14 最終手段

「……」


 これが紋様、と、シェリーに渡された紙を見て、ユルロは難しい顔になる。


「ヒントって言ってくれたけど、分からないなら分からないで、別に気にしないわ」

「……そういう訳ではない。これは、色や大きさもそのままか?」

「大きさはそのままね。黒のインクで書いたけど、紋様の色は赤黒いわ。十二の時から変わってない」

「……そうか」


 悪魔らしい、嫌味を感じるほど誠実な紋様だと、ユルロは思う。

 どこまでも正確に、そして緻密に、呪いの作用を表した紋様だ。


「正直に言おう。最上位の悪魔らしい、とても複雑な紋様だ。今の俺にはどうにも出来ない」

「そう」


 ユルロは紙から顔を上げ、シェリーを見る。


「だが、呪いは確実に綻んでいる。少しずつではあるが。……ただ、本当に少しずつなんだ。周りにどれだけの影響が出ているのか、複雑な思考をする種族であるシェリーたちのそれを、俺は正確に測れない。……すまない」

「だから、謝らないでよ。色々教えてくれて、感謝してるわ」


 凪いだような笑顔で言うシェリーを見て、ユルロは紙に視線を戻し、口を開く。


「あと、一つ。これを見て、分かったことがある。……この紋様は、呪いが完全に解けて初めて、消えるものだ。綻びに合わせて、色が薄くなったり、形が変わったり、そういう変化は見られないだろう」

「そうなのね。分かったわ。じゃあやっぱり、生涯これと付き合わないといけないのね」


 落胆も何もないシェリーの声を聞いて、


「……」


 ユルロは顔を歪めた。


 ◆


 最近、周りが変だ。シェリーはそう思う。


「シェリー、この書類、あとでいいから確認してくれないか」


 今、隊員に差し出された書類と、その言葉と態度についてもそうだ。


「分かったわ。置いておいて」

「ああ、ありがとう」


 書類は丁寧に置かれ、隊員は去っていく。

 今までは、放るように置かれたり、無言で重ねられていくのが常だった。


(ありがとうなんて、こんな時に言われたこと無いわ)


 そういう態度の変化が、シェリーの周りで起きている。

 ユルロが言っていた綻びが関係しているのか。それとも何か、自分が把握出来ていない事柄が起きているのか。


(まあ、私が把握してない情報なら、深く考えても答えは出ないし)


 シェリーは書類作業を続け、訓練をし、よく分からない日常を送る。


「シェリー、いいか?」


 躊躇いがちのリアナの声に「はい」と答える。


「エイベル……水の大隊長へだな、この書類を持っていって貰えないか? ……チェスターが居れば、と思ったんだが、今は席を外しているからな。悪いんだが」


 チェスターはトワニーとの国交の関係で、大隊長室から離れていることが多くなっていた。


「はい。畏まりました」


 シェリーは書類を受け取り、水の塔へと向かう。

 水の塔でも、シェリーへの、表向きかどうか分からないが、態度が変わった。


「……あれ……」

「黙っとけよ」


 ヒソヒソと、言ってくるのは変わらない。ただ、その声量は格段に落ち、内容も、あからさまな悪意を知らせるものでない。


(楽っちゃ楽ね)


 思いながら、大隊長室へ向かう。

 ドアをノックし「失礼します」と声をかける。


「……アルルド補佐か」


 ドアを開けたデュークに、複雑そうな顔で言われ、


「それで、何用か」

「こちらの書類を、ユーケン大隊長からオールポート大隊長へと」


 書類を差し出せば、


「分かった。──隊長」


 デュークはそれを見て、奥へ声をかけた。


「うん、分かってるよ」


 その声と共に、苦笑気味のエイベルが顔を出す。


「やあ、シェリー。書類ありがとう」


 デュークと場所を変わったエイベルが手を差し出してくるので、


「いえ、仕事ですから」


 シェリーはそう言って、書類を渡す。


「うん。確かに受け取ったよ。……それじゃあ、仕事、頑張ってね」

「恐縮です」


 エイベルは軽く手を振って奥へ戻り、


「では、失礼する」


 デュークも目礼して、ドアを閉めた。


(なんなのかしらね。私への興味を無くしてくれたってことなら、有り難いんだけど)


 そんなふうに思いながら、シェリーは炎の塔へ戻り、仕事を再開する。


「シェリー、手紙が来てるよ」

「手紙? ありがとう」


 渡されたそれを確かめたシェリーは、送り主の名を見て、体を僅かに強張らせた。


『リアム・アルルド』


 シェリーの兄の名前。

 兄からの手紙など、もう五年は受け取っていない。何かあったのか。緊急事態か。

 シェリーはその場で手紙を読み、


「…………」


 緊急性が無いことを確認して、手紙を封筒に仕舞い、気持ちを切り替え、仕事を再開した。


 ◆


「本当に良いのか、あれで」

「……あれって?」


 シェリーの言葉より、その声に。髪に指を通していたユルロの手が一瞬止まる。


「あの手紙だ。本当に籍を抜ける気か?」


 苛ついた声になってしまう。それは、シェリーに向けるべきものではないのに。


「みんなのために、なるから。叔母が呪われた人間なんて、誰だって嫌でしょ?」


 シェリーの兄、リアムからの手紙は、アルルドから籍を抜いて欲しいという手紙だった。

 お前のせいではないが、呪われた人間を一族に置くことを、当主として認めることが出来ない。

 妻や、生まれてくる子供、そして母にも、迷惑がかかるかも知れない。

 だからすまないが、アルルドの籍から抜けてくれないか。


「呪いは綻んでいるんだ。確実に。なぜそれを伝えず、あちらにとっての色好い返事を書いた?」

「……伝えて、なんになるの?」


 シェリーの震え声に、ユルロの手が完全に止まる。


「呪いは、死ぬ頃に消えるかもって伝えて。それになんの意味があるの? ……何も解決しないわよね?!」


 振り向いたシェリーの目には、涙が溜まっていて。

 それを見て、目を見開いたユルロに、


「ねえ、どうにもならないでしょ? 現状は変わらないでしょ? ……いつまでも縋ってる訳にもいかないのよ」


 笑顔で涙を零すシェリーに、ユルロは、あることを言うかどうか躊躇ってしまい、


「今日はもう寝るわ。髪もこのままでいい。ありがとう。おやすみなさい」


 シェリーはベッドから降り、部屋の灯りを消し、ベッドの上で固まったままのユルロなどどうでもいいように戻ってきて、掛布を頭から被り、──そこから、ピクリとも動かない。


「……シェリー」


 ベッドから降りたユルロの呼びかけに、シェリーは答えない。


「……。……すまない」


 ユルロは、掛布の上からシェリーの頭に手をかざし、強制的に眠らせる。夜が明けるまで、起きないように。


「……兄さん」


 ユルロは天井へ──空へ目を向ける。


「どうせずっと見ていたんだろう?」


 そのまま室内を歩き、距離の空いたベッドに向き直り、


「楽しめと、思うままに生きろと、言ったな。……楽しくはないが、思うまま、やろうじゃないか」


 右腕を持ち上げ、手のひらを前に向ける。苦しげに顔を歪めるユルロの、その手の少し先で、紅い光を放つ粒子が集まり始めた。

 


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