第5話 蛇
○蛇
「おい!マーラ。居るんだろう?出て来いよ」
前世占いの館”マーラー館”に到着した児珠は、挨拶よろしく入り口のドアを蹴り上げた。
「アイッテテテ・・・」
”ふう〜ふう〜”と俺はつま先に息を吹きかける。
「乱暴はおよし下さいよ。不肖の若君。それとも今世の名、”児珠くん”とお呼びした方が?」
「うるせえぞ、マーラ」
「悪に悪態を吐くなんて。ホホホ。笑わせてくれますねえ〜」
「何だよ、前世は蛙って!」
「おや?気に入りませんでしたか?兄君は?妹君がおいでになったのでありのままにお話ししたつもりでしたが?」
「この野郎〜」
「まあまあ、そうカッカせずに兄君。それとも、正しくは、”蛙たちだけが話し相手、友達だった”とでも告げた方が良かったですか?」
「そうなったのは、お前たちの所為だろうが!」
「まあ、なんと人聞きのお悪い」
「なんだとおーっ怒!」
「私はただ、”沢で子どもたちが呼んでいます”。そう、あなた方の父君に申し上げたまで」
「他国を唆したことは認めないのかよっ?」
「フフフ」
「何が可笑しい?」
「あの戦は、われわれ悪魔とその軍勢が仕掛けたとでも言いたそうですねえ〜」
「違わねえだろうが!」
「違いますよ〜。ぜ〜んぜんっ。事実と異なりますねえ〜」
「な、なんだとーっ」
「決めたのは、いつだって、人間。我々に出来る筈も無い」
「なにいっ!」
「人間には自由意志が神の御名の基に認められている。それはあなたがよくご存知でしょう?」
「それを唆す奴らがお前だろうが!」
「ノンノンノン。ナンセンスですね〜」
「騙された方が悪いって言うのかよ?」
「まあ、普通はそうでしょうねえ〜」
ククク・・・
マーラは笑いながら暗闇へと姿を消した。
「おいっ!待てって!」
(マーラの奴・・・)
追っても、もう無駄だ・・・。
それが分かりすぎる俺は、館を後にする。
*
俺は沢を目指した。
「おい、児珠。どうした〜?シケたツラするなよ〜」
ケラケラケラケラ
沢に棲む精霊たちが一斉に笑う。
「俺、いま傷心なんっすけど・・・」
俺はガクリっと肩を落とした。
「なんだよ〜。またあの時のことを考えてるのかあ〜?」
「ああっ?ああ、そうだよ・・・」
「お前の父ちゃん、ここで海に流された。そうだろう?」
「ああ、そうだ・・・」
「ここから海までだいぶあったぞお〜」
「ああ、そうだな」
「でも、道があった」
「そうだ、その時、その道を開けたんだ。俺が・・・」
児珠は、過去世の記憶を振り返った。
*
俺は、夜の闇を司る一族に生まれて居た。その一族に生まれたものの誰かが、昼も夜も洞窟に篭り、長刀に宿る力を増幅させる役目を負って居た。
俺には、許嫁の女が居た。それが現世の明美だ。明美は、俺の許嫁だった。だが、そのことを他の誰にも悟らせないために、明美は、妹として俺のそばに置かれた。
俺には一人の優秀な兄が居た。これが父の跡を継ぎ、民を守る役目を為す筈だった。
それなのに、あの日は、”沢で子どもたちが呼んでいます”という進言があって、兄も父も沢に登ったんだ。
あの沢は海につながる道を持っていて、その存在は、知られて居ない筈だった。
それなのに、あの日、俺は開ける筈の無いその道を開けて、海と沢とをつないだ。
そこにまさかの強軍が押し入り、瞬く間に俺たちの一族は地上から消し去られた。
俺は、急いで、洞窟を閉じた。洞窟が海への道への軛だった。長刀の力がそれを動かす。
俺は、父と兄の居る前でそれを開いて見せたかったんだ。俺が長刀を守る役割をしっかりと務めていることを見て欲しくて。俺は、父と兄に愛して欲しかった・・・。
俺は愚かだった。まさかそれこそがマーラたちの狙いだったなんて。
兄と父を失った俺は、強軍の長と向き合った。
「国を差し出せ」
長が言った。
俺は、差し出す代わりに、民の自由と妹を逃すことを条件にした。
「ふん。いいだろう」
長は条件を飲んだ筈だった。
それなのに、次に生まれ変わった俺は、その後の史実を聞かされて愕然とした。
許嫁は長刀を守る役目につかされ、民は自由どころか強国の奴隷にされて居た。そして、あの沢の進言をしたのは、マーラとその軍勢たちだったことを知ったのだから。
あの日、”沢で子どもたちが呼んでいます”と言ったその意味は、人の善い兄と父を誘き出すための戯言だった。兄と父は、子どもたちが流されたのでは無いかと心配して見に来たのだった。
それなのに、俺は。
朝も昼も夜も、誰とも会うことも無く、ただ、洞窟で生き続ける役目に耐え切れなくて、兄と父に会いたくて洞窟を開いたんだ。長刀の力を使って。
俺は洞窟でいつでも一人だった。友達は洞窟に住まう蛙だけ。蛙とオタマジャクシ。そして、それを狙う蛇。
蛇はマーラの使いだった。長刀の力を監視するため。道を開くに相応しくなるだけ力を貯めるその時を見張って居たのだ。
マーラの狙いはいつだって破壊と混乱。人の世の争い、戦、戦争。
どの時代においてもそれらが人の世から消え失せないのは、マーラとその軍勢が世に蔓延るから。それを奴らは、誘惑とは言わずに従う人間が悪いのだと。
俺はそれを知った時、もう二度と明美を悲しませたく無いと誓った・・・。
*
「長刀を守る役目を負った明美は、俺と同じように洞窟で一人ぼっちで・・・。長生き出来ずに死んじまった・・・」
「誰に話しているんですか?児珠さん?」
「お〜いっ。ビックリさせんなよ」
「いつになってもお戻りにならないので、探しましたよ」
「探すなよ、俺のことなんか」
「探しますよ。児珠さん。あなたのことも放っておけないですから、私たち天使は」
天使はニッコリと微笑む。
「なあ、あの時、明美が長刀を抱えて転げ落ちた時、助けたのはお前たちか?」
「いえ、そうとは限りませんよ。児珠さん」
「どう言うことだよ?」
「あなたが守り続けて居た長刀ですよ。長刀に力が増幅するように、あなたはあなたのすべてを授けた。その想いも血肉も情熱も」
「俺の想いが守ったとでも言うのかよ?」
「御名答です」
「ふんっ。慰めなんて要るかよ」
「ご謙遜なさらずに」
「あの頃の俺はまだ、神仏どころか精霊、生き物、お前ら天使とだってほとんど意思疎通も出来なかったんだぜ」
「未熟だったと仰りたいと?」
「ああ。そうだ。未熟で愚か者だった」
「それがいま、こうして立派に戻られた」
「俺のいまどこが立派だって言うんだよ」
「愚かだと後悔なさるところです」
天使は、”うんうん”と頷く。
「馬鹿野郎・・・」
「帰りませんか?それともまだここで?」
「なあ、天使・・・」
「なんでしょう?児珠さん」
「明美は、俺が生まれ変わった中でたった一人、許嫁られて結ばれなかった女なんだ」
「そうなってしまいましたね・・・」
「俺は、今世では、絶対に明美を一人にはしたく無いんだ」
「おお!明美さんを手籠に?」
「違うだろう、この色天使!」
「では、どうしたいと?」
「明美が幸せになるように全力でサポートする。いいな?」
「ご自分でなさればいいのに・・・」
「どの面下げて俺に出来るんだよ」
「ご自分の身代わりに長刀の守りに就かせてしまったとでもお思いですか?」
「あの役目は、女の体には辛すぎる。男の俺でさえ耐えられるのは、やっとだ。明美が早死にしたのは、どう考えたってその所為だろう?」
「洞窟で一人、長生きさせたかったですか?」
「俺は逃し切れてやれなかった。それさえ、出来れば、あいつはあんな死に方もしなくて済んだんだ・・・」
児珠は悔しくて涙ぐむ。
「もう終わったことですよ。児珠さん」
「俺の中では終わって居ないんだぜ」
「では、どうすれば終わらせることが?」
「明美の幸せさ」
「明美さんの幸せ?」
「そうだ。あいつが今世で幸せになれば俺は、過去の俺を許すことができるかもしれない・・・」
「ほほう。それは善い傾向です」
天使は、早速、上へと報告に上がった。
*
児珠は、トボトボと川沿いを下った。空には月が登って居た。
(あの頃、俺は、ツキヨミの神子って呼ばれて居たんだよなあ・・・。明美は、その後、ツキヨミの巫女になった・・・。長刀は月の力を溜める・・・。だから、海を導ける。それで、俺は・・・)
「ああ〜っ!ダメだダメだ。考えても過去は変わんねえだ」
教会堂に帰ると、俺は礼拝堂に入った。
「お〜い、神様〜」
「また児珠か?今日は何じゃ?」
「別に何も。今日もありがとうな神様」
「なんじゃ?頭でも可笑しくなったのか?」
「俺がたまに殊勝だと、そうなるのかよ?」
「フォッフォッフォッ。不肖の子が出来が良いと調子が狂うぞい」
「悪かったなあ〜、不出来で」
「マーラに何か言われたのかの?」
「別に」
「自由意志。また言われたか?」
「俺にはその言葉は重すぎた」
「自由がとんでもない愚行になったか?」
「ああ」
「それが分かれば大したものだ」
「いまそれが分かってもなあ〜。明美の時間は取り返せねえ」
「いまからで善いでは無いか?」
「いまからか?」
「今世は自由恋愛じゃろが?」
「自由恋愛・・・」
「そうじゃ、自由な恋愛じゃ」
フォッフォッフォッ
(じいさん、いい機嫌だなあ・・・)
「分かったよ。じいさん。俺、まずは明美の恋愛をサポートする。それでいいだろう?」
「う〜ん、どうだかのう・・・」
「自由なら俺もまずは恋愛をしてみないとな?」
「な、なんじゃと!?」
「明美をサポートしつつ俺も恋愛を楽しむ。そう言うこと」
「明美を幸せにするんじゃないのか?」
「明美は、明美の自由恋愛。そうだろう?」
「ま、まあ、そうじゃな」
「だろう?あいつの幸せを見守りながら、俺も幸せになる。これだ!」
「まあ、好きにするが善い。フォッフォッフォッ」
「ありがとな、じいさん。感謝してるぜ」
*
「今夜も月が出てるなあ・・・」
「月を見上げてどうかしましたか?」
「お前たちまたここで休憩かよ?」
「児珠さんを一人にしないのも私たちの役目です」
「もしかして、蛙もそうだったのか?」
「ケロケロ、ケロケロ」
天使は蛙とそっくりな声を聞かせる。
(ま、マジかよ・・・)
「俺、ずっと守られてたんだなあ・・・」
「気づいてもらえて光栄です」
「そう言うこと、ちゃんと気づけたら良かったなあ〜」
「いまからでも良いですよ〜」
「気色悪いこと言うなよ。色天使」
「ケロケロ、ケロケロ、ケロケロ・・・」
*
「お〜い、明美〜。外で蛙が鳴いてるぞ〜」
「も〜お〜。まさくん。揶揄わないでよ」
「だあって、面白いんだもん」
「こおらあ〜、正樹!」
「痛えよ、かあちゃん」
「待ちなさ〜い」
ケロケロ、ケロケロ・・・
ガサッガサガサッ
ケッケロ、ケッケケッケエーーーッ!
(フフフ。楽しみですねえ〜。児珠くん・・・)
マーラは蛇の姿になって、明美の庭でカエルを飲み込んだ。
カエルは蛇に飲み込まれた後だった。
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