18 降り立った最高神は、彼女へ愛の言葉を放つ

「抱き上げて窓から飛び出すのは、どうかと思うんだけど」


 シェリーの呆れたようなそれに、


「空中での動きに不慣れだろう。これが最良と判断した」


 昼に近い青空の中、ユルロは光のような速さで、上空を飛んでいく。

 ユルロの力によって二人の周りは保護されており、ユルロも、そして当たり前にシェリーも、風や空気の薄さなどの影響を受けない。


「もっと力が回復していれば、その場に移動出来たのだがな。……兄にもう少し、分けてもらえば良かった」

「……そのお兄さんに力を分けてもらって、呪いが解けたの?」

「違う。それとこれとは話が別だ」

「じゃあなんなの? 今朝、急に言われて、本当に頭でも打ったのかと思ったんだけど」

「失礼な」


 ユルロはシェリーをしっかりと抱き、難しい顔をして、


「シェリーのことを大切に思うし、それが愛ゆえだというのは確定している。だが、どのような愛か、自分でもまだ判別が出来ていない」

「なにそれ」

「知るか。こういう想いを抱いたのは初めてなんだ。手探り状態で何が悪い。……そろそろだぞ。気を引き締めろ」

「それは分かるわ」


 二人の向かう先には、空に浮かぶ悪魔やその眷属たちが粒のように小さく、そしてそれが重なり合い、黒く大きな雲のように見えていた。


「──もう届くわ」


 シェリーの落ち着いた声に、


「分かった」


 ユルロはシェリーを、片腕で抱き上げ直す。

 シェリーは剣を抜き、こちらの様子を窺っていた悪魔たちへ、一薙ぎ。

 雲が崩れる。

 こちらに向かってくる眷属たちを薙ぎ払い、悪魔を消滅させていく。

 三百、五百、千、二千。


「キリがないわね……」


 舌打ちをしたシェリーに、


「だがやはり、こちら以外に攻撃を向けないな」


 ユルロも悪魔たちを、大きく削り取るように消滅させながら言う。


「そういう指示が出ているんだろう。お前が屋敷に着くまでは、被害は出ない筈だ」

「その屋敷も、もう見えてるけど?」


 押し寄せてくる黒い波をかき分けるように進むシェリーの視線の先に、約八年振りに見るアルルド邸があった。


「だが、あそこに悪魔の気配は無いな。気配を隠している様子もない。最上位の悪魔が現れるまで、手出しはされない筈だ」

「そう願うわ」


 悪魔たちを薙ぎ払いながら、アルルド邸へ向かう。屋敷の周りにはアルルドの騎士たちや、近くの神殿からの派遣だろう神官たちが、屋敷を囲むように守りを固めていた。


「……あの神官たちも、会議での神官たちも、誰も彼も、お前ほどの力を持っていない様子なのはなぜだ? 神官としては上位の存在なのだろう?」

「本来、神官は神に教えを乞うて、人を救う人たちよ。悪魔だって、最上位のモノなんて千年近く現れなかった。そこまで鍛える必要がなかったのよ」

「……そうか」


 ユルロは呟きながら、アルルド邸の正門へ降り立ち、シェリーを下ろす。

 最初、上空のシェリーたちを見て慌てて臨戦態勢へ移ろうとした騎士たちは、悪魔や眷属たちを薙ぎ払うそれを見て、状況をある程度理解したようだった。彼らは守りを固め直し、また、悪魔たちへの警戒態勢を取る。

 そして、降り立った二人の前へ、鎧を纏った壮年の男性が一人、出てきた。


「お久しぶりです、シェリー様。援軍、という理解で、合っていますか」

「久しぶり、イアン」


 まだ、そう呼んでくれるのか。

 騎士団長のイアン・ブロウを見上げながら、シェリーは騎士の顔になり、続ける。


「その通りに援軍です。今すぐ情報共有を行いたいので、アルルド伯爵への目通りを願います」

「了解しました」


 ◆


 対悪魔用の武装をした使用人たちが、屋敷内を慌ただしく駆け回る。その中を、シェリーとユルロはイアンに先導されながら、言えるだけ情報を伝え、


「最上位の悪魔はまだ、穴から出てきていない。様子を探っているように思える」


 ユルロがそう言ったところで、伯爵が居るという、応接間へ通された。


「シェリー……」


 そこにいて、か細く言葉を発したのは、死にそうな顔の、キャロライン。


「炎の大隊からの援軍、シェリー・アルルドです。絶対に守ります。あなた方には傷一つつけさせない」


 シェリーは力強く言う。

 シェリーたちは前もって、家族を一部屋に集めるよう伝えていた。応接間に集められた家族は、母であるキャロライン、現アルルド伯爵で兄であるリアム、伯爵夫人であるクラリッサ。


(全員いるわね)


 シェリーは、心の中で胸をなで下ろし、立ち上がったリアムへ顔を向けた。


「詳しい説明を願おう。……シェリー」


 リアムの、平静を保とうとしていた顔が僅かに歪んだのを見ながら、シェリーは口を開いた。


 ◆


「──ですから、あなた方を守り抜けば、我々の勝利です。被害も最小限になるでしょう。安心して下さい」


 ユルロの補足説明も加えられながらのシェリーの状況説明に、周りは、動揺するというより、呆気に取られた様子だった。


「呪いが、解けたの?」


 キャロラインが呟くように言い、


「解けました。紋様も消えています」


 シェリーはそれに、淡々と答える。

 クラリッサは目を丸くしていて、臨月に近いお腹に両手を当てていた。


「その、ヨルウアルカ様が、お相手なのですよね?」


 侍女長の、お相手、という言葉に、シェリーはどう答えるか一瞬迷い、


「俺はシェリーを愛している。そこに間違いはない」


 先にユルロに、淀みなく答えられてしまい、シェリーはため息を吐きかけ、飲み込んだ。


「……この状況と、呪いについては、分かった。……呪いについて、あとで話をしたい。シェリー、良いだろうか」


 難しい顔で言うリアムに、シェリーは「はい」と答える。


「それで、これからの詳細な動きについてですが、」

「シェリー、待った。すまない。悪魔とも呪いとも全くの別件だが、一つ、伝えたい」


 ユルロの苦々しい声に、そちらを見れば、声同様、苦々しい顔をしていた。


「兄が、こちらに来た。ユーケン大隊長と接触──口説いている」

「は?」


 シェリーは呆けた声を出してしまい、周りはまた、呆気に取られる。


「すまない……俺の不用意な発言のせいだろう……強引なことはしていないようだから、まだ、ユーケン大隊長は安全だ」


 ユルロは顔をしかめ、額に手を当て、呻くように言う。


「……不用意な発言って、……好まれそうだ、とか言ってた、あのこと?」

「ああ。ユーケン大隊長はそれに、光栄だと答えただろう? ……あのバカ兄……」


 ユルロは低く言うと、王都へ顔を向け、


「兄さん。分かっているだろうが、あとでペナルティだ。それと、その人の仕事の邪魔をするな。迷惑をかけるな」


 ユルロはシェリーへ顔を向け直し、


「伝えた。悪い。無駄に状況を混乱させた。だが、釘を差したから、変な真似はしない筈だ」

「……そう。なら、話を戻していい?」

「ああ」


 ユルロは頷き、室内を見回す。


「魔界穴から悪魔が出てこなくなって、一時間経った。最上位の悪魔は、穴の付近で留まっている。が、力を強めている。……恐らくだが、自身の存在を周りの人間に知らしめ、恐怖させてから、こちらに向かってくるだろう」

「具体的な時間や行動の予測は立てられないか?」


 気を引き締め直したリアムの問いかけに、


「今のままでは難しい。先ほども言ったが、俺──神は、悪魔の気配を正確に把握できるが、悪魔は逆に、神のそれに鈍い。俺がここに居ることも、まだ気付いていない可能性が高い。だが、」


 ユルロは少し言い淀み、


「……上手くいけば、ある程度なら、誘導することは出来る。簡単に言えば、挑発だ」

「どうやるの? 周りに危険は?」


 シェリーが厳しい声を飛ばす。


「周りに危険はない。……が、シェリーには少々、危ない橋を渡ってもらうことになるかも知れない」


 シェリーは、深い青に陰りを見せるユルロの正面に立ち、


「構わない。内容を言って」


 明るい緑の、その強い眼差しに、ユルロは一度口を引き結び、


「……俺と一緒に、最上位の悪魔のもとへ、行ってもらいたい。目の前とは言わなくとも、近くまで行けば、流石にあちらも、俺たちに気付く。そのまま戦闘が始まるか、悪魔がここに向かうか。……今までの悪魔たちの動きから予測するなら、後者になる可能性が高い」

「ここが危険に晒されるじゃない」

「それは大丈夫だ。今の俺なら、領地を囲めるくらいの聖域を創れる。というよりもう、創ってある。薄くだが」


 聖域。ゲアドル湖と同じ、悪魔が立ち入れない場所ということだろう。


「創ってくれたのは有り難いけど、なんで薄くなの?」


 シェリーの強い口調に、ユルロは少し俯いて、


「……充分に護れる程度ではある。だが、これ以上強化すると、悪魔たちに感づかれる可能性が高いと判断した。……感づかれたら、最上位の悪魔は方針を変え、周囲への攻撃を始めるかも知れないと、思ったんだ。そしたら、悪魔たちの行動が、読みづらくなるから……」


 項垂れるように言うユルロの、そんな姿を初めて見たシェリーは、内心驚いた。


「……分かったわ。配慮してくれたのね。ありがとう」


 シェリーの言葉に、ユルロが顔を上げる。


「悪魔が寄れないくらいの、充分に護れる聖域なのね? なら、即、行動に移しましょう」


 強い眼差しの中に、こちらを労る温かさを見て、


「……分かった。お前のことは俺が守る」


 ユルロは頷き、そう言った。



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