9 理から外れている

「──それで、あなたに剣を突き立てて、殺そうとしたってワケよ」

「なるほどな。有り余るほどの無茶をしていた訳か」


 深く溜め息を吐いたユルロは、呆れたような、憂うような眼差しを、シェリーへと向ける。


「ええ、必死に食らいついてた。なんとしても呪いを解きたかったから。でも、もう良いのよ。その望みは叶わなくなったし、私は今の私に出来ることをするだけ」


 シェリーはそれに、苦笑いで応え、


「あなたを現世に縛っちゃったことは謝るわ。ごめんなさい。けど、それも長くて四十年よ。四十年くらい、神様にとっては短いんでしょ?」

「短い。が、お前と居ると、長く感じそうだ」

「それはお気の毒さま」


 言うと、シェリーは立ち上がり、部屋を照らしていた灯りへと向かう。


「もう寝るわ。流石にそのベッドに二人は狭いから、降りてちょうだいね」

「……」


 その言葉にユルロが立ち上がるのと、シェリーが灯りを消すのは同時だった。


 ◆


「……」


 シェリーの悪夢を取り除き、安らかな寝顔を確認したあと、カーテンの隙間から差し込む月の光を眺めていたユルロは、


「……どうしたものか」


 その深い青の瞳を、再びシェリーへと向けた。


「儚い夢を抱かせて、失望させたくはないのだが」


 そう呟く彼は今、世界のことわりから──世界の誓約から、外れている存在だ。


「俺が」


 だから彼は、悪魔がシェリーにかけた呪いの対象に、なり得ない。


「お前を」


 つまり、呪いの影響を受けない。彼は、彼女を、シェリーを──。


「愛せれば、呪いは解けるのだろうが……」


 恋愛、友愛、親愛、家族愛。そして、無償の愛。


「それが俺に、出来るのか。……なぁ、シェリー」


 ユルロは静かに、返答の来ない問いを口にした。


 ◆


 次の日の、夜中。


「……ふぅ……」


 仕事を終えたシェリーは、風呂場で体を洗っていた。

 風呂場には、シェリーひとり。……と、布に包まれたブローチ姿のユルロ。

 シェリーが騎士団へと帰ってきた初日、シェリーは風呂に入るためにユルロにある提案をした。それを聞いて、ユルロは物凄く嫌そうな顔になった。


『浴場に一緒に入れだと?』

『しょうがないじゃない。廊下にあなたを置いておいて、誰かに拾われたりしたら面倒だし。それに私、お風呂を使う時は誰もいない時間帯に使うようにしてるの。だから、他の人に迷惑はかからないわ』

『お前に迷惑がかかるだろうが』

『じゃあどうしろって言うのよ』

『…………』


 というやり取りを経て、最後は半強制的に、ユルロはブローチとなって布に包まれ、シェリーとともに風呂場に入ることになった。

 泡に包まれたシェリーは、ザバリと風呂の残り湯でそれを流す。


「……」


 目の前の壁に嵌め込まれた鏡には、シェリーの上半身が映っている。

 シェリーはペタリ、と胸元に手を当て、鏡に映る、そこに刻まれたものを見つめた。


「……」


 それは、赤黒い紋様。目にするだけでおぞましさを抱かせる、悪魔の呪いを示す紋様。


「……ねぇ、ユルロ」

「なんだ」

「……、……もし、もしもだけど。呪いが解けたら、私のこの、呪いの紋様も、消えたりするの?」

「消えるだろうな。跡形もなく。それがどのような紋様か、見ていないから分からないが、悪魔は残酷なまでに誠実だ。呪いが解けたら、呪いの媒介となっているそれも、消えるだろう」

「そう……」


 シェリーは紋様を指でなぞると、ユルロにか、自分にか、呟くように言う。


「これ、焼きごてを当ててもナイフで傷を付けても、全く消えなかったのよね。そう、解ければ消えるの……そう……」

「……お前が一人で風呂に入るのは、その紋様を見せないようにするためか?」

「ええ。見せびらかすものでもないし、怖がらせたくもないし」


 シェリーは、絞ったタオルで髪と体の水分を軽く拭い、使っていた桶などを片付け、


「さ、あとは乾かして着替えるだけよ。その状態から解放されるまでもう少しだから、我慢してね」


 と言って、布に包まれたブローチを掴んだ。


 ◆


「シェリー」

「なに?」


 シェリーが自室に入り、灯りを点けるとすぐさま姿を戻したユルロは、至極真面目な顔つきで、シェリーに言った。


「俺達はもう少し、互いのことを知るべきだと思う」

「……急に何?」


 ユルロを見上げ、片眉を上げ、首を傾げたシェリーに、彼は真面目な顔のまま続きを口にする。


「お前は、あと四十年はこのままだと言ったな。ならば、四十年互いを知らずにいるのではなく、それなりに信頼できる関係になった方が、精神的負担も少ないと、俺は思う」

「まあ、それはそうね」


 シェリーは乾ききっていない髪をタオルで拭きながら、ベッドまで移動し、


「で、それなら、どうするつもり?」


 ぽふっ、とベッドに腰掛けた。


「まず、互いの趣味趣向を知ろう」

「しゅみしゅこう」

「そうだ。お前は何が好きだ?」

「そうね……鶏の丸焼きかしら」

「……鶏の丸焼き」

「ええ。この仕事、食ぐらいしか楽しみがないのよ。服装は基本隊服だし、休みでもいつ何があってもいいように動きやすいものに限られてくるし、宝飾品だって同じ。そしてその休みもほとんど取れないから、余暇に何かをするっていう発想も浮かばない」

「……ハァ……」


 ユルロはふわりと浮かび、手と足を組むと、


「先は長そうだな……」


 天井を眺めた。


「そうね。まあ四十年あるんだし、気長に行きましょ。で、ユルロは何が好きなの?」

「俺か? 俺は……酒が好きだ」

「なんの?」

「最近は蜂蜜酒ミードに凝っていた。まあ、恐らく、俺が貯めていた酒はもう一つ残らず飲まれてしまっているだろうが」

「飲まれるって、誰に」

「家族や友にだ。きょうだいとその子供らと、そのまた子供らと……あー……今全員で何人居たか……」

「聖典によれば、神様は全部で百四人だったけど」

「百四よりは、確実に多いな」

「そうなの。……聖典、書き直さなきゃいけないわね」


 ガシガシと頭を拭きながら、シェリーは独り言のように言う。


「もっと丁寧に拭け。髪が痛むだろう」

「面倒。あなたは良いわね、サラサラした髪で。私の髪、うねってるでしょ? 纏めるのは大変だしすぐ絡まるし、こうやって乾かすのも時間がかかるし」

「……なら」


 浮かんでいたユルロは、シェリーの目の前に降り立つと。


「乾かしてやろうか」

「どうやって」

「こう」


 ユルロは、まだ湿っているシェリーの髪の一房に指を通すと、ゆっくりと毛先へ手を動かしていく。


「……え」


 指を通し終えたその部分は、乾くだけでなく艶めいて、部屋の灯りに照らされて煌めいていた。


「え、え、……凄い」


 シェリーは目を丸くし、一拍。


「ユルロ! 全部それやって!」


 と、くるりと背を向けて言ってきた。


「……まあ、良いが」

「あ、立ったままは嫌よね。はい、座って」


 シェリーはベッドの上を進み、ユルロが座れるように場所を空ける。


「……」


 ユルロはなんとも言えない顔になりながらそこに座り、シェリーの髪に、また指を通した。



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