#3 華奢で小さな
『ひとりで悩まないで!
いのちの電話
0**-***-***』
涙を流す顔が描かれたその薄汚れた看板を尻目に俺は眼下を見下ろした。断崖絶壁の遥か彼方では青と白が断続的に霧散している。繰り返される激しい水音はやけに心地良く、俺はしばらくその音に聞き入っていた。
ざざん、ざん、ざざん、ざん。
そして考える。が、この場所に来た時から結論は出ていた。
「此処じゃ駄目だ」
まるでよくある二時間サスペンスみたいな場所では駄目なのだ。彼女――雛籠ともりが心置きなく死ねる場所は文字通り完璧でなければならない。天候、立地、気温、湿度、時間帯、雰囲気及びシチュエーション。
そして死因。
溺死死体は見るに堪えない――そんな話はよく耳にする。あの完璧な彼女が見るに堪えない、とは想像出来ないが恐らく死体になっても完璧なのだろう。と考えてから苦笑する。完璧な死体ってなんだよ。
俺は回れ右して雑草を踏み荒らしながら舗装された道に戻るとスマホを取り出して時刻を確認しふっ、と顔を上げる。
空と海の境界を曖昧に切り取る水平線が太陽光を反射して輝きながら真っ白な雲を透過する、その景色に目を奪われてしまっていた。そして自然と雛籠ともりの姿を景色と重ね合わせていた。一面の青を背に笑う彼女の姿が瞬きのコンマ数フレームに焼き付き離れなくなった。
*
とある日の放課後、雛籠ともりとの出会い頭に俺は謝罪した。あの日以来、彼女と会うことは無く謝る機会をずっと逃していたから。彼女は数秒考えてから手を打って笑った。
「気にして無いよ。体調は大丈夫だった?」
「あぁ。おかげさまで」
「そう。良かった」
彼女が満面の笑みを浮かべる。それだけで何故か充足感を味わった。俺が何かしてあげたわけでも無いのに。むしろ彼女の好意を無下にしたと言うのに。何故こんなにも満ち足りた気持ちになるのだろう。
そして、あの不快感。
完璧である彼女がこの世界を責め立てるあの不快感は今日は無かった。彼女の一言一句一挙手一投足が上手く世界に噛み合っている気がして少しだけ嬉しかった。
「――ところで『約束』なんだけど」
そんな思いも束の間、世界が音を立てて湾曲する。耳鳴りにも似たそのノイズは視界を明滅させ思考をショートさせる。
「私は何処で死ねばいいの?」
駄目だ。
歪んだ視界の中でも雛籠ともりは形を保ちながら、俺への問い掛けを止めなかった。
駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。
「駄目なんだ!」
ぴしっ。
世界が出来損ないの秩序を取り戻し、視界の明滅は次第に消えていった。気付けば俺は雛籠ともりの華奢で小さな両肩に手を置いていて、慌てて手を引っ込めた。
「ごめん」
「……君も止めるの?」
彼女は寂しそうにそう言うだけだった。
「そうだよね。普通止めるよね。誰かが『死にたい』って言ったら止める。私だってそうなんだから」
「……」
俺だってそうだ。仮に目の前で自殺を図ろうとする人間がいるのなら絶対に止めようとする。それが見知った人間でも見知らぬ人間でも。それが普通だ。何故なら生命が尊いものだと知っているから。だからこそ俺はあの時屋上で彼女を止めたし、今でも彼女には死んで欲しくない。
しかし、次は止められるのだろうか。恐らく彼女の中では既に覚悟が決まっているはずで死のうと思えばいつでも死ねるはずだ。こんな下らない口から出任せの『約束』なんかに固執せずに今すぐにでも屋上に駆け上がり身を投げることだって出来るはず――。
――『約束』?
そこで俺の脳は1102
Q.何故雛籠ともりは死にたい?
A.生きる意味が分からないから。
Q.何故雛籠ともりは死なない?
A.『約束』に固執しているから。
Q.ならば雛籠ともりを死なせない為には?
A.|
脳裏に焼き付いた彼女の笑顔が浮かぶ。青と白に輝くあの風景の中でも彼女の笑顔は眩しかった。彼女をコラージュしてしまったのはつまり、俺が、俺自身がそう願ったからに他ならない。あの感動を、あの時間を、あの風景を、共有したかったから。
「……ごめん。ただ今は駄目なんだ」
だから、そんな悲しそうな顔をするな。
ずっとそのまま完璧で居てくれ。
「夏休みになったら、一緒に探そう」
君の死に場所を。
君の死に場所 やしぬぎ もか @lattemocha
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