざ言いに来る訳〜?」

 「そうですねえ〜。火の無いところには煙は立ちません・・・」

 「火種は何だよ?またいつもの甘言か?」

 「甘〜いお話は、どなたもみなお好きですよ?」

 「お前たちの甘いは、クドくてエグいんだよ。まるで蜜のようだ」

 「砂糖のような精錬はありませんか?」

 「後味が悪いって言ってんの」

 「これはこれは、人聞きの悪い」

 ”ククク”とマーラは笑う。


 「実際、甘言を”魔”に受けて身を焦がすのは人間の方からでして。われわれは、何もしていませんよ?」

 「占いもか?」

 「占いは、可能性を示唆したものであって、結果ではありませんよ?」

 「そうやって無い筈の甘〜い蜜をチラつかせてるんだろ?お前たち」

 「ククク。そうかもしれませんが、それを舐めるのも、むシャブるのも人間です」

 「ああ。そうだな。全部、人間だな」

 「分かって頂けました?児珠さん?」

 「いいや、俺は、嫌だね。悪魔とその軍勢に物分かりが良い人間なんてさ。こっちからゴメンだ」

 「ククク。そんな気骨のある人は、居ないんですよ。児珠さん。あなただって、過去世では、ねえ?」

 マーラは、”クスクスクス”と笑い続ける。


 「そうやって、お前たちは、俺たち人間を馬鹿にして笑ってろよ。俺たちの方からこそ、お前らとは関わらないんだからな。見てろよ〜」

 児珠は、マーラに”フンッ”と顔を背けて見せた。


 「いつの世も変わりませんよ。人間は」

   

  ククククク・・・

  

    ハハハハハ・・・


 マーラは気味の悪い笑い声を立てて姿を消した。

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