16 少女にかかった呪いは解けた
「……もう一回言ってくれる?」
額に手を当てて、呻くように言うシェリーに、
「呪いは完全に消えた。だから家族と縁を切らなくていい。紋様も消えている筈だ。確認するならしてくれ」
ユルロはそう言った。
「いえ、そこじゃなくて。……そこも重要だけど……その前よ」
「俺はシェリーを愛することに成功した。呪いの気配は全く無い」
浮かびながら、真剣に言うユルロに、
「起き抜けに……」
シェリーは低く言い、頭を振り、
「なら、紋様の確認するから」
シャツのボタンに手をかける。
「ああ。そのほうが安心できるだろう」
ユルロは言って、顔を背けた。
「こんな時でも誠実ね」
シェリーは呆れながらボタンを外し、胸元を確かめて。
「…………」
その胸がまっさらで、禍々しい紋様など、その痕跡すら見つけられず、それが信じられなくて、紋様があった場所に手を当て、撫で、つねり、叩き。
「その音は何をしてるんだ?」
ユルロの声に我に返って、
「……いえ、本当に消えてるのね……」
シェリーは言って、ボタンを留めていく。
「それなら良かった。今のうちに早く手紙を書いて出せ。呪いは消えたから縁を切る必要はないと」
「……そう、なればいいけど……」
「なんの問題がある? 憂いは晴れただろう?」
沈んだ声のシェリーに、ユルロが咎めるように言う。
「あなたが言ったことだし、紋様も消えてるし。呪いが解けたのは本当だって信じるわ。けど、今それを知ってるのは、私たちだけ」
「神殿やらで調べる必要が?」
「それもあるわ。……それに、……家族は、私をどう見るかしらね。『呪われている人間』と『呪われていた人間』。本人からしたら全然違うけど、周りからしたら、似たようなモノに見えるんじゃないかしら」
「……シェリー。支度は終えたか」
「ええ。こっち向いて大丈夫よ」
ユルロが顔を向ければ、シェリーは上着も着て、髪も結い終えていて、ベッドに座っていた。
「……一つ、可能性の高い仮定を言う」
ユルロはシェリーの目の前に降り、跪き、
「お前の兄も、母も、シェリーを愛していた記憶は失くしていない。だから、取り戻すことに、思い出させることに、そう、苦労はかからない筈だ」
目を瞬かせるシェリーに、
「それに、義姉とも、面識があるのだろう? 呪われる以前に」
「ええ、まあ」
「その説明の際、悪感情は読み取れなかった。義妹としての絆を作るのも、それほど難しくないように思える。お前はもう、呪われていないのだから」
「……そう……」
シェリーは、深い青の瞳を見つめ返し、
「なら、前向きに考えてみるわ」
泣きそうな笑みを作った。
「ああ、そうしろ。まず一刻も早く手紙を、……」
ユルロは立ち上がり、険しい顔を窓でもドアでもないほうへ向けた。
「シェリー。遠いが、悪魔の気配だ」
硬い声で言う。
「え? ……それ、向いてるほうに居るってこと?」
「居るというより、移動している。……それなりの数だな」
「どこからどこに向かってるか分かる? 方角だけでも。報告しにいかなくちゃ」
ベッドから立ち上がったシェリーは、剣を腰に佩き、言う。
「方角……南の、国境付近にある、魔界に通じる穴から、出て来ているな。そしてそのまま南西方面に向かっている」
「南の穴から、南西?」
シェリーはそれに、嫌な予感を覚えた。
「ああ。……何かある──アルルド領か?」
「……ええ。……他の領もだけど。そもそも、魔界へ通じる穴には、神官たちが蓋をしている筈だけど……」
シェリーは一度、目を瞑り、
「今はまず、報告ね。ユルロ、ブローチ」
「ああ」
差し出された手に水色のブローチが乗り、シェリーはそれを素早く付け、炎の塔へと向かった。
◆
シェリーは緊急事態を周りに伝えながら、大隊長室に向かった。リアナは仮眠室に居るとのことだったが、チェスターと数名が居り、緊急連絡として、悪魔が南の穴から出現していることを報告する。
「神のお告げによる確かな情報です」
『神のお告げ』は、こういう場合、密書などを指す。だが、本当に神からの言葉なのだから、今それに構っている暇はないと、シェリーはそう言った。
「数は……少なくとも五百。神殿と近辺の領に連絡して、迎撃体制を。……あと、出現中の悪魔の半分は、どれも中位以上です」
ブローチになったユルロの小声を拾い、情報を足していく。
そこに、リアナを起こしに行かせていた隊員と、リアナが到着した。
シェリーは、話しながら書いていたメモをリアナに渡す。シェリーの説明を聞きながらそれを読んだリアナは、
「なるほど。相当な緊急事態だ」
一つ、頷くと、
「──これより緊急体制を取る! 最優先事項は国民の救命だ! 他の隊とも連携し、対処に当たる!」
そして指示を飛ばし始める。
シェリーはそのまま『神のお告げ』の報告を。チェスターと二名は、三つの大隊へ連絡を。残りの隊員は神殿と各領地へ報告と確認を取り、大隊全体に招集をかける、と。
「シェリー。一体、真っ直ぐこちらへ向かってくる。気配からして、上位の悪魔だ」
ユルロのそれに、シェリーは驚きながらも顔には出さず、報告する。
「あえて、姿や気配を隠さずに向かっています。自分の存在を知らしめるために」
報告しているうちに、シェリーにも分かるほど、魔の気配を撒き散らしながら、悪魔が一体、ユルロの言う通り一直線に、こちらへ向かってきているのが分かった。
「もう近くまで来ています。あと五十キロメートルほどです。……この速度だと、十分もかからず、ここに来ます。私が対処して良いでしょうか?」
「それほどの悪魔か」
リアナの言葉に、
「以前に倒した悪魔よりは弱いです。ですが、油断は出来ません。惨劇が繰り返される前に、どうか」
「分かった。死ぬな、シェリー」
「ありがとうございます」
シェリーは敬礼をして、塔の物見台まで登り、こちらに向かってくる悪魔を見据える。
「……」
豆粒ほどにしか見えない悪魔が、こちらを見てニヤリと嘲笑ったのが、分かった。
「目的は、私かしら」
「どうだろうな。だが」
ブローチから姿を戻したユルロが、隣に立つ。
「ここに居るのがシェリーだけだと思っているのなら、なんとも間抜けな悪魔だな」
「……今は誰もいないから良いけど、誰か来たらどう説明するつもり? 自分のこと」
剣を抜きながら、シェリーが言う。
「そのままを言うだけだ。お前にお告げを齎した、神だとな」
ユルロはそう言うと、景色を通さない実体の姿になる。
「そう。……悪魔、怯まないわね」
スピードを増していく悪魔は、もう目前で。
「ああ。何がそんなに楽しいのか」
罅割れた笑い声を上げながら、シェリーたちに向かってくる。
「同胞を屠った! 人間よ!」
悪魔が叫ぶ。
「時が来た! 報復を! 惨劇を! お前たち人間に!」
その言葉に、シェリーは目を眇め、
「報復と惨劇とは、また物騒な」
そう呟き、ユルロは水色の長髪をなびかせ、悪魔に向かって腕を伸ばした。
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