8 自分の体が壊れても

「ねぇ、ここのところ思うんだけど」

「なんだ」

「最近、調子が良いのよね。前は起きぬけなんて頭は鈍痛がしてたのに、それがなくなって。体も強張ってたことが多かったけど、それも消えてる。何かした? それとも神様の加護とか? 殺しておいてなんだけど」


 まだ薄暗い時間に起きたシェリーは、椅子に座っていたユルロへと、そんなことを言った。


「……さぁな。だが、不調が消えたなら良かったじゃないか。で、また仕事か?」

「ええ、昨日大隊長が言ってたでしょう? 今日は実地訓練よ」


 シェリーは伸びをし、シワの付いたシャツのボタンに手をかける。


「ハァ……」


 ユルロはそれから目を背けると、「……ああ、そうだ」と、壁に向かって口を開いた。


「呪いについて、お前は今、どう捉えている?」

「どう、って……仕方がないって諦めてるわ。あなたの力が戻れば解けるかも知れないとは言われたけど、それもいつになるか分からない。曖昧な希望に縋って時間を無駄にするより、前を向いて生きていくしかない」

「……お前には、愛されたい者が居るのではないか?」


 その言葉に、着替えていたシェリーの動きが止まる。


「……どうして、そう思うの」

「お前は、神を殺そうとしてまでその呪いを解こうとしていた。これは俺の推測だが、ここまで相当な苦労を重ねてきたんだろうと思っている。その覚悟も俺の想像を超えるものだろう。そうまでして、手に入れたかったものがあったのでは、と、思ってな」

「……」


 シェリーは制服の上着を手に取りながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。


「……ええ、そうよ。あなたの言う通り。私には、どうしても手に入れたい──取り戻したい愛があった。……でも、もうそれも叶わないけど」


 シェリーは上着を着て、髪に櫛を通す。


「……。その愛が、どういったものか、聞いてもいいか」

「ええ、隠すことでもないしね。家族からの愛よ。私には、兄と母がいるの。父は七年前に亡くなったわ。そしてその時に、私は呪いを受けた。十二の時よ。家族は私を愛してくれていた。けど、呪いのおかげで、その愛は綺麗さっぱり消えてしまったわ。……兄も、母も。もう、心の底から私に笑いかけてはくれないの。形だけの家族なの。……それに、兄は去年、結婚したわ。義理の姉のお腹には赤ちゃんがいる。……あの人達の幸せを、壊したくないの」


 シェリーは髪を結わえると、


「さ、終わったわ。この話も終わり。実地訓練ってね、王宮を出て王都の外の荒れ地で行うの。だから早く行かなくちゃ」


 明るく言うシェリーに向き直ると、ユルロは立ち上がり、シェリーの目の前まで来て、足を止めた。


「? ユルロ?」

「その、呪いをかけたのは、誰だ?」

「かけたヤツ? 最上位の悪魔よ」

「悪魔か……しかも最上位の……」

「ああ、ソイツ、二年くらい前に殺したから」

「は?」

「その話、後でいい? そろそろ本当に行かなくちゃ」


 手を差し出され、けれどユルロは、


「……なに?」


 シェリーの頭に手を置いた。


「お前は、強いな」

「ええ、それなりに強い自覚はあるけど? それが何?」

「……いや」


 シェリーの頭を一撫ですると、ユルロはブローチになり、シェリーの手の中へ。


「……今日のあなた、変ね? どこか頭でも打った?」

「失礼な」


 ブローチを付けながら言うシェリーに、ユルロは不満そうな声を出した。


 ◆


「第一陣、前へ!」


 その号令に、何十という騎士達が、足を揃えて動き出す。


「用意!」


 ほぼ全員が揃った動きをし、彼らは照準を定め、


「撃てぇ!」


 荒れ地に発砲音が轟いた。


「あれはなんだ?」


 そこから少し離れた場所で、補佐としてリアナの側に付き従うシェリーに、ユルロが小声で問いかける。


「あれって?」

「あの、今何か飛び出した、長い得物だ」

「ああ、アレ。あれは銃っていう武器よ。特殊合金の礫を火薬で飛ばしてるの。大砲の小さいヤツみたいなものよ」

「ほう……知らない武器だな。最近の技術か?」

「あなた達の最近……がどの程度か分からないけど、あの銃の原型が出来上がったのは、八十年くらい前って言われてるわ」

「なるほど。知らぬ訳だ」


 荒れ地に何度も、轟音が響き渡る。狙撃部隊は一陣、二陣、三陣と入れ替わり、整い揃った動きを見せる。


「シェリー」

「はい」


 リアナは前を向いたまま、静かな口調で問いかける。


「あれを見て、お前はどう思う?」

「そうですね。銃の構え方や入れ替わりの正確さは洗練されてきていますが、その部分を気にしているためか、全体の動きが鈍いかと」

「ふむ」

「それと、ここから見て、ですが。的の銃痕は七割程度、一発で貫通しているものはその三割ほどに思えます。銃の精度と部隊の練度、どちらもまだ、より高められるだろうと推測できます」

「ふむ……」


 リアナは顎に手を当て、何度か頷くと。


「やはり、お前は頼もしいな。とても冷静に的確に、状況を把握してくれる。──記録係!」

「はい!」

「今のは書き留めていたか! 機器開発部へその報告も回す! 書類を作っておけ!」

「畏まりました!」


 その後も、歩兵部隊の訓練、弓矢部隊の訓練、大砲、模造剣での模擬戦などが、休憩を挟みながら行われる。

 そして夕方、実地訓練は終了した。


「隊長、今回も夜の模擬戦は無いのですよね?」

「ああ。上から必要ないと言われてしまってな」


 シェリーの問いに、リアナがそう答える。


「今は平和な時代だからな。ここ十年、大きな戦争は起きていない。お前のおかげで、悪魔達からの攻撃も減った。……まあ、平和が一番だ」

「……そうですね」


 沁み沁みと言うリアナに、シェリーも同意を示した。


 ◆


「十年を一時代と捉えるところが、寿命の短い人間を端的に表しているな」


 シェリーの部屋で、手と足を組んで椅子に座るユルロは、そう言った。


「なんでも良いじゃない。それなりに平和なのは確かなんだから」


 シェリーはベッドに座り、両の手のひらを上に向け、瞑想でもするように瞼を閉じている。


「で、また聖魔の力の修練か」

「ええ」


 シェリーは答えながら、左手に聖の力を、右手に魔の力を集め、練り上げていく。


「週に一度とはいえ、体に相当な負担がかかっているだろう。本来反発し合う力を、分離せずに同時に扱うというのは」

「でも、定期的にやらないと鈍っちゃうでしょ。もう、必要ないかもしれないけど」


 シェリーは少し笑みを作った後、また、表情を消す。


「……でも、神を殺すことはなくても、悪魔とはまた戦うかも知れない。武器は多ければ多いほど良い。そして、質も高ければ高いほど良い」

「……お前自身の体が壊れても、か?」

「ええ。みんなのために死ねるなら、今はそれが本望よ」

「……」


 さらりと口にされるそれに、ユルロは難しい顔をして立ち上がる。


「……今朝、悪魔だのなんだのと話したな」


 そして、シェリーの前にしゃがみ込み、片膝をつく。


「そういえばそうね」

「お前がこうなった経緯、始めから全て話せ」

「……分かった。けど」


 シェリーは練り上げていた力を解き、目をパチリと開く。


「その姿勢で聞かれるの、気が引けるわ。ここに座って頂戴?」


 と、自分の右横、つまりベッドを、ぽふぽふと叩き、示す。


「……」

「ほら」

「……ハァ……」


 ユルロは髪をかき上げながら立ち上がり、腕を組んでそこに座った。


「だから、危機感を持て」

「持ってるわよ。あなたにそれを向けてないだけ」

「向けろ」

「まあ良いじゃない。で、事の経緯だけど。そうね……最初の、七年前の話からしましょうか」


 そう言うと、シェリーは一呼吸置き、話し始めた。



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