7 騎士としての生活

「シェリー! 無事に帰ってこれたのか! この書類が面倒でな! 後で見てくれないか!」

「ただいま! 分かったわ。後で見ておくから、置いておいて?」

「シェリー! おかえり! 大隊長が呼んでたよ! 次の警備の話だってさ!」

「了解。荷物を置いたら速攻向かうから、そう伝えておいて」

「シェリー!」

「はーい」

「シェリー!」

「はーい」


 騎士団の置かれている王宮の敷地内に入るやいなや、シェリーは沢山の人々に声をかけられる。


「……人気者だな。これで好意が向けられてないと?」

「私、補佐よ? 補佐って雑用係なの。面倒事はみんな私に来るって話よ」


 炎の大隊の騎士寮へ向かいながら、シェリーはユルロの問いに答える。


「でも、嫌われたくないもの。愛されなくても嫌われなければ、それなりに人間関係が築けるでしょ?」

「……割り切っているな」

「ええ。割り切らなきゃやってられないわ。さ、ここが私の部屋よ」


 言いながら、シェリーは扉の鍵を開け、部屋に入る。


「……。お前、大隊長補佐とかいうそれなりの立場なんだろう? それにしては、狭くないか」

「言うほど狭くないと思うけど。ここ、平の隊員の五倍くらいの広さよ? 壁も分厚くて音を通さないし、窓からの景色も良いし」


 シェリーの部屋は人が三十人は余裕を持って入れる広さで、室内にはベッド、机、椅子、クローゼット、鏡、棚などが配置されていた。そして扉の目の前には、大きな窓が、一つ。


「あなた、いつもどれくらいの広さの部屋で生活してたの?」

「そうだな……正確には分からないが、一部屋で少なくともこの十倍はあると思う」

「へえ、それは広いわね。さすが神様」


 シェリーは荷物を床に置くと、コートと上着を脱いで、


「おいだから!」


 シャツを脱ぎ始めたので、ユルロは瞬時にブローチから姿を戻し、シェリーに背を向ける。


「早く仕事に取りかからないといけないから、隊の制服に着替えなくちゃいけないの。あなたもそろそろ慣れたら? このやり取り、道中ずっとしてるわよね?」

「人の着替えを堂々と見るなど、慣れたくはないな」

「そう。あなたって、堅いわよね。誠実な人はモテるけど、あまり硬派すぎると逆にモテないわよ?」

「別にいい」

「あらそう。見た目はいいのに勿体ない。さ、着替え終わったわ。こっち向いて、どうぞ?」


 その言葉に、ユルロがちらりと振り向くと、


「だから、ちゃんと着てるわよ」

「……そうだな」


 赤を基調として、金の刺繍がされた隊服を着たシェリーが立っていた。


「それが、炎の大隊とやらの服装か」

「ええ。さ」


 シェリーが手を出す。


「……」


 ユルロは顔をしかめるものの、ブローチになって、シェリーの手の中へ。


「この隊が緩い方で良かったわ。ブローチ一つ身に着けるくらいなら、何も言われないでしょうから」


 言いながら、シェリーは胸元にブローチを留める。


「……緩いのか? この隊は」

「緩い方よ。大隊長が緩いから。でも、締めるところは締める人だから、……ああいうお人柄だから、選ばれたんでしょうね。大隊長に」


 剣の位置を確認しながら言うシェリーの声には、羨望と諦めが混じっていた。


 ◆


「シェリー・アルルド、只今戻りました!」


 寮から炎の大隊の塔へ移動し、そして大隊長室へ入ったシェリーは、人でごった返す部屋でかき消されないくらいに大きな声を出し、敬礼する。


「シェリー! 無事帰ってきたか! 良い休暇になったか?!」


 大きな声でそう言ったのは、部屋の中で一番大きな机に座っている、赤茶の髪の女性。


「はい! お忙しいところ休暇を頂き、ありがとうございました! とても有意義なものとなりました!」

「それは良かった! で、シェリー! 帰ってきて早々すまないが、宮殿内の警護についてな、少し意見が欲しい! 書類はそこにあるから見てくれ!」

「畏まりました!」


 シェリーは指し示された書類の束を手に取ると、


「……ここが、お前の席か?」

「ええ、そうよ」


 机と椅子の座面に山となった書類を見上げ、引き気味のユルロの声に応じる。


「予想よりは少ないわね」

「そうなのか……」


 シェリーは椅子から書類をどかし、椅子に座って、手に持っていた書類に目を通し始める。


「……シェリー。中身が俺に筒抜けなんだが」

「あら、国家転覆でも図るつもり?」

「そんな面倒そうなことはしない」

「ならいいじゃない」


 シェリーは速攻で書類を読み終えると、赤茶の髪の人物の元へ。


「大隊長、目を通させていただきました」

「良し。で、お前の意見は?」

「北側の警備が薄いかと。それと、新人の割合が多い部隊が幾つかあります。隊の編成を見直すべきかと」

「ふむ、やはりそう思うか。では、それでいこう。明日の午後までに直しを頼む」

「分かりました」


 シェリーはすぐに席に戻り、書類の山を片付けてゆく。けれど、そこに新たに書類が積み重なっていく。


「おい、この量、いつ終わる」

「そうね……徹夜して、早くて一週間ってとこかしら」

「……夜は寝ろ」

「寝れればね」


 ユルロと話しながらも、シェリーの目と手は止まらない。

 シェリーは書類を片付けながら、部屋と部屋を行き来し、別の隊と連絡を取り、定期的に大隊長へ報告する。

 食事係が持ってくる食事を飲み込むように摂りながら仕事を続け、合間に訓練を挟み、それが数日。

 いつしか、追加される量をシェリーが終わらせていく量が上回り。


「はー、休憩」


 と、伸びをしたところで、ユルロが声をかけてきた。


「……もう三日だぞ。しかも、夜明けだ。四日目になるぞ」

「そうね、朝ね」


 そう言うと、シェリーはまた書類を片付けにかかる。

 自室には戻らず、仮眠室で寝起きして、六日目。


「予想より早く終わりそうね」


 シェリーは積み上がっていた書類を、ほぼ全て捌ききっていた。


「お前……いつもこんな感じか?」

「ここ最近のは特別よ。休んでいた間に溜まった分が凄かっただけ。いつもはもう少し少ないわ」


 言いながら、シェリーは書き上がった書類の内容に不備がないかを確かめる。それを終えたら、また別の一枚を取り、ペンにインクを付け、書き始めた。


 ◆


「あぁー! やっと少し、落ち着けるわ」


 書類の山を片付け終え、自室に戻って伸びをするシェリーは、次に置きっぱなしにしていた旅行の荷物の荷解きにかかる。


「……少しは休憩したらどうだ」

「これが終わったらね」


 シェリーが旅行カバンから一つの袋を取り出すと、


「……」


 ユルロはブローチから戻り、シェリーに背を向ける。


「あぁ……ずっと放置してたから布が傷んでるわね、しょうがないけど」


 袋の中身を出していたシェリーに、ユルロが低い声で言う。


「……だから、お前は、人前で堂々と下着を引っ張り出すな」

「いいじゃない。もう慣れてよ。ここではそんな繊細なこと、いちいち気にしていたら保たないんだから」


 シェリーは衣類やタオルなどを袋に詰め直し、その他のものを片付け、窓を開け、上着とコートをそれぞれ順番に窓から出し、汚れを軽く落とす。そしてそれらを仕舞うと、


「じゃ、これから洗濯物を出しに行くから」


 ユルロへと振り返り、流れ作業のように手を出した。


「……」


 ユルロはまたブローチになり、シェリーの胸元に留められる。


 ◆


「……この騎士団、男ばかりを見かけるが、ここは女性騎士というのは少ないのか?」


 洗濯室に向かうシェリーに、ユルロが問いかける。


「そうねぇ……全体の二百分の一くらいの筈よ。で、騎士団の総数がおよそ六千だから、三十人くらいね。帰ってから変わってなければ」

「そうか……少ないな。お前の隊は……リアナ・ユーケンと言ったか? あの女が率いているんだろう? 彼女はその三十人のうちの一人という訳か」

「ええ。そして、この国初の女性騎士よ」

「ほう。それなりに若く見えたが、相当な実力があるのだろうな」

「それはもう。今年で二十九になるユーケン大隊長は、十七年前に、女性として初めて騎士団の入団試験を突破したの。それも、男の試験より難しいものをね。今でも語り草よ。五十対一で戦わされて、けれど傷ひとつなく、その五十人をすべて倒した。この国の全ての女性騎士の憧れよ」

「五十対一……。それはまた、凄いというか、相手側のハンデが酷いというか」

「そうね。お酒の席でちらっと聞いたことあるけど、当時の騎士団はどうしても隊長を団に入れたくなかったみたい。けど、今ではその実力が認められて、炎の大隊長にまで登りつめた。……私もあんな風になれたらねぇ……あ、着いたわ」


 シェリーが洗濯室の扉を開けると、埃や火薬、汗、洗剤、その他諸々の匂いが入り混じった空気が、むわりと外へ流れ出てきた。


「……ここもいつも、このような惨状なのか」

「ええ、いつもこんな感じ」


 そこには、いたる所に洗濯するのだろう衣類や布が積まれ、溢れ、その山が崩れたような箇所もいくつも見られた。


「洗濯係の人は大変よね。私も下っ端の頃はよく洗濯係を回されたけど、効率良くやらないと永遠に終わらない作業だったわ。手は荒れるし、冬の水は凍えそうになるほど冷たいし、……それに」


 シェリーは溜め息を吐き、


「ここ、男物と女物を分けてくれないのよね。違う汚れが付いて戻ってきたこととかあるわ。それは速攻捨てたけど」

「……大変だな」

「そうね。だから私が洗濯係をしていた時は、率先して女物を洗うようにしてた。ちょっとでも彼女達の憂いを無くしたくて。どれだけ効果があったか分からないけれど」


 言いながら、シェリーは洗濯物の山の一つに自分のものを重ねていく。


「で、その洗濯係とやらは?」

「今はもう寝てるでしょうね。深夜だもの」


 シェリーはそう言って、洗濯室を出て、部屋へと戻る。


「じゃ、私、寝るから」


 制服の上着を脱ぎ、ハンガーに掛け、髪を解き、胸元を緩めると、シェリーはベッドに潜ってすぐに寝息を立て始めた。


「……」


 ブローチから姿を戻したユルロは、シェリーへと近付き、


「……ぅ、……」


 うなされ始めたシェリーの額に手を置いて、悪夢をかき消す。


「……、……」

「お前は、もう少し周りを頼れ」


 穏やかになったシェリーの寝顔を見ながら、ユルロは呟いた。


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