15 呪いを解くためには

 紅い光──月を染め上げた境界の紅を、円形に保ち、


「兄さん。ヴィエルカ兄さん」


 自分の顔より一回り大きいそれから手を離し、ユルロは呼びかける。


「兄さん。……。聞け、バカ兄」


 ユルロは顔をしかめ、


「今は繋がってるんだ、そちらの声も僅かだか聴こえる。相手はミルニキアだろう? 取り込み中のところ悪いが、これ以上無視するなら、ミルニキアに話さないでくれと言われたことを話す」

『分かった悪かった待って』


 その声と同時に、紅い円が、その紅を縁だけ残し、穴が空いたように別の場所を映した。


『お前、時々怖いんだよ……』


 そこから顔を覗かせたのは、長く鮮やかでウェーブのかかった赤い髪と、同色の瞳を持つ、神。


「早く応じないからだ」


 ユルロの兄であり、この世界で最高神と崇められている彼は、その愛嬌のある顔立ちを、若干強張らせながらため息を吐く。


『悪かったって。それで──』

『話さないで欲しい話ってなぁに?』


 そこに、もう一人の神が顔を出した。薄暗いその場所で淡く光を放つ、短い黄緑の髪と黄色の瞳を持った、ヴィエルカの伴侶の一人、ミルニキアだ。


『まっ、ミル、その話は今待った!』


 ヴィエルカは慌ててミルニキアを抱きしめ、『あとでちゃんと話すからさぁ……』と、その頬にキスをする。


「ミルニキア、兄さんはちゃんと話す。それで兄さん、早く話を始めたいんだが」

『わーかってるよ……で、ユアルカ。話ってのは、そこで寝てるお嬢さんのことだろ?』


 ヴィエルカがユルロに顔を向け、言う。


「そうだ。もう分かってるだろう? 今の俺ではあの呪いは解けない。力の回復を待っていたら、彼女はその前に死ぬ。兄さんの力を貸してくれ」


 真面目な顔をして言うユルロに、ヴィエルカは呆れた顔と声で示す。


『お前さぁ……どこまで鈍いかなお前は。呪いの内容はめちゃくちゃ分析してるくせに』

「……俺が彼女へ愛を向けているかどうか、なら、向けられていないと思うんだが?」


 眉をひそめたユルロの言葉に、


『こんな、死にかけてまでその子を救おうとして、まだそう言うの? お前』

「……力が枯渇しそうなのは事実だが……」


 ユルロは、自分の手を持ち上げ、その状態を確認する。

 半透明だった手は、指の形を認識できないほど、色を──存在を失っていた。

 境界の紅を故意に生み出し、神の世界と繋げる。それには勿論、神の力が必要で、不完全な状態のユルロでは、自分の顔より一周り大きな境界を作ることしか出来なかった。


『お前バカなの? そこまでやってまだ、彼女を特別だと思ってないワケ?』


 ヴィエルカに、完全に呆れ顔で言われ、


『ユアルカが誰か一人にそこまで必死になるの、初めてじゃない?』


 ミルニキアにも、明るく言われる。


「……なら、どうして呪いが解けない? 少しずつしか綻ばないんだ?」


 怒気を孕んだユルロの言葉に、


『そーゆーとこだ。お前のその態度が問題。ユアルカ、お前、自分がその子をどう認識してるか、ちゃんと理解してるか?』


 ヴィエルカが、自分の頭をコツコツ叩きながら言う。

 認識、理解。


「呪いを解きたいと思っている。彼女を苦しみから開放したい。……だというのに、自分が無力で嫌になってる。そういう認識だが」

『じゃあさ、お前のそれ、どういう愛だと思ってる?』

「愛なのか?」

『そーだよ。お兄様を信じろ』

「……」


 兄は、こういう時は、嘘など言わない。ユルロはそれを、嫌というほど知っている。

 ならば。愛しているのか? シェリーを。

 だとして、どういう種類の愛なんだ?


『……そのさ、シェリーちゃん、』

「名前で呼ばないでくれないか」


 ヴィエルカのそれに、反射的に口を開く。


『なんだよ可愛くて一生懸命な子に目がないの、お前知ってるだろ』


 不満そうに言うヴィエルカに、


「だからだよ、バカ兄。兄さんは形から入るタイプだろうが。だが、彼女はそうじゃないようだからな。兄さんにも呪いは効いてる。呪いがあそこまで精巧なものじゃなかったら、俺は、……」


 俺は、どうしようとしていた?


『俺は、のあとは? ユアルカ』


 ミルニキアに、楽しそうに問われ、


「……兄さんに、呪いを解いてもらおうと、思っていた」


 なんとかそう言えば、


『分かってたし、けどお前がずっとそばに居たから、俺は手を出さなかった』


 ヴィエルカに、至極真面目な顔で言われる。


「出そうと考えるな。言っただろう。それに分かってるんだろう? 呪いがあるから、兄さんは……兄さんの力をもってしても、完全には愛せない」

『で、お前は?』

「理から外れているから、愛せる筈だ。だが、未だこの現状だ。……なあ、分かってるだろう兄さん。俺にはやはり無理なんだ。力を貸してくれ。今すぐ。苦しんでる彼女をもう見たくないんだ……!」

『泣くほど好きなのにその好きを自覚してないお前が一番厄介だよ』

「…………は?」


 泣く?

 ユルロが頬に、その崩れかけた手を当てれば、頬は濡れていて、雫が上から──目から幾筋も伝う。


『周りの人間のほうがよっぽど素直だね』


 ヴィエルカが肩を竦める。


『呪いが綻んで弱まってきて、無自覚・自覚、どっちにしろ、その子に目を向けるようになった。一生懸命なその子について考えるようになった。それはお前も理解してるだろ?』

「……ああ……」


 呆然としながら答えるユルロに、


『ユアルカ、その点お前は、最初から目を向けていたせいで、自分の気持に気付けてなかった。そのお前は今、泣くほどその子のことを想ってて、力になりたいって考えてる訳だ。どうだ? 自覚できたか? 自分の気持ち』

「……分からない、が、大切に思ってるのは、理解できた」

『……なんで大切に思ってる?』

「なんでって……そこに理由が必要か? ──?!」


 ユルロは思わず、シェリーへ顔を向けた。呪いの気配が、一瞬にして消えたから。


『消えたな』

「……みたいだが……」


 どういう原理で解けたのか、ユルロには理解が及ばない。


『じゃ、相談窓口を閉めます。あ、ユアルカ、手ぇ出せ。そのままじゃお前、存在が保たないだろ』


 ヴィエルカが境界ギリギリまで、手のひらを近付ける。


「……」


 ユルロはヴィエルカと鏡合わせでもするように、境界に手のひらを近付ける。

 ヴィエルカの力がユルロに譲渡され、崩れかけていたユルロの存在はまた、この世界に固定された。


「……どうして完全回復じゃないんだ」

『そしたらお前、目の前の問題を強引に片付けて帰ってくるだろ。その子と離れたいか? 強引に片付けて、その子は喜ぶか?』

「分かったような口を……」

『お兄ちゃんは弟のことを分かってるからな。じゃ、今度こそ、境界閉じるぞ』

「……ミルニキアと話、ちゃんとしろよ」

『今それを言うんじゃない』

『なぁに? 結局話してくれないの?』

『あぁ違うんだ、ミル。話す。話すから。ちょっと恥ずかしかっただけなんだ』


 ヴィエルカがミルニキアを抱きしめたところで、神の世界を映していた境界の紅は、かき消えた。



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