10 特等席

「シェリー! これをエイベル大隊長の所まで持って行ってくれ!」

「了解です!」


 シェリーは、大隊の副隊長、チェスター・クレイトンから書類を受け取ると、炎の大隊長室を出て、廊下を足早に歩いていく。


「エイベルとは、誰だ」


 胸元からの問いかけに、シェリーは少し顔をしかめながら答える。


「エイベル・オールポート大隊長よ。水の大隊長を務めてる。……私、ちょっと、あの人苦手なのよね」


 シェリーは炎の大隊の塔を降り、水の大隊の塔へ向かう。


「ふむ、大隊は四つあるんだったな。炎と、風と、水と、土、だったか」

「ええ。土の大隊長室に前に行ったのは、覚えてる?」

「ああ。緑の髪の男が、大隊長だったな。名前、は、クリストファー・カニンガム、だったか」

「その通り。一回会っただけなのに、よく覚えてるわね」

「あの、体全てが筋肉で構成されてそうな姿形は、そうそう忘れられるものではない」


 ユルロのそんな感想に、シェリーは「ふはっ」と笑った。


「で、風の大隊長はブラッドリー・ヘインズって名前で、私よりちょっと濃い金髪と茶色の瞳の男性。……それで」


 水の大隊の塔の前に来たシェリーは、一つ、溜め息を落とし。


「今から会うのが、さっき言った、エイベル・オールポート大隊長よ」


 ◆


「──おい。アレって……」

「シェリー・アルルドだ。悪魔に呪われた……」

「なんでここにいるんだよ?」

「仕事だろ。もしくは隊長に媚を売りに来たか」


 ヒソヒソと、すれ違うたびに聞こえる言葉。シェリーはそれら全てを無視しながら、しかし微笑みを顔に貼り付け、進んでいく。

 そして、水の大隊長室に着くと、扉を叩き、「失礼します」と声をかけた。


「誰だ? ……。……アルルド補佐か」


 扉を開けたのは、紫の髪の青年。彼はシェリーを嫌悪の眼差しで見つめた後、


「炎の補佐が、何用だ?」


 と、冷たい声で問いかけてきた。


「こちらを。クレイトン副隊長からオールポート大隊長にお渡しするようにと」


 シェリーは書類を見せる。紫の髪の青年はそれを無言で受け取ると、


「用件は、これだけか?」

「はい」

「では、早々に戻るように」


 そう言って、扉を閉めかけ──


「シェリーが来てるのかい?」


 その声に、青年の手が止まった。

 青年は室内へ顔を向け、


「もう帰るところです」

「そうかい? 顔を見たいんだけど」

「その必要はないかと」

「堅いなぁ。少しくらい良いじゃないか」


 奥からの声は、足音とともに近付いてきて、


「やあ、シェリー」


 と、青年の後ろから、顔立ちの整った黒髪の青年が、柔らかく微笑みながら顔を出した。


「……お久しぶりです。オールポート大隊長」


 それに、シェリーは敬礼を返す。


「久しぶりだね。この前の合同訓練以来かな?」


 黒髪の青年──エイベル・オールポートが前へ進むと、紫の髪の青年は諦めたような顔をして彼に場所を空け、扉の横に立つ。

 エイベルは、その淡い琥珀色の目を細め、


「休暇から帰ってきたとは聞いてたけど、顔を見て安心したよ。元気そうで良かった」


 シェリーの頬に手を添えた。


「お気遣いいただき、ありがとうございます」


 シェリーは笑顔でそれに応える。エイベルは、シェリーの頬に当てた手をそのまま顎へと滑らせようとして、


「──おや?」


 と、その手を止めた。


「そのブローチはどうしたんだい?」

「旅の思い出にと、雑貨屋で買い求めました」

「そう……綺麗な水色だ。僕の隊の色だね」

「そうですね」


 微笑みながらのシェリーの答えに、エイベルもそれに応えるように微笑む。そして、剣士だというのに美しいその手をシェリーの顎へ添わせ、シェリーを自分へと上向かせると、


「ところで、今、時間はあるかな?」

「申し訳ありませんが、まだ仕事が残っておりますので」


 笑顔のままきっぱりと言うシェリーに、


「そう。それなら、しょうがないか」


 エイベルは肩をすくめると、シェリーに顔を近付け、


「また、いつでもおいで。待っているから」


 甘い声で囁やいた。


「隊長」

「分かってるさ、デューク」


 紫の髪の青年──デュークにエイベルは振り返り、シェリーの顎から手を離す。


「じゃあね、シェリー。会えて嬉しかったよ」


 エイベルは微笑みながらシェリーの手を取り、恭しくキスを落とす。


「……では、失礼いたします」


 エイベルに握られた手を引き抜くと、シェリーは敬礼し、彼らからくるりと背を向け、もと来た道を戻っていった。


 ◆


「なんなんだ、あの、総じて不愉快な連中は」


 シェリーが水の大隊の塔を出ると、ユルロが低い声で言った。


「……水の人達はね、私のことを毛嫌いしてる人が多いの」


 シェリーは炎の塔に向かいながらそう答える。


「しかしお前は、最上位の悪魔を斃した英雄なのだろう?」


 ユルロの問いに、シェリーは苦笑する。


「でも、呪われてる。ま、さっきのはいつものことよ。こっちから何も言わなければ、あっちも手を出してこないわ。大抵」

「だが、あの黒髪の男……あれが水の大隊長なのだろう? アレは、お前に手を出してきたが」

「そうね、だから苦手なのよ。あの人、私で遊んで楽しむのが好きみたいなの」


 シェリーは、溜め息を一つ。


「あの人、史上最年少の二十歳で大隊長になった天才として有名だけど、女誑しでも有名なの。辺境伯の次男で、恋多き水の貴公子だとか呼ばれてるわ。で、私もターゲットの一人になっちゃってるの」

「……」

「気分の悪いもの見せちゃってごめんなさいね。……あ、これからは水の塔に行く時は、あなたをポケットに仕舞ってから行くわ。それならまだマシでしょ?」

「……いや、いい。このまま付けていろ」

「そう?」

「何かあった時に対応がしやすい」

「あら、心配してくれてるの?」

「……そのようなものだ」

「そう、ありがとう。……神かけのユルロに心配してもらえるなんて、心強いわね」

「神かけとはなんだ」

「神様になりかけの略称よ。今私が作った」

「お前……」


 ◆


「そういえば、昨日ちらっと聞いたけど、あなた達の家族構成ってどうなってるの? 聖典通りじゃないのよね?」


 仕事も風呂も終え、自室に戻ってきたシェリーは、ユルロに髪を乾かしてもらいながら、彼に疑問を投げかける。


「家族構成、か……。今は兄が家族を取りまとめていて、兄には伴侶が二十四人。兄の次は俺だが、俺には伴侶も子もいない。弟や妹達は……弟が二十八人で、妹が三十五人。皆伴侶を得ていて、……あー……すぐ下の弟は伴侶が十三人、その下が二十二人、その下が──」

「待った待った。すでに聖典の人数を超えてるんだけど。っていうか、みんなそんなに奥さんが多いの?」

「多いな。それと、伴侶は異性だけではない。同性もいる」

「へぇ。神様って多様なのね」

「人間は、異性しか伴侶にしないのだったか」

「そうねぇ……同性のも居ないわけじゃないはずだけど、大っぴらにはしないわね。あ、でも、愛人として囲ってる場合、逆に堂々としてることもあるわ」

「愛人、か」

「ええ。神様には愛人……愛神? っていないの?」


 シェリーの髪が半分ほど輝いてきたのを眺めながら、


「居ないな。伴侶は全て、正式なものだ」


 と、ユルロは言った。


「へぇ……神様って、案外誠実なのね」

「案外とはなんだ」

「だって、聖典だと、すぐ誰かを見初めて連れて行こうしたり、人間を惑わせて楽しんだり、遊び半分で災害を起こしたりしてるんだもの」

「……。そこは、否定出来ない。皆、自我が強く、自分を一番に考えがちだからな」

「一番、ねぇ……なら、ユルロは珍しい方なのかしら」

「珍しい?」

「だって、自分のこと殺しかけた張本人なのに、その私のことを考えて行動してくれてるし、今まで一度も迷惑なことを起こしてないし。今だって私の髪乾かしてくれてるし。良い神様よね」


 ユルロは一瞬、シェリーの髪を梳いていた手を止め、


「……なるほどな。家族にはもっと楽しんで生きろと言われていたが、お前はそう思うか」


 微笑んで、そう言うが、ユルロに背を向けているシェリーには、その顔は見えない。


「思うわよ。それこそ私の方が、自分のことだけ考えて行動してた。だからあなたを殺そうとした。なんの躊躇いもなく」


 また手を動かし始めたユルロへと、シェリーは静かにそう言って。


「私は、自分のことばかり考えて生きてきたわ。周りに嫌われたくなくて愛想を振りまいて、復讐のために悪魔を殺して、呪いを解くためにあなたを殺そうとして。……自分のことばっかり」

「……」


 完全に乾いたシェリーの髪は、部屋の灯りに煌めいて、まるで黄金の河のように見え、彼女が俯いたその動きで、瞬く。


「だから、悪魔も私を呪ったのかしらね。こんなにも醜い、私を」


 その細い肩は、僅かに震えていた。


「シェリー」

「……なに?」

「こちらを向け」


 少し間を置いて、ユルロへと振り向いた彼女は、


「ここに座れ」

「……は?」


 示された場所を見て、片眉を上げた。

 そこは、足を組んで座っている、ユルロの膝の上。


「どういう意図があって、そこに座らせようとしてるワケ?」

「子供らを泣き止ませる時には、いつもこうしていた」

「……私、子供じゃないんだけど」

「だが、泣いているだろう」

「……泣いてないわよ」

「涙を流さずとも、心は泣いているだろう」


 その言葉に、シェリーは目を瞬かせ、


「……なら、お言葉に甘えようかしら」


 なんだか楽しそうな顔をしながら、ベッドの上を移動して、ユルロに背を向け、その膝の上に座る。


「で? ここからどうする気?」

「どうもこうもないが……しいて言うなら」


 ユルロは、シェリーの肩を抱き、


「子供らが泣きつかれて眠るまで、こうしていた」


 シェリーの頭を優しく撫でた。


「……」


 シェリーはユルロの胸に凭れかかり、目を細める。


「……その、子供らって、ごきょうだいの子供達?」

「も、あるし、友の子供の場合もある。彼らの子供、孫、ひ孫、玄孫……」


 シェリーの頭を撫でながら言うユルロの言葉に、シェリーは「ふふっ」と笑いを零す。


「なら、ここは特等席ね。沢山の神様が座ってきた、特等席」

「……そんな風に言われたのは、初めてだな」

「……そう……、……あなたって、……温かいのね……幽霊もどきなのに…………」

「失礼な。俺はお前のせいで受肉しかけたから──……シェリー?」


 ユルロが上から覗き込むと、シェリーはすぅすぅと寝息を立てていた。


「……」


 ユルロはシェリーを抱き上げると、ベッドに寝かせ、掛布をかける。


「……。……少しは、近付けているか? シェリー」


 シェリーの頭を撫でながらそう呟き、部屋の灯りを消したユルロは、浅く溜め息を吐いて、椅子に腰掛けた。



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