第10話 喜ぶ

○喜ぶ


 「児珠〜!」

 朝も早くから児珠を呼ぶ声が聞こえて来る。


 「児珠〜。どこだあ〜」

 (んん?この声・・・。正樹か・・・?)


 児珠はモゾモゾとベッドから這い出す。


 「おっ!ここかあ〜」

 正樹は児珠が寝泊まりしている一室のドアを開けた。


 「見つけたぞ!児珠。勝負しろ〜」

 正樹はオモチャの剣で児珠に襲いかかる。


 「おいおい。待て待て」

 児珠は剣を両手で遮って、正樹の攻撃から逃げようとする。


 「待て〜!」

 正樹は児珠を追いかける。児珠は、靴も履かずに外へ逃げ出した。


 「おい、待てって。正樹。降参、降参〜」

 児珠は地面に両膝を付けて両手を上に上げた。


 「勝負しろ!」

 正樹は剣の切先を児珠の鼻先に止めて言う。

 「おい。正樹。どうしたんだよ?朝から怖いぞ」


 正樹はじっと見つめて言う。

 「児珠?お前、明美に弁当を作らせてるみたいだな?」

 「べ、弁当?あ、あれは、明美さんが作って来てくれたもので・・・」

 「作らせてるじゃないかー?」

 「いや、作らせてるって言うか、作ってもらったんだって」

 「どう違うんだよ?」

 「だ、だから。俺が頼んで作ってもらったんじゃないってことだよ」

 「でも、明美は今日も作っているぞ?」

 「きょ、今日も?マジか?」

 「児珠が命令したんじゃないのか?」

 「め、命令って。俺にそんなことできる筈ないだろう?」

 「そりゃ、そうだな。フンッ」

 正樹は剣の切先を地面へと下げた。

 「ふう〜」

 児珠はガックリと地面に両手を付く。


 「それで?なんで俺と勝負な訳?」

 「明美は俺が守る!」

 「だ、だからなぜに小学生の君が明美さんを守るのかい?」

 「明美は可哀想な奴だからだ」

 「明美さんが可哀想?なんだよそれ?」

 「かあちゃんが明美は可哀想な奴だって言うから」

 「ど、どういうことだよ?」

 「かあちゃんが昔からそう言ってたんだ。明美は可哀想だって」

 「なあ?正樹。それって、何か理由があるのか?」

 「さあ?早くに両親と別れたからじゃないのか?」

 「は、早くっていつくらいなんだ?」

 「昔で言う嫁入り前だな」

 「おい、正樹。嫁入り前ってお前、それいつの時代だよ?」

 「さあな。昔は昔だよ」

 「お前たまに変なこと言うよな?」

 「変なのは児珠。お前だろう?」

 正樹はじっと児珠を見つめる。

 (ま、まあ。俺は、変に違いない・・・)


 過去世を憶えていること自体、この世では変なのだから。それ以上にも変なところはたくさんある。


 「で。俺が狙われる訳を聞かせてくれよ」

 「明美が児珠を選ぶなら俺とまず勝負しろ。話しはそれからだ」

 「明美さんが俺を選ぶって言うのかよ?」

 児珠は身を乗り出した。

 「まだそうは言ってないだろう?」

 (期待するじゃねえか・・・くっそ〜、正樹の奴〜)


 児珠はガクリと姿勢を戻した。

 「じゃあ、何〜?」

 「児珠が明美に相応しい男かどうか試しに来た」

 「そ、そんな理由なのかよ?」

 「そうだ。悪いか」

 「悪くはないけどさあ・・・」

 「神妙に勝負しろ!」

 「い、いやだから・・・。その言葉遣いもさあ・・・」

 児珠はポリポリと頭を掻いた。


 「んで?勝負って何するんだよ?」

 「男同士の果し合いだぞ!剣だよ、剣」

 「俺、オモチャなんて持ってねえし」

 「男のくせに剣の一本も持ってないのかよ?ダセ〜」

 「だ、ダセ〜って。普通に持ってるものなのか?それって」

 「ナイトだろ?」

 「え?俺、ナイト設定だったのかよ?」

 「剣が無いなら勝負はお預けだ。また用意しとけよな。児珠」

 「は、はあ・・・」


 正樹は、”フンッ”と言い捨てると、剣を腰に挿して去って行った。

 「なんなんだあ・・・。あいつ・・・」


 児珠はパパッと埃を払うと立ち上がった。

 「おっ!やっべ〜」

 

 児珠は教会堂の時計塔を見上げて言う。

 

 児珠は、今朝も何も食べずに商店街へと走り出した。



 *



 「ぜえ、はあ。ぜえ、はあ・・・」

 児珠はなんとか商店街まで走り切った。


 「お、おはようございます・・・」

 児珠は八百屋にたどり着くと、荷台に手をついて息を整える。


 「はあ・・・はあ・・・ぜえ・・・はあ・・・」

 「児珠さん?大丈夫ですか?」

 明美が心配そうに寄って来る。


 「ああ、だ、大丈夫・・・」

 児珠は作り笑いをして見せた。


 「坊やは今朝もご飯は無しかい?」

 店長の美柑が話しかけて来る。


 「お、おはよう。店長。俺、今朝は急いでてさ・・・」

 「食べ忘れたのかい?」

 「まあ、そんなところ・・・」

 

 ぜえ、ぜえっと児珠は息を整える。


 「おにぎり作って来たので、食べますか?」

 明美がまだ温もりの残るおにぎりを差し出した。


 児珠はそれを掴むとほのかな温もりに笑みがこぼれる。

 「まだ温かいよ。これ」

 児珠は微笑むとおにぎりを頬張った。


 「これ、店先で。ほれ」

 美柑は、お盆にお茶を淹れて運んでくれる。

 「ありがとう。店長」

 児珠は、詰まりそうだった喉をお茶で流し込んだ。

 「ぷっはあ〜。うめえ〜」

 児珠は、背伸びをすると腕をグルグルと回した。


 「うおーっ。今日も働くぞ〜」

 児珠は元気な笑顔を見せると二人に笑いかけた。


 「うふふ。児珠さん、今日も元気ですね?」

 「まあな。俺にはそれしかねえからな」

 「それだけあれば充分さ」

 美柑は笑う。


 開店時間が過ぎるとチラホラと客足が見られた。

 「へ〜い、いらっしゃいませ〜」


 商店街の中の八百屋の様子は落ち着いたものだった。


 「今度イベントがあるらしいの」

 「イベント?」

 「商店街の会長さんからお知らせが届いたのよ」

 「何をするんだよ?」

 「それぞれのお店から商品を持ち出して福引抽選会をやるそうよ」

 「ああ、よくやってるあれか?」

 「そう。あれ」

 明美はクスクスと笑う。


 「何が可笑しいんだよ?明美さん」

 「福引ってなかなか当たらないなあって」

 「そうかあ?」

 「児珠さんは?当たったことは?」

 「クジとか俺、そういうのやらないからさ」

 「そうなんですか?」

 (当たり過ぎて出来ねえ〜なんて言えないしなあ・・・)

 「ま、まあな」

 児珠は目を逸らした。


 「八百屋としても商品を出すそうなので、何がいいだろう?って店長が」

 「八百屋なら他には何も無いんじゃないのか?」

 「具体的にですよ?」

 「具体的に・・・かあ・・・?」

 児珠は店内を見回す。


 「普通に言ったらメロンとかスイカとか大きいものだろう?」

 「季節によっては、桃とか葡萄、さくらんぼもありですかね?」

 「いまって、どんな感じなんだ?」

 「いまは秋口なので、栗とかもいいですかね?」

 「栗かあ・・・」

 「じ、地味ですか?やっぱり・・・」

 「う、う〜ん・・・」

 児珠たちは腕を組み合う。




 *




 「おはようございます。マダム」

 店に天使たちがやって来た


 「おはようございます。明美さん。そして、児珠さんも」

 「おはようございます。天使さんたち」

 「お前ら俺だけ取ってつけたような挨拶だよな」


 「またそんな可愛らしいことを言って。児珠さん」

 (き、気色悪いな・・・。この色天使・・・)


 「今日はどんな様子ですか?お店の方は?」

 「ああ。落ち着いてるみたいだぞ」

 「配達は?今日は無いのですか?」

 「お前らが奇跡を起こしてばかりだから、患者も居なくなるだろうが」

 「おお〜う。それはおめでたい」

 「おめでたいのは、お前たちのそのオツムだろう・・・」

 児珠は苦笑する。


 「天使さんたちお暇なのですか?」

 「は、はっきり言うよなあ・・・」

 児珠は明美のストレートな物言いにスカッとする。


 「暇では無いのですよ。明美さん」

 天使たちは笑顔で言う。

 「暇では無くて、時間を作ってここに来ているんですよ私たちは」

 「おいおい・・・」

 児珠は力無く突っ込む。


 「せっかく来て頂いたので、天使さんたちにもお伺いしたら・・・?」

 「商品のことか?」

 「はい」

 明美は頷く。


 「なあ?天使たちさあ?八百屋って言ったら何が欲しいんだ?」

 「八百屋さんですか?」

 「そう。八百屋」

 天使たちは思い思いのポーズで悩んでみせる。


 「そうですねえ〜。やはり盛りカゴでしょうか?私たちもお手伝いしましたし」

 「同じく」

 「同じく」

 ・・・


 ”同じく”と言う答えがいくつか聞こえて来た。

 

 「まあ。無難っちゃ、無難かなあ」

 児珠は明美と目を見合わす。


 「そうなりますかねえ・・・」

 明美は頷いた。



 *



 午前の仕事が終わるとお昼になった。児珠たちは店の奥に入り、それぞれに昼食を開いた。

 「はい。児珠さん」

 明美は弁当箱を一つ児珠に差し出す。

 「な、なあ。明美さん?」

 「はい?何でしょう?児珠さん」

 「これって、俺が頼んだことになるのかな?」

 「お、お弁当のことですか?」

 「う、うん」

 児珠は”うんうん”と頷く。


 「そ、そうはならないと思いますけど・・・」

 明美は照れるように言う。


 「正樹の奴が気にしててさ」

 「えっ?正樹くんがですか?」

 「ああ。明美が異性に弁当を作るのが気に入らねえみたいだった」

 「い、異性って・・・」

 明美は顔を赤くした。

 「い、いや。べ、別にそう言う意味じゃ・・・ない・・・と」

 児珠はしどろもどろになる。


 「こ、児珠さんのい、異性になっているかどうかは、分かりませんが正樹くんが心配するようなことは無いかと・・・」

 「他意は無いってことか?」

 「は、はい・・・」

 明美は頷く。

 「た、ただのお弁当なのか?こ、これって・・・」

 「は、はい」

 

 児珠は嬉しい半面、期待していた半面もあって、泣きそうになる。


 「こ、児珠さん・・・?」


 明美は児珠の背中に手を当てた。

 (あ、あったけえ・・・)

 児珠は明美の温もりに”じんわり”と癒される。


 (お、俺。明美のそばに居られるだけでいいな・・・)


 児珠は元気をもらうと明るくなって明美に振り向く。

 「いつも弁当、ありがとうな。俺、すっげえ嬉しい」

 明美は児珠の笑顔にドキリっとする。

 (こ、児珠さん・・・?)


 児珠は明美の瞳を見つめた。

 明美も児珠の瞳に吸い込まれるように目を離せなくなる。

 二人は無言のまま唇が触れそうになった。


 「宅急便で〜す。ハンコもらえますか〜?」


 店の奥に向かってかけられた声が二人の間をすり抜ける。

 児珠と明美はビックリして目を見合わせた。

 「クスクスクス」

 「フフフ」


 二人は可笑しくなって笑い声を上げて笑い合った。

 「ぶはははは」

 「うふふ」


 二人は笑い合うとお互いに距離が縮まったように感じた。


 「明美って呼んでもいいか?」

 「はい。児珠さんも児珠さんで良いですか?」

 「好きに呼んでいいぞ」

 「はい」

 明美はコクリと頷いた。


 


 *




 午後の店番ものんびりと進んだ。

 今日はどの店も商店街の中は落ち着いているようだった。


 「こんなんで大丈夫なのか?この商店街は・・・」

 児珠が言う。

 「坊やは、そんなことまで心配してくれるのかい?」

 「だって、俺の唯一の収入源だし。いまのところ・・・」

 「そんなことかい?フフフ」

 美柑は笑う。


 「笑い事じゃあないっすよ。店長〜」

 児珠は大袈裟にアピールする。


 「それじゃあ、坊やにはご褒美をあげようかしらね」

 「なんだよ店長。ご褒美って?」

 「バイト代を日払いにしようかと思ってね」

 「日払い?そんなこと出来るのか?」

 「そりゃあ、できるさ。店長だからね」

 美柑はウィンクをして見せる。

 「おお〜。俺、すごい助かるかも」

 児珠は、まだ見ぬ給料に目を輝かせる。

 「お駄賃程度だけど日当ならその日のご飯も買えるでしょう?足りない差額は月末にまとめて払うことにして。とりあえずの日当をね。坊やの生活費にね」

 「ああ。すっげえ助かるよ」

 児珠は飛び上がって喜ぶ。

 「じゃあ、まずは、店長にプレゼントするからな」

 「私に?」

 「初めて給料をもらったらそうするって決めてたんだ。何が良い?」

 「何が良いって?ホホホ。気持ちだけで嬉しいよ」

 美柑は笑う。

 「気持ちだけってのも良いけどさ。分かった。じゃあ、俺、また明美と相談するわ」

 「おんやあ〜?明美って、坊やたち。もうそんなに仲良くなったのかい?」

 「えっ?ああ、そうだな」

 児珠は照れるように言う。

 「ホホホ。若い者は良いわねえ〜」

 



 *



 

 閉店よりも少し早く明美は先に帰ることになった。

 児珠は明美を捕まえて言う。

 「女って何もらうと喜ぶんだ?」

 「えっ?じょ、女性ですか?」

 「そうだ。年配の女性」

 「ね、年配って。年上ですか?」

 「そう。うんと年上だ」

 明美は、児珠から女性の話を聞いてショックを受ける。

 (こ、児珠さん・・・)


 明美は、答えられずに振り切って帰ろうとする。

 「お、おい?明美〜?」


 振り返らずに帰ってしまう明美の様子に児珠は呆気に取られる。

 (えっ?どうしたんだよ・・・?あいつ・・・)


 児珠は訳が分からないという顔をする。


 「相変わらずですね。お兄様?」

 夕暮れの闇に紛れてマーラが店先に顔を出した。


 「お兄様ってやめろって。今世では明美と俺は夫婦になるんだぜ?」

 「先ほどのご様子では、なかなか難しそうかと・・・」

 マーラは笑う。

 「ククククク」

 「何が可笑しいんだよ?」

 「相変わらず人の心に疎い方だと」

 「な、なんだよ。じゃあ、お前たちは聡いとでも言うのかよ?」

 「さあねえ〜?誘惑に乗せる程度には巧みかと」

 「お前らなあ〜。それ自慢になんねえからな」

 児珠は語気を強めて言う。


 「女性に女性への贈り物を伺うと言うのは失礼ではありませんか?目の前の女性に対して。しかも異性として意識した相手に対しては」

 「そ、そうなのか?」

 「悪魔でさえ為さない愚行ですね」

 「そ、そうなのか?」

 児珠は泣きそうになって聞き返す。

 「フフフ。良いでしょう。恋はこうでなくては」

 「な、なんか、お前たちがそう言うと、と、トラブルの匂いが・・・プンプン」

 「ご自分で蒔かれた種ですから。楽しんでご収穫くださいね。ククククク」

 マーラは楽しそうに笑うと夜の闇へと消えた。


 閉店時刻を過ぎて、商店街の外も、もう真っ暗だった。

 児珠は片付けを終えると美柑に挨拶に行った。

 「店長〜。終わったから俺、帰るよ〜」

 「は〜い。ちょっと待ちなさいね〜。坊や〜」

 美柑は茶封筒を持って店の奥から出て来た。


 「はい。これ。今日の日当ね」

 「うわお!早速、今日からもうくれるのか?」

 「善は急げって言うだろう?」

 「マジか?超ありがてえ〜」

 「大事に使いなさいね」

 「おお。サンキューな店長。楽しみにしててくれよ?」

 「はいはい。気をつけて帰りなさい」


 児珠は茶封筒を大事にしまった。




 *




 教会堂に戻ると早速、礼拝堂に入り祭壇に茶封筒を載せた。

 (まずは、神に捧げるぜ〜)


 児珠は礼拝堂の床に片膝をついて祭壇に向かって頭を下げると祈りを始めた。

 (お〜い。じいさ〜ん)


 「何じゃい。児珠。呼んだかえ?」

 「おお。悪いなじいさん。いつも急で」

 「何か良いことがあった。そういう顔じゃのう?」

 「給料をもらったんだよ。初だぜ?」

 「おお。それはめでたいのう〜」

 「まずはじいさんにってな」

 「フォッフォッフォッ。愛い奴じゃの、そなた」

 「よせやい、じいさん」 

 「して?いくらよこすんじゃい?ワシには」

 「1割だな」

 「1割とな?良い良い。受けて使わそうぞ」

 神はそう言うと茶封筒から1割だけを受け取った。

 「後々、収穫の時が来るであろう」


 神はそう言うと天へと昇った。


 児珠は神を天に見送ると、姿勢を戻して祭壇の残りを手にした。

 (店長には何がいいかなあ・・・。明美と正樹にも何か良いものを・・・)


 児珠は夜空を見上げる。

 (そういやマーラにも何か礼をしてやるかなあ・・・)


 何も持って居なかった時でさえ与えてくれた者たちを思い返しては、児珠は何かを返せそうな現在の自分に喜んだ。

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